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6-2 月読命ってどんな神様?

 ふと、まぶたの裏に光が差した。横たわったままゆっくりと目を開ける。


 そこは、今の今までいた三途の川のほとりではなかった。

 最初に気づいたのは体の軽さだ。地面に触れているはずなのに、触れていないような感覚。視界は柔らかく揺れ、なんとなく輪郭がはっきりしない。霧の中ではなく、頭の中で起きている曖昧さ。


「ここは」


 上半身を起こしながらつぶやくと、声が少し遅れて耳に届いた。この感覚、なつかしい。生前には数えきれないほど経験した。


「うええ……これ、夢の中か?」


 聞き慣れた声。(かたわ)らに司命が転がっている。妙な顔で自分の手を見ていた。指を開いたり閉じたりしている。


「だね」

「だよなあ。夢を見るなんて、いつぶりだよ……」

「わたしも。冥界に来てから初めてだ」


 苦笑しながら、ふと疑問に思った。司命も夢を見たことがあるのか。冥界の出身ではないのだろうか?


 あたりを見回す。意識を向けた先、何もなかった場所に、ぼんやりと景色が浮かび上がる。

 そこでやっと気がついた。地面がない。あるのは、どこまでも続く水面だけだった。鏡のように滑らかな湖だ。

 二人同時に飛び上がり、あわわわと地面を探して足踏みした。ばしゃばしゃと派手に水が跳ねるが、体は沈まない。


 司命が息切れをしながら、こちらを見た。


「み、水の上に立っている……」

「まさに夢の中だね」


 今度は落ち着いて、そっと一歩を踏み出した。水面がわずかにたわみ、音もなく波紋が広がる。その輪の先に、白い影が浮かんでいた。


「花か?」


 司命が、おぞましいものを見たような声を出す。


月下美人(げっかびじん)だ。一年に一度しか咲かない花。しかも、夜のほんのわずかな時間だけ。植物園の取材に行ったときに聞いたのだけれど――」

「はいはい。貴重な花ってことだな」


 軽く遮られた。


 月下美人は湖のあちらこちらに開き、白く透ける花びらの一枚一枚に露が宿っている。そしてその一粒一粒に、白くて丸くて艶やかなものが映っていた。


「お団子……」


 いや、違う。息をのみ、天を仰ぐ。


 夜空の中心に巨大な満月が鎮座していた。巨大、という言葉では足りない。地上で見上げるそれとは、まるで別物だ。空の一角を押し広げるように占領している。肉眼でクレーターを確認できるほどの近さだ。


「ここは、月読命(つくよみのみこと)の領域だ」


 わたしの声は無意識に小さくなった。言うまでもない。

 頭上にも、足元の露の中にも満月。どこを見ても、月、月、月。無数の目に見張られているような感覚に陥る。


 ぱしゃ……ぱしゃ……

 誰かが水面をゆっくりと歩いてくる足音が聞こえた。目を凝らすが、夢の中はどうも輪郭がはっきりしない。


 少年だ。中学生くらいに見える。幾重にも重ねられた装束が淡く輝いていた。額には細い銀の飾りが渡されている。腰まで伸びた黒髪は、一筋の乱れもなくまっすぐに落ち、月光を受けて青白くふち取られている。


 少年はどこか遠くを見るようにぼーっとしていたが、ついにわたしたちと目が合った。歩みが止まる。のそのそと思考を働かせるような、妙な間のあとで——


「うわああああああああああ!!!!!」


 夢からも覚めそうな勢いで、絶叫した。そのまま腰を抜かし、水面に尻もちをつく。


「侵入者!? なんで!? どこから来た!? ばっちいやつら!」

「驚かせてごめんね、大丈夫だから!」


 わたしは両手を挙げて敵意がないことを示しながら、少年ににじり寄った。少年は尻もちをついたまま、ずりずりと後退していく。

 

「寄るな! そのばっちい衣で、そのへんを歩くな!」


 ばっちいばっちいって……この衣は汚れを寄せ付けないはずだけれど……

 しかし見下ろすと、手も官服も泥まみれだった。三途の川のほとりで気絶したときについたのだろう。どうやら物が汚れない効果は、冥府の宮殿内に限定されるらしい。


「わかった。ごめんなさい。これ以上あなたに近づかない。

 わたしたちは月読命に謁見(えっけん)したくてここに来たの。案内してもらえないかな」


 少年は不思議そうな顔でわたしたちを見上げていた。先ほどと同じ、あの妙な間。思考がゆっくりと巡っている。


「……それ、ぼく」

「え?」

「ぼくがツクヨミノミコトだけれど」


 予想外の自己紹介に、わたしも司命もあっけに取られた。目の前の少年は、確かに見事な装束をまとってはいるが、アマテラス様のような絶対的な貫禄はない。どこか頼りなく、年相応の子どもに見える。


「あ、あなたが……?」


 しかし、まじまじと見てみると、その長く艶やかな黒髪や、大きな目の形に、アマテラス様の面影がある。アマテラス様は琥珀色の瞳をしていた。少年は薄い青、まさに月白色(げっぱくいろ)だ。


「も、申し訳ございません。ツクヨミ様」


 わたしは慌てて頭を下げた。


「えー。こんなチビが? 本当に?」


 司命はいぶかしげに首をひねっている。もう、いいかげんにして! 司命の脇腹に、肘をめり込ませた。


「いてっ!」

「いいからお辞儀して」

「わかったよ」


 舌打ちをしながら、司命はしぶしぶ頭を下げた。


 ツクヨミ様はぺたんと座り込んだまま、ぼんやりとわたしたちを見ていた。静止。いや、違う。ゆっくりと考えているのだ。

 やがて水面に手をつき、のそりと立ち上がった。袖から露がしたたり落ちる。


「えーっと……ぼくに何の用事だろ……」


 わたしたちへというよりも、自分への問いかけのような口調だった。


「わたしたちは冥府から参りました。エンマ大王の部下の太野(おおの) 礼阿(れいあ)と、こちらは司命です」

「エンマ? ああ……あの霧の宮殿の。みじめな男の子だよね」

「みじめとは思いませんが、変わり者ではあります」

「そうなんだ……」


 ツクヨミ様が、わたしの言葉をのろのろと咀嚼(そしゃく)する。すべての反応がナマケモノのようにワンテンポ遅れていた。このままでは会話が進まない。さっさと本題に入ってしまおう。


「ツクヨミ様、どうか教えてください。月の引力は海の潮位に影響しますよね」

「……うん」

「もしも月の位置をずらすことができれば、特定の場所の潮の満ち引きを意図的に変えられるでしょうか」

「……うん」

「ツクヨミ様には、それができますか?」

「……うん」


 拍子抜けするほど簡単に、望んでいた答えが返ってきた。司命と興奮気味に目を合わせる。しかし直後、それがぬか喜びだったと気づいた。


「でも、ぼくはしない」


 表情はぼーっとしているのに、はっきりと意思の(ともな)った拒絶だとわかる。

 わたしは食い下がった。


「ツクヨミ様。七日後の夜、日本の近海に隕石が落ちます」

「……へえ」

「このままでは日本にいる全員が海に飲まれます。でも、隕石が着水する瞬間、潮が引いていれば、被害を抑えられるかもしれません」

「……へえ」

「だから、ツクヨミ様の力をお借りしたいのです」

「……へえ」


 うーん! エンマ様とはまた違うタイプの、コミュニケーション能力のなさだ!


「あのう、理解していただけましたか?」

「うん」

「だったら答えは——」

「うん。ぼくの力をお借りしたいのはわかったのだけれど、そのために礼阿と司命は何をしてくれるの?」


 わたしたちは、え、と硬直した。

 

「だって、隕石が落ちたって、ぼくは困らないし。そもそも月を動かす気もないし。今のところ力を貸す理由がないでしょ」


 ツクヨミ様は、相変わらずぼんやりした顔のまま、首をかしげる。

 司命がすっと顔を寄せてきた。


「おい、清純そうな顔をして、意外とがめついぞ」

「神様って、なんというか、こう……無償で助けてくれるものかと」

「れーちゃん、何か献上できるものはあるか?」

「あるわけないじゃない。わたしの所有物なんて、手帳と、鶴亀マスコットのついたペンくらいだよ」

「欲しがるわけがないな。ださいし」

「失礼な! 縁起がいいんだよ!」

「神様なんて、縁起物そのものだろ」


 小声で言い合いながら、ちらりとツクヨミ様に目を向ける。聞こえてない。いや、聞こえているが処理が遅れているだけかもしれない。


「とにかく、ツクヨミ様の欲しいものを聞いてみようか」

「ああ。この交渉は長引くし、たぶん面倒くさい」


 司命は、にやりと唇の端を歪めた。


「それだけ大それたことをしようとしているってことだ。覚悟しよっか、れーちゃん」


 わたしはうなずいた。ツクヨミ様の瞳を捉える。


「何か望みはありますか?」


 間延びした思考の間のあとで、ぽつりと返ってきた。


「あるよ」


 ツクヨミ様はそのまま、きょろ、と視線を動かした。


「えーと……どこだったかな……」


 足元を見下ろし、うろうろと何かを探している。


「あ、ここ」


 ぴちゃん、と爪先で示した。

 わたしと司命が恐る恐る近づくと、ツクヨミ様は、汚いものから離れるように退いた。


 静寂をたたえる湖。その奥に、ゆらりと影がある。


 それをのぞき込み、わたしの心臓は大きく跳ねた。


 水面の下に、一羽の鶴と一匹の亀がいる。寄り添うようにして、じっと動かない。眠っているのか、それとも——

このタイミングで、アルテミス2、おかえりなさい!


平日は毎朝7時頃、土日祝は正午頃に更新いたします。

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