表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/77

3-9 大切な物の置き場所は?

 司命(しめい)が「食べないなら、くれ」と言いながら、パフェを器ごと奪い取ろうとする。

 さっとかわし、わたしが向き直ったのは、司録(しろく)の方だった。


「アマノジャクが、生き物の弱さや迷いにつけ込むというのは本当?」

「はい。相手が心の底に押し込めている疑念や不安を嗅ぎ取り、それを言葉にして投げかけてくることがあるとされています。鏡映しやオウム返しにも近いですね」

「ということは、天岩戸(あまのいわと)に現れたアマノジャクは……」


 わたしが視線を向けると、アマテラス様はきょとんと目を丸くした。


「あなたが他の神々に対して抱いていた疑惑を、そのまま口に出したのかもしれませんね」


 アマテラス様が扇子で口元を隠す。


「あらやだ。それって、わたし、とっても失礼じゃないの」


 自分は本当に大切にされているのか。自分ではなく、光が必要なだけではないのか。用が済めば捨てられるのではないか——そんなことを、太陽神ともあろう御方(おかた)でも悩むものなのか。なんと人間らしいことだろう。


 それからアマテラス様は、ふと思い当たったように扇子を下ろした。


「もしかしたら、不安を感じていた相手は、神々ではなく、()だったのかもしれない。本当はわたしの正体を知っているのでは、だから近づいたのではないかって……恋しているときって、おかしなことを考えるものよね。そうでしょう?」


 いたずらっぽく肩をすくめる。


「岩戸に隠れることを思いついた最初の動機もね、実は……彼をちょっぴり心配させてみたかったの。女心というものよ」


 双子は顔を見合わせた。何の話かさっぱりなのだろう。


 その傍らで、わたしは絶句していた。今の自白が本当だとしたら、世界を暗転させたあの大事件は、あまりにも個人的な感情から起きたことになる。

 手帳にこう書き足した——〝神話とは、想像以上に、心臓に近い場所で生まれるものらしい〟と。


 もうひとつハテナが浮かんだ。では、さっき自分の部屋に現れた天邪鬼は、一体、誰の疑念を映していたんだろう? 再びアマテラス様のものだったのだろうか。


 答えを考える間もなく、アマテラス様が「ご馳走様でした!」と手を合わせた。


「あれえ、もう召し上がったのですか? 随分と、食いしん坊であらせられて……」


 司命は思ったことをそのまま口に出す。その頭を、司録の平手が容赦なくすぱーんと叩いた。


「もう高天原(たかまがはら)にお帰りになりますか? その前にお願いが——」


 慌てて切り出すと、アマテラス様はくすりと笑った。わたしの言いたいことを最初からわかっている顔だ。


 懐に手を差し入れると、指先にきらりと光るものが現れた。


「大切な物は、手放しちゃだめよ」


 そう(さと)しながら、わたしの後頭部に手を回す。体ごと力強く引き寄せられた。


「え、あ、ちょっと」


 首元に覚えのある感触。ヒイ様の首飾りだ。慣れた手つきで紐を結んでくれる。


「ほら。よく似合ってる」


 その声は慈愛に満ちていた。ひょっとしてアマテラス様も、幾度となくこの言葉をかけられたのかもしれない。お世辞でも儀式でもなく、ただ恋人とのさりげない日常の中で。


「クレーム改善の件は、再検討するよう家族に伝えておくわ。エンマには、アマノジャクを追っ払ってもらった恩があるしね」


 アマテラス様はてきぱきと言った。すべてお見通しのようだ。椅子から優雅に立ち上がる。


「こんな暗がりでよろしければ、また遊びに来てくださいね」


 少し名残惜しかった。決して友達とは言わないが、女子会ができる仲だ。そんな相手は初めてできた。

 

 アマテラス様はわたしを見下ろしていたが、何かをぱっと思いついた顔をした。颯爽と手洗い場に向かうと、空になったパフェの器をすすぎ、清らかな水を溜める。


「元気も明るさも求めないけれど、せめてこれくらいはあってもいいでしょ」


 そう言って、髪に挿していた曼殊沙華(まんじゅしゃげ)を抜き取った。深い紅の花弁が指先でかすかに揺れ、そのまま水を張った器へと移される。

 アマテラス様はそれを食卓の中央に置いた。


「い、いけません。これはいただけません」


 アマテラス様は身をかがめ、わたしの目を優しくのぞき込んだ。


「れいれいが持っていてくれた方が、意味があるのよ」


 言葉を失うわたしの肩を、アマテラス様はぽんと叩いた。


「取材のお礼ってことにしておきなさい。あの女の半鬼(はんおに)にも、驚かせて悪かったと詫びておいてね」

「あ……ありがとうございます……」


 おずおずと頭を下げる。

 アマテラス様はにっこりと微笑んだ。


「れいれい。もしも好きな人ができたら、あまり待たせちゃだめよ。すぐに思いを伝えなさい。時間って、思っているよりもずっと貴重で気まぐれなんだから」


 そして、のんきな顔で「いつでも呼んでね」と言い残すと、ひらりと衣をひるがえし、堂々と食堂を去っていった。

 わたしは双子とともに呆然と見送る。三人の真ん中で放射状に開く曼殊沙華は、まるで小さな太陽の名残のようだった。


 扉が閉まり、静まり返った食堂で、最初に口を開いたのは司録だった。


「……焼き芋、好きな人がいるのですか」


 いや、と言い返す前に、司命が口を挟んだ。


「えーっ。れーちゃんがどこかに嫁いじまったら、おれ、辞表を出すわ」

「馬鹿なことを」


 司録があきれて首を振る。


「だってさあ、いじめる相手がいなくなるじゃん!」


 司命は頬を膨らませ、ぶうぶうと不平を並べ立てた。決着しない双子のいさかいに、思わず苦笑する。パフェの甘い香りと平和がくすぐったい。


 そんなわたしたちを、たった一人、厨房からにらんでいたのは桃鬼さんだった。

天照大神が祀られている、三重県の伊勢神宮。そばを流れる五十鈴川のほとりには、秋になると曼殊沙華が咲きます。誰が最初に植えたのかは、神のみぞ知る……


平日は毎朝7時頃、土日祝は正午頃に更新いたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ