3-3 天照大神は恥ずかしい?
「ねえ、れいれい。好きな人はいる?」
枕を抱えるアマテラスオオミカミに、きょるんとした瞳でたずねられた。
わたしはまばたきをし、あっさりと答える。
「いえ」
「まあっ! こんな陰鬱な場所でひもすがらこき使われて、恋人もいないなんて。どうやって正気を保っているのかしら」
信じられない、という顔で胸に手を当てるアマテラス。
「逆に、こんな場所で、誰を好きになれとおっしゃるのですか」
冥府の登場人物といえば、氷像みたいな魔王、嫌がらせ大好きブラザーズ、お料理おじさん、あとは鬼の群れだ。前半は悪人の一歩手前みたいな人たちだし、後半は善人ではあるが、漏れなく頭に尖った角が生えている。
「じゃあ、じゃあ、これまではどんな殿方とお付き合いしてきたの?」
「えっと、ゼロです」
「きゃーっ、たくましいのねえ。れいれいは可愛らしいから、学校でモテたでしょうに」
「モテたことはないです」
「嘘ばっかりい」
高校二年生。同級生では、付き合っている人もいない人も半々くらいだった。だから恥ずかしくはない。恋人が欲しいと思ったことすらなかった。それほど新聞部の活動に熱中していた。
……このアマテラスという人物。容姿は二十代前半だけれど、本当は二千歳くらいだよね? 精神年齢でいえば、わたしよりも女子高生かも。
「いつかきっと、れいれいのすべてを受け止めてくれる人が現れるわよ」
アマテラスの言葉に、そうでしょうか、と首をひねった。
「わたしは自分よりも他人に興味を持つ性分なので……朝から晩まで質問攻めにしてしまいそうです。うっとおしがられるかと」
「そんなことはないわよ。おしゃべり好きな人とは気が合うでしょうし。無口な人にとっても、聞き出してくれる相手がいるのはありがたいものよ」
「いえいえ、無口な人は、どこまでいっても無口ですよ」
脳裏に浮かんだのは、帳面と向き合うあの横顔だった。
「質問を十投げても、一返ってくるかどうか。たまに返ってきても単語一つ。あれは会話じゃなくて、修行——」
そこで、はっと我に返る。
アマテラスはにこにこと微笑み、話の続きを待っていた。
まずい。こちらが取材されている。耳まで一気に熱くなった。な、に、が、〝自分よりも他人に興味を持つ性分〟だ!!
そして疑念が芽を出す。アマテラスの幼稚っぽい振る舞い、そのすべてが芝居なのではないか——
動揺を抑えるため、間を置いた。少なくとも今、アマテラスに攻撃の意思はないようだ。このまま穏便に済ませたい。状況を整理しよう。
よく考えれば、太陽神ともあろう御方が、わたしの恋愛沙汰に興味を持つとは思えない。
頭の中で豆電球が灯った。そうだ、これは雑談ではない。取材で何度も経験したじゃないか。
こちらへ無造作に投げられる質問。それは往々にして、相手自身が語りたい話題そのものだ。
アマテラスが求めていたのは、当然、わたしの恋愛観ではなかったのだ。それはただの前振り。ふーっと息を吐き、気を引き締める。
「アマテラス……様には、今、好きな方がいらっしゃるのですか?」
途端にアマテラス様は机に突っ伏した。紅を引いた唇を尖らせる。一気に表情が豊かになった。思った通りだ。
「いないわ。このわたしに見合う男がどこにいるというの」
……確かに。名家の令嬢が相応のご子息と結ばれるように、アマテラス様にしたって、よほど名のある神でなければ釣り合わない。
「わたしを見ると、誰もが決まって身構えるの。恐れ多いなんて頭を下げられてしまえば、もう……お互い恋愛対象になりっこないでしょう?」
嫌味でも誇示でもなくただ嘆く姿に、なんだか同情した。神様も人間も悩みは同じね。
「でもね、れいれい。あなたは平気で弟に恥をかかせたわ。わたしが冥府に現れたとき、一体何者かとにらみつけたわね。愚かしく、無知で、度胸のある子。それに、ヤマタノオロチの記事を読んだところ、執筆の腕も十分だわ。だからあなたを、わたしの神話の証人にすると決めたの」
アマテラス様はここまでを一気に言い切った。
目つきの悪さを気に入られるとは。いや、気に入られたわけではない。エンマ様と同じで、わたしの〝取材の腕〟を見そめたのだ。心を開いてもらえるなどと思い上がってはいけない。
「承知いたしました。取材させていただくので、まずは手帳を返してください」
「あなたって、返せ返せばっかり。物に執着しすぎじゃない?」
「だって、必要だから……」
アマテラス様は寝台の天蓋を見上げた。
「太陽をご覧なさいよ。毎朝まっさらじゃないの」
「どういう意味ですか?」
「昨日の雲も、夕焼けも、温度も、全部置いてくるの。持ち越したら、空が大渋滞になるもの」
太陽神にミニマリズム論を語られるとは。毎日、宇宙規模の断捨離をしているらしい。
「では、アマテラス様が大切になさっている物はないのですか」
アマテラス様の視線がわたしに戻ってきた。曼殊沙華を挿した長い髪が揺れる。
「ないわ」
わずかに、さみしそうな色。これも芝居だろうか。
「ともかく、手帳は返していただかないと」
「はいはい、しょうがないわね」
しょうがなくはない。
ため息をつき、取り戻した手帳の白いページを開く。鶴亀ペンを構えた。
たとえアマテラス様が恋愛トーク好きでも、脇道に逸れ続けるわけにはいかない。いよいよ本題へ。舵を取り返さなければ!
「神話を書き直してほしい、とのことでしたが。つまり、既存のものに、誤った箇所があるということでしょうか」
アマテラス様は、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに大きくため息をついた。
「あるに決まっているでしょう」
「はあ」
「天岩戸伝説のことよ。あれに描かれているわたし……なんだかださいと思わない?」
意外な視点だった。
「いえ、まったく」
わたしの即答に、アマテラス様は、ぶんぶんと頭を横に振った。
「だって、だって、いい大人がさんざんごねて、出てこいと呼ぶ声を無視し、気を遣わせ、手を焼かせたのよ。挙句の果てに——」
枕に顔をうずめ、ぼふっと叩く。
「アメノウズメの裸踊りと、周りの大爆笑が気になって、ひょいと顔をのぞかせたら、そのままつまみ出されるなんて。立つ瀬がなさすぎるでしょう」
言われてみれば、ちょっと笑える。でもそんなニヤつきは、おくびにも出さなかった。
「そんなそんな。お気になさることでは」
「広間にいた双子だって、〝うぬぼれ屋さん〟と言っていたじゃないの。聞こえていたわよ」
枕の向こうから、じろりとのぞかれた。双子が天照大神について手短に教えてくれた、その解説が漏れ聞こえていたらしい。
アマテラス様は本気で恥じらっているようだった。大人の乙女心というものか。でも正直、そこまで気にしているのは本人だけかと。
わたしはメモを取りながら、「でも、それが事実なのですよね?」とたずねる。
アマテラス様はじっとわたしを見つめ、おもむろに枕を脇に置いた。
「それがね、れいれい」
きらびやかな扇子を開き、口元を隠す。
「事実ではないの」
わたしは顔を上げる。
ああ、面白くなってきた。




