4-9 礼阿vs野々子、残るのはどっち?
「野々子ちゃん。あなたが引き継ごうと思ったのは、前世のあなたの願い事なのでは?」
ぞくぞくぞくぞく。
わたしの推理が正しいかどうか、確かめなきゃ。もし正しければ、野々子ちゃん、あなたは強いだけでなく、とても優しい子だ。
野々子ちゃんは何も答えない。わたしは双子を振り返った。
「野々子ちゃんが初めて冥府に来たとき、お給料について話したのだったよね?」
「もちろんだ。人間というやつは、ぼくたちと違って、タダ働きを許せない下等生物だからな」
司命が小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
そう、野々子ちゃんにとっての給料は、〝来世についてちょこっとだけ決める権利〟だ。願いを持ち越すことができる。でも来世にかける願いがあるなら、このまま配達人でいればいい。
わたしが思いを馳せるべきは、野々子ちゃんの未来ではなく過去なんだ。
「野々子ちゃん——野々子ちゃんたちは、自身が前世で何を願ったかを知ることはできるの?」
わたしがたずねると、司録がすぐに動いた。指で空を切る。それに応えるように、壁一面の本棚がざわりと鳴った。空中へ飛び出した帳面は三十冊を超えている。小野篁から野々子ちゃんまで、すべての〝あたし〟の帳面を呼び寄せたのだ。
危なっかしく積み上がった帳面を、司録が次々とめくっていく。
「ひとつ前の人生の最期に何を願ったか。最初に冥府を訪れたときに必ず伝えています」
司録が手を止めずに言った。
「どんな会話を? 野々子ちゃんが六歳のとき、どんな会話をしたの?」
「詳しい記述は残っていませんが……」
司録が言い淀む。らしくない。
わたしも唇を噛んだ。そのとき——
「おれが覚えている」
一筋の風がすっと吹き抜けたようだった。エンマ様だ。濡羽色の長い髪が揺れる。この裁きの中で、初めてわたしの席を振り返った。
「冥府にある井戸から、泣きながら這い上がってきたところを、桃爺と桃婆が発見した。すぐに広間に連れて来られ、おれが事情を説明した。見返りの話をすると、泣きじゃくりながらこうたずねた——
〝前世では あたしは何を 願ったの? 教えてほしい 忘れているの〟」
幼い口調が重なって聞こえるようだった。泣き声を引きずったままの不安定な問い。それでも、どうしても知りたかったのだとわかる。
エンマ様は、表情を変えずに続けた。
「隠すこともない。おれは答えた。〝とびきり可愛い女の子に生まれ変わらせて〟だったと。そして、それはすでに叶っているとも伝えた。すると考え込み始め、涙も止まった」
わたしは必死にメモを取り続けた。
「それで、野々子ちゃんは次に何を言いましたか?」
エンマ様が、八年前の幼子の言葉を復唱する。
「〝目標が 今はっきりと 決まったの。前のあたしを 引き継ぐことです〟」
司命は椅子にもたれかかりながら、あんぐりと口を開けていた。
「よく一言一句を覚えていらっしゃいますね。
……ともあれ、これをもって無事に契約成立。のんちゃんは正式に冥府の配達人になったというわけだ」
――違う。それは冥府側の視点だ。野々子ちゃんの視点にならなければ。
手帳のページを指で押さえる。紙の向こうに浮かび上がってくる、ひとつの光景。
涙で頬を濡らした六歳の女の子が、何かを思いついたように顔を上げる。そのとき決意したのは、配達人を引き継ぐことではない。
「野々子ちゃん。あなたが引き継ごうと思ったのは、前世のあなたの願い事なのでは?」
野々子ちゃんの目が大きく見開かれる。そのまま、じわじわと頬が赤く染まっていく。
そして観念したように首を横に振った。
「やっぱりね 隠し切れない 冥府では。エンマ様にも 礼阿さんにも」
「言わなくていいから!」
口から自然と出た言葉に、自分自身が一番驚いた。
「これ以上は聞かないから、ね」
余裕も何もないこの状況で、よくもこんなセリフが吐けたものだ。
双子は、訳がわからないという顔で首をかしげている。それでいい。相手は中学二年生の女の子。やはりこの話題は野暮だと思うから。
「礼阿さん 崖っぷちに立つ それなのに あたしを気遣う 信じられない」
野々子ちゃんがぽつりとつぶやいた。
「迷わずに 暴露をすれば いいじゃない。この状況なら 誰もがそうする」
詩のように流れ出る。
「合理的 ではないあなたに 腹が立つ。なのにあなたに 救われている」
「計算や効率がすべてじゃないよ。大切なのは、事実の奥にある心の部分だから」
最後の言葉は、微動だにしないエンマ様の横顔へ向けた。そう、これはエンマ様の矜持。わたしは記者として素晴らしいことを教わった。
まもなく冥府を去ることになるけれど。
「もういいよ 全部話します。覚えてる 六歳のあの日 昨日のように」
野々子ちゃんが、わたしにそっと笑いかける。
「願い事 聞いたらすぐに 気づいたの。前世のあたしが 恋していたこと」
野々子ちゃんの告白。
「恋? 恋って……あーっ! エンマ様のことが好きだったってこと!?」
司命が弾かれたように顔を上げ、必要以上の大声で叫んだ。どこまでデリカシーがないのよ。
野々子ちゃんが胸の前で手を重ねる。
「その願い 叶えてあげたい どうしても。現世の目標 このとき決まった」
「そんなこと、思うもんですかねえ」
司録が不思議そうに首をかしげた。
わたしは少し考えてから、口を開く。
「あるんじゃないかな。子どもの頃の夢を叶えて、あのときの自分に見せてあげたいって思うこと、ない?」
「「ない」」
双子が口を揃えてきっぱりと言う。ああ、うん、そうでしょうね!
「エンマ様の 好みの姿に なりたくて、その頼み方 したのだと思う」
……なるほど。〝とびきり可愛く〟と頼まれ、それを叶えたとすれば、その〝可愛い〟はエンマ様の基準だ。つまり野々子ちゃんは、完全にエンマ様の好みの容姿なのだ。
わたしたちは一斉にエンマ様を振り返った。タイプを暴露され、今どんな表情をしているのか知りたくなってしまったのだ。
しかし当の本人は、無関係と言わんばかりの知らん顔をしている。いやいやいや。さすがに無関係ではないでしょ。
「だからこそ 冥府に置いて ほしいのです。愛しい御方の おそばにいたい」
野々子ちゃんの丸い瞳が潤む。もう、さっさと雇ってあげたらどうですか、エンマ様——
「おまえは勝負に勝っていない。だから補佐にすることはない」
エンマ様の落ち着き払った言葉に、誰もがきょとんとした。
司録が理屈っぽく否定する。
「お待ちください。〝裁き〟は焼き芋の勝利としても、三番勝負の結果は、篁 野々子の二勝一敗ですよ?」
「この仕事で真に試されるのは〝聞く力〟だと言っただろう。忘れたのか。他のどの能力が長けていようと、聞けぬ者に裁く資格はない」
震え上がらせるような冷たい声。わたしの心は温まっていく。
「そ、それじゃあ、わたしは残っていいのですか——?」
「終身雇用と言ったはずだ」
エンマ様が迷いなく言う。いとも簡単に覆され、逆に不安になってきた。
「エンマ様ってば、最初かられーちゃんを残すつもりだったんじゃないの」
司命が小声でぶうぶうと文句を垂れる。
でも、わたしにはわかっていた。エンマ様は公平だ。わたしが取材力を発揮しなければ、容赦なく消滅させただろう。
申し訳ないような気持ちで、野々子ちゃんにちろりと目を向けた。
野々子ちゃんはにこっと笑う。
「おめでとう 見直しました 礼阿さん。でも覚悟して いつかは替わる」
ほっとした。長い回り道をして、ようやくわかり合えた気がする。
「あのー、健闘を称え合っているところ、恐縮ですが」
司録が空気を読まずに口を挟んだ。いつの間にか、野々子ちゃんの一冊前の帳面を開いている。
「篁野々子の前世の人物は、マッチョプロレスラーですよ」
は?
野々子ちゃんもわたしも、口を開けたまま固まった。
司命が、ぽん、と手を打つ。
「あー、思い出した思い出した! ゴリラ系だったよな。すべてを筋肉で解決するタイプの」
「生粋のアイドルオタクでしたね。配達のたびに、地上から持ち込んだ雑誌やらブロマイドやらを見せられましたよ。〝可愛い女の子になりてえっ〟と吼えていました」
「そういえば、のんちゃんは、あのアイドル連中に雰囲気が似ている気がするなあ」
エンマ様。まさか。
「〝可愛い〟が何を指すのか理解できなかったから、あのアイドルグループを足して割ったような顔にした」
エンマ様がしゃあしゃあと言う。
この人、やってくれた。ものすごく合理的に、ものすごく雑なことを。
そして、どうやらわたしたちは、とんでもない勘違いをしていたみたい。
ぎこちなく野々子ちゃんを見ると、再び顔を真っ赤に染めていた。唇がわなないている。
「っっっばかみたい! ——」
わめくように叫んだ。そして続ける。
「——趣味が悪いと 思ってた。ルックスだけの こんな男は」
今度はエンマ様が凍りつく番だった。
「冷徹で 人の心も ありゃしない。潔癖 偉そう 中身は空っぽ」
野々子ちゃんがくり出す猛攻撃を、生身で受け止めるエンマ様。
桃鬼さんがぷっと吹き出す。わたしもなんだか笑えてきた。
ひとしきり悪口を言い切った野々子ちゃんは、満足したように息を吐いた。
「ありえない おそばで働く お断り。前世のあたしが 願ってないなら」
エンマ様は硬直したままだ。わたしは苦笑いをした。
野々子ちゃんと視線がぶつかる。もうわかっていた。この子はちゃんと自分の足で立っている。
「野々子ちゃん。〝あなた〟の夢を叶えてね」
戦っていたはずなのに、終わってみれば、心がぐっと近づいている。
「絶対に かるたクイーンを 死守します。もちろん辞めない 配達人も」
野々子ちゃんの瞳は光を宿していた。
「えー、辞めないのかあ。クイーンに専念したらどう?」
桃鬼さんがつまらなさそうに言う。
野々子ちゃんがいたずらっぽくウインクをした。
「あたしはね 両立できます ナメないで。誰より可愛く 完璧だから」
アイドルさながらだ。
篁野々子編、終了です。
次回は四月に投稿させていただきます。平日は朝7時頃、土日祝は正午頃です。
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