6-8 月の裏側は?
わたしはその歌を知らなかった。白命と白録が生きていた頃に流行った童謡らしい。
「かごめかごめ。カゴの中の鳥は、いついつ出やる……」
白命が歌詞を口ずさみ、わたしが手帳に書き留めた。意味を順番に紐解いていく。
「カゴの鳥は、鶴と亀だね。いつ湖から出られるのか」
「ぼくたちだって、この世界から出られるのか定かではありませんけれどね」
白録が鼻で笑った。
白録が歌を続ける。
「夜明けの晩に……」
「ここはずっと晩だね」
「幸いにも」
「鶴と亀が滑った……」
「うーん、かわいそう」
「そうですかね」
「後ろの正面、だあれ」
白命が、半分ふざけるような調子で歌い終える。けれどその部分こそが一番の鍵のような気がした。
「後ろの正面。おかしな言葉」
後ろなのに、正面。見えないはずなのに、向き合うもの。
「一人の子どもを囲んでぐるぐると回り、歌の終わりに合わせて止まります。真ん中の子どもが、背後にいるのは誰なのかを当てます。何の工夫もゲーム性もない遊戯ですね」
「ああ、そんな感じだっけ。ぼく、遊んだことがないからわからないや」
白録と白命が、世間話のように話し合っている。
わたしは頭をひねった。
「その遊びは知らないけれど。後ろの正面って、自分自身じゃない?」
双子が振り返り、同時にまばたきをした。
「だって後ろって、自分では見えないでしょう? 自分の背後、自分の陰、自分が見ないようにしているもの。でも〝正面〟と言うからには、向き合わなければならない」
ぞわぞわと胸が高鳴る。言語化するほどに好奇心が募る。
「つまり〝後ろの正面〟は、見ないふりをしてきた本心。深層心理なんじゃないかな」
白録は、ふむ、と腕組みをした。
「なるほど。あの遊戯を知らない、焼き芋ならではの発想ですね。あれを知る者にとっては、〝後ろの正面〟は自分以外の誰かだとすり込まれていますから」
ツクヨリ様は今は暴れるのをやめ、巨大な満月を背に、ぼんやりと宙を見つめている。
「ツクヨリ様は、二人と戦っているとき、楽しそうに笑っていた。侵入者を許さないと言うわりに、夢からこの世界に入り込む術を残している。本当に孤独を望むなら、こんな入口は残さないはずだよ」
わたしはきっぱりと言った。
「ツクヨリ様を取材させて。あの御方の本当の願いは、鶴と亀を殺すことなんかじゃないよ」
「拘束を解けというのですか?」
「うん」
「せっかく取っ捕まえたのに? 二度と同じ芸当はできないぞ」
双子の厳しい視線が突き刺さる。
わたしは、胸元で揺れる首飾りの貝殻を握りしめた。迷うとき、わたしはいつも原点に立ち返る。
初めて裁きに加わったときの取材対象者——ヒイノミコト。彼とも最初はどうしようもなく敵対した。怒りと誤解とすれ違いの中で。それでも取材をし、最後には届いた。理解してくれた。
「だって彼らは、人の思いを汲み取る〝神様〟だから」
白命と白録は顔を見合わせた。再び言葉のないやり取りが交わされている。
そして、やれやれと肩をすくめた。
「論理としては破綻していますが、焼き芋には実績がありますからね」
「好き放題する後輩を見守るのが、良い先輩だからな。ただし、尻ぬぐいは勘弁だぞ」
わたしはうなずいた。双子もうなずいた。
白録の指が宙をなぞる。和紙の鎖が、はらりとほどけた。支えを失ったツクヨリ様の体が水面に倒れる。
わたしは迷わず踏み出した。今度は頬をつねるためじゃない。話を聞くために。
ツクヨリ様は大の字になったまま、ぼんやりと天を仰いでいる。その全身に淡い月光が降り注いでいた。頬の赤みに加え、縛られていた手首にもくっきりと跡が残っている。とたんに申し訳ない気持ちになった。
「ツクヨリ様」
呼びかけるが、反応はない。
ツクヨリ様のかたわらに座り込み、そっと頭を撫でた。抵抗はない。そのまま膝枕をさせる。水面に広がる黒髪をすくい、整えた。本当に、ただの少年に見える。
わたしは深呼吸をし、問いかけた。
「お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
ツクヨリ様が、わずかに唇を動かす。
「……いいよ」
「ありがとうございます」
「……」
「あの、吐き気の方は?」
「大丈夫。おまえは、ばっちくないみたいだから。つねられたのはムカつくけれどね」
ぽつりぽつりと言葉がこぼれる。
わたしは髪をすく手を止めた。
「ばっちくないって……わたし、泥だらけですよ」
「触れられても、嫌な感じがしない。吐き気もしない。珍しいなあ」
満月に照らされたツクヨリ様は、目だけを細めた。
「他は、違うんですか?」
「違うよ。もう長いこと湖にいるから、その感覚も忘れていたけれど」
ツクヨリ様は落ち着いた様子で続ける。
「夜はね、よく見えるんだ。人々の表情も、声も、本音も。太陽の前では隠しているものが、全部浮かび上がる。
きれいなことを言っているやつほど、裏ではぐちゃぐちゃだったりする。優しい顔で笑いながら、誰かを蹴落としたいと思っている。平和を祈りながら、自分だけが助かればいいと願っている」
わたしは何も言えなかった。
ツクヨリ様の月白の瞳に、涙の膜が張っている。
「最初は面白かったんだ。表と裏が違うのが、人間らしいって。だからちゃんと見て、聞いて、受け入れようって。
でも、あまりにひどかった。だんだん、気持ち悪くなってきてさ」
わたしは、白命と白録をいじめ殺した子どもたちを思い出した。本当に汚い、醜い連中だった。見たくないと思うのは当然だろう。
ツクヨリ様がまぶたを閉じる。一筋の涙が頬を伝った。
「全部が嫌になって、ここに閉じこもった。だから、ぼくに関する神話はほとんど残っていないだろう。月依の責任を放り出し、逃げたんだ。ぼくって、汚い神様だよね——」
苦しい。最高峰の神々の一族に生まれても、これほどの苦しみを抱えている。ツクヨリ様は逃げたのではない。逃げるしかなかったのだ。
「ツクヨリ様はこのままで良いのですか? ずっとひとりで、すべてを遠ざけて」
「そうやって、ぼくの心をこじ開けるの?」
「こじ開けてはいません。ツクヨリ様が開いていたところを見つけただけです。ここに来られる道を残していたではありませんか」
ツクヨリ様が目を開いた。
「……なぜだろうね」
「誰かに来てほしかったのではないですか」
「来たところで、どうせ同じだ。もうたくさんなんだよ」
その目尻からこぼれ落ちる涙を、わたしは指先でそっとぬぐった。
「そうですね。まっさらにきれいな人間なんていません。わたしも同じです。いじわるなことだって考えてしまいます」
ツクヨリ様の瞳が揺らぐ。
わたしはツクヨリ様に合わせるように、ゆっくりと言葉を置いていった。
「でも、そんな部分も含めて大切に思い合うのが生き物です。あなたも、まずは自分を認めてあげて。そうすれば他者を許せるかもしれません」
小さな手を遠慮がちに包み込む。
ツクヨリ様は、天上からわたしへと視線を落とした。
「ぼくは、ぼく自身をここに閉じ込めていた。殻を破れない自分。〝カゴの中の鳥〟は、ぼくなんだね」
「そして、あなたの奥底にある願いに応え、鶴と亀が現れたのかもしれません。この世界に滑り込むように」
ツクヨリ様が、長いため息をついた。
「こわいなあ。恥ずかしいなあ。自分の裏側を認めるのは」
「ええ。他人の裏側を認めるよりも、よほど難しいことですね」
ツクヨリ様を見守るように、月光が差し込む。まぶしい太陽とはまた違う、おだやかな、しかし曇りのないまっすぐな輝きだ。
「ぼくはもう、後ろの正面から逃げない。ひとりぼっちは嫌なんだ」
そう発した瞬間。鏡のように張りつめていた湖の静寂にひびが入った。鶴と亀が眠る位置から、あぶくが上がる。
鶴と亀の目が開いた。長い眠りから覚めて動き出す。力強く一直線に水を切り裂く。水をまといながら、上へ上へと昇ってくる。水面が盛り上がり、波が広がる。その乱れすらも美しい。
月光を砕きながら、亀が水を押しのけ、鶴が羽を広げた。しぶきが弾け、星くずのように夜空に散る。
ついに彼らは外へ、ツクヨリ様のもとへ舞い出たのだ。
高天原のロイヤルファミリーは派手すぎるので、そりゃ引け目も感じますよね…。
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