4-3 礼阿vs野々子、負けたのはどっち?
「ずるい、ずるいのぅ! 足のはやさなら負けんのにぃ」
「ごめんってば。痛い痛い」
わたしは桃婆を背負いながら、すたすたと廊下を歩いていた。桃婆はわたしの耳を引っ張りながら、ぷんぷんと悪態をついている。
「あの声のことも、せっかくわすれておったのに、思い出させるとは!」
「それもごめんね。似ていた?」
「そっくりじゃ!」
「ああ、ごめん。痛い痛い」
耳がちぎれそうだ。
「それにしても、うまい作戦じゃったのぅ。鬼がひょーてきを狩るには、まず、ひょーてきを理解することじゃ」
「桃鬼さんがヒントをくれたんだ」
「そうか、桃坊の入れ知恵か。桃坊は、れーあに勝ってほしいのじゃな」
「デリバリー嫌いだからね」
苦笑する。桃婆はやっと耳たぶから指を離した。
それにしても、〝鬼が標的を狩るなら〟なんて……幼児の口にする台詞ではない。腕が下がってきたので、よいしょと背負い直す。触れているのは、人間らしい温かみのある皮膚だ。しかし桃婆の頭には小さな鬼の角が生えている。
「ねえ」
わたしは声をひそめた。
「半鬼って、元々、鬼だったりする?」
桃婆の背中が、ぴくりと揺れた。
「桃鬼さんは、罰のために冥府にいると。ひょっとしてあなたたち三人は、鬼だった頃に悪いことをして、その報いで冥府で働いているの?」
人間を狩っていたの? とは聞けなかった。
桃婆は背中で黙っていたが、やがてぽつりと言う。
「むかし話じゃ。わすれさせてくれぬか」
「……ごめんなさい」
今度は静かに謝った。二度と聞かない、と心に固く誓う。何があったにせよ、この人たちはここで働いている。反省しているから、ここにいるのだろう。今は仲間だ。
松明の炎が音を立てて弾けた。それを合図にしたかのように、桃婆が体を起こす。
「さて、れーあを助けてやろーっと」
「え、いいの?」
「桃爺のことをいちばん理解しておるのは、このわたくしぞ。それに、わたくしも、れーあに勝ってほしい」
桃婆が、ちまっとした人差し指で前方を指す。
「桃爺は、逃げ足ははやいが、きもが小さい。ひとりになるのが怖くて、広間からはそれほど離れんだろう」
「ありがとう!」
広間の方向へ全速力で駆け戻った。〝鬼が標的を狩るには、まず、標的を理解すること〟——わたしには、桃爺、桃婆と暮らしてきた月日がある。意地がある。それに、これを落としたら、三本勝負の負けが確定する。あとがない。歯を食いしばり、さらに速度を上げた。
広間へと続く廊下にやって来た。このあたりのどこかに桃爺がいるはず!
入り口の前に、誰かが立っている。野々子ちゃんだ。スタートと同時に、猛ダッシュで別の廊下に消えていったのに。いつからそこにいたの——?
考える間もなく、野々子ちゃんが声を張り上げた。
「地上から お届けですよ 桃プリン。限定ひとつで 早い者勝ち!」
「「えっ!?」」
わたしと桃婆の声が重なった。
「ももぷりん、じゃと!?」
桃婆の声が高揚し、背中からぴょーんと飛び降りる。
「桃婆! 待って!」
わたしは慌てて叫んだが、もう遅い。逆の廊下からもばたばたと足音が響いた。
「ももぷりん! 食べてみたいのぅ、食べてみたいのぅ!」
桃爺だ。桃婆とほぼ同時に、野々子ちゃんへ飛びつく。
「わしが先じゃ!」
「わたくしじゃ!」
小さな体がぐるぐると揉み合う。苺プリンを高々と掲げながら、野々子ちゃんが一歩後ろに下がった。三人まとめて広間に入場だ。
「「篁 野々子、ゴ――――ル!!!!!」」
ゴォォォォン。
司命と司録の声と、ゴングの音が響き渡る。
わたしは廊下の真ん中で、馬鹿みたいに突っ立っていた。
「ま、負けた」
……あれ、わたし、冥府カンパニーをクビになるの?
すぐには受け入れられなかった。
広間の中では、野々子ちゃんが得意げにふんぞり返っている。捕まった張本人たちはというと——
「だって、和菓子以外、食べたことがないんじゃもん!」
「こないだ、みなが食堂で、ぱふぇとやらを食べとったじゃろ。あれが羨ましくてのぅ……」
「見た目も可愛らしくてのぅ!」
「そうじゃそうじゃ! 白い雲みたいなのが乗っとったのじゃ!」
桃爺と桃婆は、仲良くプリンを分け合っている。
わたしと同じくらいめそめそしているのが、桃鬼さんだった。
「爺ちゃんも婆ちゃんも、そんなもんに魂を売りやがって……」
「だって気になるんじゃもーん!」
「和菓子ひとすじ云百年、さすがに飽きたわい!」
キャッキャッとはしゃぐ幼児たち。野々子ちゃんが上手だった。幼い心を何で釣ればいいか、わたしよりも理解していたのだ。
よろよろと広間に戻ると、野々子ちゃんの、きゅるんとした瞳にのぞき込まれた。
「礼阿さん 認めなさいよ 潔く。勝負はついた ゼロ勝二敗」
がっくりと膝をついた。何も言い返せない。わたしは冥府を追い出される。永久にここで働くと決めたのに。取材をすること以外に望みなんてないのに。
双子が近づいてきた。にやにやにや。嫌な笑顔だ。
「いやあ、こればっかりは庇えないね。完膚なきまでの敗北」
「ええ、ここまで徹底的に差をつけられると、むしろ清々しいです」
わたしは、七十年前に交わした雇用契約について思い出していた。
「ええっと、ここを去る場合、わたしの帳面の表紙にある〝冥府〟の記述に反することになるから……わたし、もしかして消滅?」
「もしかしなくても消滅だろ」
「安心してください。痛くはなさそうですよ」
「ま、ぼくたちの子分として置いてやってもいいけれど?」
「まずは、帳面の名前を五十音順に並べてもらいましょうかね」
そして、二人で腹を抱えて大笑い。最後の最後まで何なのよ、この双子は!
「出て行って 問答無用 なる早で。荷物まとめは 手伝いますよ」
「でも、野々子ちゃんがエンマ様の補佐をするとなると……学校やかるたはどうするの?」
「やり切った 未練はないの 地上には。冥府に来るのが 目標だから」
中学校を辞めて、かるたも捨てて、本気で冥府に身を置く気だ。
負けておいて何だけれど、聞かずにはいられなかった。
「それって、野々子ちゃんの人生にとって、正しいことなの?」
「わたしから 退くとでも? 見苦しい。エンマ様からも 言ってください」
野々子ちゃんが頬を膨らませ、エンマ様を振り返った。わたしも恐る恐る見上げる。
エンマ様は、冷たい目でわたしたちのやり取りを眺めていた。そして静かに双子へ問いかける。
「三本勝負じゃないのか」
「はい、しかし、最終戦をしたところで、勝敗はすでに決まって……」
「三本勝負じゃないのか」
こわ。絶対にルールを曲げないタイプ。
司命も司録も口をぱくぱくさせていた。顔を見合わせてから、観念したように司録が言う。
「三本目の対決に進みましょう」
わたしは思わずこぶしを握った。鶴の一声とはこのことか!
もはや野々子ちゃんに勝つことはできない。でも三本目において、勝つだけでなく、わたしを置いておくメリットを見せられれば、捨てられずに済むかもしれない。
わたしは立ち上がり、双子を押しのけた。足が重い。そういえば、いつもは死者の前で座りっぱなしで、あんなに走ることなんてない。
二、三歩、進んだところで、視界ががくんと崩れた。
「わっ」
片足の膝が抜け、引っ張られるように全身がバランスを失う。倒れる――!
息をのんだ瞬間、ぐいと腕を引かれた。少し強引に、完全に迷いなく。
気づけば体を支えられていた。すぐ目の前に、煙水晶の瞳。エンマ様がわたしを見下ろしている。
「す、すみません」
反射的に謝る。慌てて離れようとしたが、腕をつかむ手は緩まない。軽くじたばたしてみるが、エンマ様の冷たい指先が余計に食い込むだけだった。動きを封じられている。
「大丈夫ですから」
へらへらと笑って見せる。
すると、この世の終わりかと思うほど冷え切った声が落ちてきた。
「おれに嘘をつくな」
背筋が震えた。ああ、そうだ。この人は、地獄の手前のエンマ大王。他の誰をだませても、この人にだけは通用しない。
でも、とわたしは思う。だましたつもりはない。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。今まで幾度となく口にしてきた気がする。そのどれもが本心で、今だってそうだ。ふらついたのは確かだが、本当に大したことはないのだから。
「〝大丈夫〟は、嘘ではありませんよ」
まっすぐに瞳を見つめ返すと、エンマ様は、はっとしたように硬直した。力がわずかに弱まる。
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