3-7 恋の結末は?
「……さぞお辛かったことでしょう」
口をついて出たのは、使い古されたありきたりな言葉だった。
嫌だ嫌だ嫌だ、どうしてこればかりしか出てこないんだろう。目の前の痛みに、指先すらも届いていない。他者の気持ちに寄り添うには、想像や、借り物の知識では足りない。あまりに経験が少なすぎる。苦しい。もどかしい。
そしてわたしは、もうひとつの答えもつかみかけていた。
「あなたがわたしに依頼した記事は、有象無象の読者を対象としたものではないのですね」
アマテラス様は、いたずらを見抜かれた子どものような顔をした。
「そう。彼に伝わればそれでいい。まだ神でいるのかも、どこかの道に転生したのかもわからないけれど、あなたの記事なら届くと思ったの。わたしったら、未練がましいかしら?」
その言葉を受け止め切れず、思わず視線を逸らした。自信がない。恋を知ろうともしない自分に、この恋心をきちんと記すことができるだろうか。
そんな不安を見て取ったのか、アマテラス様はふっと笑った。
「でも、もういいの。話せてすっきりしたから。今さら何が変わるわけでもないしね。記事の件は忘れてちょうだい」
声色は明るいのに、その瞳にはどこか取り残されたような影が残っていた。
ああ、またこれだ。ヒイノミコトも同じことを言っていた。神様というものは、どうして〝今さら〟とあきらめるのかな。長く生きた分だろうか。
本当にそれでいいの?
手帳には何も記していない。それでもわたしは、確かめるように頭の中でページをめくった。アマテラス様だけでなく、五十鈴様の思いを理解したかった。聞いた話を最初からすべてなぞる。ふと思考が一点で留まった。
「五十鈴様は、あなたが天岩戸に入るのを懸命に止めたと」
「そうよ。必死だったわ。怯えているようにすら見えた」
アマテラス様は、ついでに「女の子のために必死になる男の子って、可愛いわよねえ」と余計なことをつけ加えた。
引っかかったのは、そこだ。ちょっと岩戸に入ると言われただけで、そこまで切羽詰まるだろうか? アマテラス様がときめくほど必死に? しかも、すぐに出ると約束したのに。
そしてついに、頭の中で光が点いた。吹いたら消えてしまいそうな細い光だ。
「本当に、あなたの正体を知らなかったのでしょうか」
光を逃がすまいと、考えをそのまま口にする。
「あなたが隠れれば、世界に何が起こるかを理解していたからこそ、本気になって止めたのではありませんか」
アマテラス様のまつげが、わずかに揺れる。
「言ったでしょ。五十鈴は目が見えないのよ」
アマテラス様の口調が少しだけ強くなる。でも、ここで怖がってはいけない。エンマ様と比べれば何てことないじゃない。
双子に教えてもらったことを思い出す。
「地上以外では、本質が容姿に現れる。つまり外見はそれほど重要ではないのです」
わたしはまっすぐにアマテラス様の姿を捉えた。
「五十鈴様は、あなたがアマテラスオオミカミであることを、最初から知っていたのではないでしょうか」
推理を聞いたアマテラス様は、「まさか」とだけつぶやいた。
あきらめない。
「あなたは、五十鈴様の名を呼ぶだけで、顔を赤くしていらっしゃいましたね」
「え」
「ほら、今も」
アマテラス様が自らの頬に手を当てる。顔だけでなく、耳のふちまで真っ赤になっていた。
「きゃっ、恥ずかしい」
「ひょっとしたら、五十鈴様に名を呼ばれたときも同じ反応をしていたのかもしれません。アマテラス様って、すごくわかりやすいですから」
アマテラス様は、両手で頬を包み込んだまま、きょとんとした。
「あなたにひれ伏さず、〝ヒメちゃん〟と呼び続けたのは、正体を知らなかったからじゃない。それこそが、あなたの求めるものだと気づいたからではないでしょうか」
沈黙が落ちる。それは否定を探すための間ではなく、真実らしきものがゆっくりと沈んでいくしじまだった。
見えていなかったのは、五十鈴様ではない。アマテラス様だったのだ。
「わたし、書きます!」
出し抜けにアマテラス様の手を取った。
「本当に正体がバレていたかも、なぜ姿を消したかもわかりません。でも、確かにそこにいました。あなたと笑い合い、同じ時を過ごしていたんです。あなたとわたしが、五十鈴様の証人です」
勢いに押されたのか、アマテラス様は唖然としていた。万力で握りしめられている手を見下ろす。やがて——
「そうね。結末は、全部わかってしまうよりも、わからないままの方がずっとロマンチックだしね」
くすりと笑った。長い間胸に秘めていたものを、そっと手放したような、軽やかな笑みだった。
その表情を見て、わたしもようやく息をつく。しかしすぐに顔面蒼白になり、慌てて手を離した。
「わ、わたし、無礼な真似を……」
言葉尻が情けなくしぼむ。
「いいのよ、れいれい。あなたなら」
アマテラス様は、わたしの手を握り直した。裁きの間で執筆依頼をされたときと同じ熱が伝わってくる。
「アマテラス様。ヤマタノオロチの記事のことで、怒っていたのではないのですか?」
「いいえ? 弟とは縁を切ったようなものだし」
「ええっ。じゃああれは、記事を書かせるための芝居——?」
「そもそも〝完全悪〟から草薙剣が出てくるなんて、おかしな話だと思っていたの。〝元・川の神〟なら腑に落ちるわ。それにね、神話は語りものよ。エンタメと思っているから大丈夫」
おどけたウインクを決められた。
「またいつでも、女子会しましょうね」
風船から、しゅるしゅる……と空気が抜けるように、わたしの緊張もほどけていく。
美しくて、賢くて、良い神様だ。
そのとき、部屋の灯りが揺れた気がした。二人で見回すと、部屋の隅の空間がずるりと歪んだ。影が立ち上がる。あれは、まさか——
「アマノジャクよ!!!」
アマテラス様が絶叫した。




