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3-4 天岩戸の内側は?

「後出しと言われればそれまでなんだけれどね。本当は、もっと早く天岩戸(あまのいわと)から出るつもりだったの」


 扇子の陰から、アマテラス様の目だけがのぞいている。


「早くというと?」

「世界から光が消えたらすぐに、よ。ちょこっと脅かすだけのつもりだったんだから」

「どうして、そうならなかったのですか?」

「出たのよ」


 声がすうっと低く落ちた。まるで深い井戸の底に吸い込まれるように。


「岩戸の中に。アマノジャクが」


 ペンを止めた。天邪鬼(あまのじゃく)? それって性格のことじゃないの。素直になれず、わざわざ逆らってしまうような人を指す。


「アマノジャクという生き物がいるのですか?」


 アマテラス様がうなずく。そのかすかな震えが伝わってきて、わたしの背中にも、ぞわりとしたものが這い上がる。


「どんな生き物ですか」

「鬼よ。地獄にも鬼はいるでしょう。命じられたことを正確に遂行する獄卒(ごくそつ)たち。残忍で冷酷。でも、嘘はつかない」


 アマテラスの目が細くなる。


「けれど、あれは———アマノジャクは、嘘をつく」


 嫌悪を押し殺したような声だった。

 より鮮明な像を引き出すべく、わたしはたずねる。


「どんな見た目ですか」


 アマテラス様が目を伏せた。まぶたの裏に映像が焼きついているかのように。


「影みたいだった。真っ暗な岩屋が、わたしが隠れたことで明るくなったの。そこに生まれた影。顔はあるのに、どこか定まらなくて……見るたびに顔つきが変わるの」

「他におかしな点はありましたか」

「声も変だったわ。低くも高くもない。耳ではなく、頭の内側に直接届くの」


 アマテラス様は目を閉じたままだ。それはどれほど異様な体験だったろう。誰もいないはずの閉ざされた空間。そこに予期せず現れた悪鬼。たった一人で対峙するしかない。さぞ恐ろしかっただろう。


「アマノジャクは、どんな嘘を?」

「外で神々たちがわたしを説得している間、傍らでずっとささやいていたわ。『きみは本当に大切にされているのか?』『求められているのは、きみ自身ではなく、太陽の光だけではないのか?』『困ったときだけ呼ばれて、世界に光が戻ったらすぐに捨てられるかもしれない』」


 扇子を持つ力が強まり、骨が軋む。


「ひどいでたらめを」

「そうね。今のわたしなら笑い飛ばせていたかも」


 アマテラス様の口角が、自嘲気味に上がった。


「でも、あの特異な場では、はっきり嘘とは言い切れなかった。弟のことで心が乱れていたし……自分でも何が真実なのかわからなくなっていたわ」


 もはや急かす必要はなかった。言葉が勝手にこぼれ落ちる。それを拾い集めるだけでいい。


「最後にこう言われたの——〝それでも出るかどうかは、きみが決めればいい〟と。わたしは腰が抜けてしまった。ほとんど放心状態で、外の騒ぎなんて聞こえやしなかったわよ。丸一日が経って、ようやく踏ん切りがつき、岩戸から出たら、たまたまアメノウズメが踊っていた」

「そして、つまみ出されたと」


 アマテラス様は、そういうこと、と微笑んだ。


「結局、アマノジャクの目的は何だったのでしょう?」


 わたしがたずねると、アマテラス様は少し考える素振りを見せた。


「さあね。からかっただけじゃない?」


 かえって不安を煽る答えだった。


「岩戸を少し開けたとき、外で待ち構えていた神が鏡を差し出したわ。のぞき込むと、肩越しにいるはずのそれは消えていた。わたししか映っていなかったの。不気味よね」


 また寒気がした。これはもう怪談話だ。

 わたしが手帳に書き込んでいると、アマテラス様が、ぱん、と扇子を閉じた。


「これが事の顛末(てんまつ)よ。さあ、記事を書いてちょうだい」


 あまりにも急な幕引きに、拍子抜けした。


「え? もう取材は終わりですか?」

「そうよ。これ以上、つまびらかにすることもないもの」

「できればもう少し詳しく、岩戸の中で何を考えていたかも聞きたくて……」

「言ったでしょう。放心状態だったの。アマノジャクにちくちくといじめられ、泣きべそをかいて、間抜けにへたり込んでいただけよ」


 アマテラス様は、扇子の先で布団を叩いていた。


「とにかく——すぐに岩戸を出るつもりだったこと。アマノジャクのせいで叶わなかったこと。この二点を書いてくれれば、それでいいから」


 はっきりと、深入りを拒む響きがあった。予告なく鍵を閉められたような気分だ。どうやって取材を続けよう。


 考え抜いた末、対話の中で抱いた小さな違和感を追いかけることにした。


「あなたは、岩戸をすぐに出るつもりだったとおっしゃいました」

「何が言いたいの?」

「随分と計画的だったんですね」


 アマテラス様は、ゆっくりとまばたきをした。


「だって、あんまり待たせたら悪いじゃない」

「それなら、そもそも隠れなければいいのでは——」

「若気の至りよ。ごめんなさいね」


 にこやかな笑顔。雅やかで、非の打ちどころがなく、何かを隠している。


 これ以上は追及すべきではないのだろう。〝取材NG〟になりかねない。下手をすれば、またあのギラギラの陽光を浴びせられ、今度こそ焼き尽くされる羽目になるかも。


 ——しかし記者には、決して引き下がってはならない瞬間がある。それは、取材対象者が罪を犯したときだ。読者を代表し、その説明を求める。それが記者の仕事であり、義務でもある。


 アマテラス様は天岩戸に隠れた。その結果、世界は闇に沈んだ。自分以外の全員を困らせた。本来、これは罪に値するだろう。

 太陽神だろうが関係ない。他者に迷惑をかけた以上、理由は聞かせてもらわなければ困る。


 まだ取材は終わらせない!

平日は毎朝7時頃、土日祝は正午頃に投稿いたします。

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