4-6 礼阿vs野々子、負けず嫌いはどっち?
わたしは、広間の中央からまっすぐに歩き始めた。玉座の側からは野々子ちゃんが降りてくる。
足音がやけに大きく響く。距離が縮まる。どちらも声を出さない。すれ違う瞬間に全身に浴びたのは、激しい嫌悪感だった。
椅子に腰を下ろした。しっくりくる。そう、これはわたしの椅子だ。エンマ様に与えてもらった席。たったひとつの居場所。
エンマ様の背中を見つめた。振り返ってはくれない。当然だ。この御方はいつだって公平で、公正で。誰かに肩入れするようなことはしない。わたしの味方なんてしてくれない。
……いや、公平ならまだマシか。野々子ちゃんはエンマ様のお気に入りという話。もしもそれが本当ならば、きちんと贔屓なしで判定してくれるのだろうか。最初から決着はついているのではないだろうか。
エンマ様は、野々子ちゃんの方に目を向けたまま、口を開いた。
「桃。二人に熱い茶を」
うわあ、優しい。ありえない。怖い。わたしはぶるるっと身震いをした。温度差で風邪を引きそうだ。
桃鬼さんが「はーい」と返事をし、桃爺、桃婆とともに広間を出て行く。三人が戻るまでは休憩時間になるのだろう。
「二人とも」
エンマ様の低い声に、思わず背筋が伸びた。
「息が乱れている」
どきりとする。
野々子ちゃんの肩も揺れた。
「整えろ」
短く告げられる。怒鳴るような厳しさはなくとも、これは命令だ。何でもないことを、当たり前に言われただけなのに——逃げ場がなくなる。
「……はい」
わたしは、蚊の鳴くような声で答えた。野々子ちゃんも遅れてうなずく。
「吸え」
震えながらゆっくりと、息を吸う。
「吐け」
肺の底から空気を絞り出した。
もしも次に〝息を止めろ〟と言われたら。わたしも野々子ちゃんも従ってしまうだろう。
「吸え」
「吐け」
しかしこれを数回くり返しているうちに、体にも心にも変化が現れた。燃え上がっていた憤りが引いていく。
エンマ様が続けた。
「裁きは、言い争うことではない」
はっとする。後悔が押し寄せた。
何をしているんだろう、わたし。
言い返して、言い負かして、相手を追い詰めて。裁きをめちゃくちゃにしたのはわたしだ。曲がりなりにも現職なのに、これほど初歩的なことを指導されるなんて。恥ずかしい。情けない。今度こそ本当に、息が止まりそう。
一方で、野々子ちゃんはエンマ様をじっと見上げていた。唇が悔しげに引き結ばれている。
「言い争い? 定義を教えて くださいな。わたしは理論で 戦っただけ」
予想外に反抗的な態度。野々子ちゃんは、エンマ様にまで歯向かおうとしている——
「回りくどく 対話を続け なくたって、最短ルートで 適性わかる」
顔を真っ赤にし、こぶしをそわそわと握っている。その仕草が妙に幼く見えた。
エンマ様は上半身をわずかに前へ傾けた。
「近道は悪いことではない」
目に見えない冷気が、玉座からゆっくりと流れ出す。音もなく形もなく、野々子ちゃんの方へ滑っていく。足元にまとわりつき、衣服をなぞり、首を絞めるようにじわじわと。
「だが、見落としたものの責任は、おまえが負うことになるぞ」
野々子ちゃんは、ヒッと息をのんだ。冷気を振り払うように、がむしゃらに腕を振る。逃げようとするほど逃げられない。呼吸が乱れる。視線が揺れる。それでも必死に顔を上げる。自分は正しいという意志だけが、野々子ちゃんを玉座の前で立たせていた。
——もう。せっかく呼吸を整えさせたばかりなのに、何をしているの、エンマ様は。
あきれがよぎり、かえって客観的になることができた。野々子ちゃんに声をかけようとした、そのとき。
「お待ちどおさまで——っす」
広間の扉がバンと開き、場違いなほど明るい声が響いた。入口からのんびりと歩いてきたのは、桃鬼さんだ。湯気の立つ盆を手にしている。
「はいはい、お茶ですよー」
桃爺がわたしに、桃婆が野々子ちゃんに湯呑みを運んできた。
わたしは上の空で野々子ちゃんを見ていた。
「あつあつじゃからの。ふーふーしてやるからの」
桃婆がお茶に息を吹きかけてから手渡す。
野々子ちゃんは一瞬、戸惑ってから、震える指先を伸ばした。湯呑みを両手で包み、口元へ運ぶ。ひと口すすれば、肩の力がすっと抜けた。張りつめていた冷気が少しずつほどける。
野々子ちゃんは目を閉じ、息を吐いた。
「……はあ」
その落ち着いた様子に安心し、わたしも湯呑みに口をつける。じんわりと温かさが広がった。ありがとう、桃鬼さん、桃爺、桃婆。あなたたちって本当にナイスタイミング。
それから、ふと思った。——エンマ様はこうなることを見越して、桃鬼さんに飲み物を頼んだのかな?
お茶を飲みながら、双子に〝始めるよ〟と目配せを送った。うなずきと、にやりとした笑顔が返ってくる。手帳を開き、ペンを構え、呼吸をひとつ。
「最初の質問です。
なぜあなたは冥府で働きたいのですか?」
野々子ちゃんが、ごくりと喉を鳴らしたのがわかった。
「前世にも 前前世にも 配達し、それでもそばで 支えられない」
低く押し出すような声だ。
「魂が 求めているの。あなたには わからないでしょう あたしの渇き」
「魂……?」
わたしだって、と思った。
わたしの魂が望むから、冥府に残った。でもきっと野々子ちゃんの言うそれは、わたしとは重みが違う。平安時代から幾度も生を越えて受け継がれてきた。
「これまでに おそばでお仕え できたのは 小野篁 ただ一人だけ」
小野篁。野々子ちゃんの起点である人物。配達ではなく、裁きそのものをサポートしていた。
その名を口にした野々子ちゃんがまとう感情は、尊敬でも親愛でもなかった。ぞっとするほど尖っている。先ほどすれ違いざまにわたしに向けた嫌悪感に似ていた。
どうして? どうして己の原点に対して、それほどの負の気持ちを抱くの? 違和感がはっきりと形を持った。
「彼にでき あたしにできない わけがない。あたしは完璧 かつてないほど」
ほとんど悪態に近い言い草。じろりと咎めるようにのぞき込む目つき。
見覚えがあった。でもわからない。どこで見たのか。少なくともわたしはこの類の感情を持ったことがない。
手帳に〝篁 野々子→小野篁が嫌い?〟とメモしながら、わたしは取材を続けた。
「あなたは普通の女の子ではない。可愛くて、優秀で、地上での未来がまだまだある。それなのに冥府にこだわる理由がわからないの」
「地上での 自分磨きの 目的は、冥府で働く ただそのために」
そこまでの覚悟があったのか。考えが浅はかだった。可愛さも、優秀さも、かるたクイーンも、野々子ちゃんにとっては過程でしかないのだ。
わたしは死んだとき、冥界や閻魔大王への好奇心に突き動かされ、絶望せずに済んだ。野々子ちゃんは違う。そもそも地上に一切の未練がないんだ。はじめから捨てている。……はじめって、いつ?
「野々子ちゃんは、いつから配達の仕事をしているの?」
「幼い頃 たまたま地上の 井戸に落ち、冥府に着いて 事情を知った」
ここで司録が、帳面をめくりながら口を挟んだ。
「彼ら、彼女らは皆、同じです。六歳になると、地上の寺にある井戸から冥府にやってくる。そしてエンマ様から説明を受けるのです」
司命も物知り顔でうなずく。
「前世でも、前前世でも、冥府の配達人を担っていたと。そして選ばせる。その仕事を引き継ぐかどうか」
六歳のときに、冥府やエンマ大王の存在を知る。それから中学二年生になるまで、ただひたすらにエンマ様の補佐の座を目指し、努力を続けてきた。
……普通、そうなる? 重要な動機が抜け落ちている気がする。
「そのときの会話を、もっと詳しく教えて」
冥府カンパニーの仲間たちは息ぴったりです。
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