聖―弐―(1)
私達が村を後にして森の中へと入る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
薄暗い森の中、月明かりと星の瞬きだけを頼りに、秋虫の鳴き声と錫杖が奏でる音が響かせながら、私と師匠は肩を並べて歩いていた。
「チッ、時間を取らせやがって。夜までには森を抜けるつもりだったってのによ…」
錫杖が奏でる綺麗な音とは裏腹に、その持ち主である師匠の表情は不機嫌そのもので、苛立たしげに舌打ちしながら文句を呟いていた。
「しょうがないですよ。村の人たちも必死だったんだと思いますよ?」
「んな事、俺の知った話じゃ無い。」
「もぉ~…そんな事言ってるから、誤解されるような事になるんですよ。」
その言葉に私が呆れながらに口を開くと、師匠は不機嫌な表情のまま鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。
(もう、普段は冷静沈着なのに、たまに子供っぽい所があるんだよなぁ~)
「道はこのまま真っ直ぐで良いんですか?」
心の中でそんな事を思いながら軽く嘆息して見せて、隣を歩く師匠にそう問い掛ける。
それに対して、師匠が小さく「あぁ。」と首肯しながら返したのを見てから、ちょっとだけ歩く速度を上げて前に進み出た。
(こういう時の師匠って、機嫌が直るまで何もしたがらないからなぁ~…)
そんな事を考えながら、肩越しに振り返り師匠の表情を覗き見る。
見ると師匠は、目を瞑って何か考え事をしながら、私が歩いた後をなぞるようにして付いてきていた。
「…師匠。」
「なんだ?」
暫くの間、秋虫と錫杖の鈴の音を聞きながら無言で森の中を歩いていたけど、とうとう沈黙に堪えられなくなった私は、ずっと気になっていた事を師匠に聞こうと声を掛けた。
「あの、さっきの村の人達に言ってた事って…」
「それは鬼の話か?それとも、婆さんの話か?」
「あ、お婆さんのお話です!」
逆に問われて慌てて返事を返すと、師匠は軽く嘆息してから目を伏せた。
「…なんて事はない。何処にでも居るような普通の婆さんの話さ――」
そう前置きして師匠は、乾物屋さんで聞いたと言うお婆さんのお話を、私にも教えてくれた――
「――良いお婆さんですね。村の人達から嫌われてるのに、そんな事が言えるなんて…誰にでも言える事じゃないですよね。」
問題のお婆さんのお話しを一通り師匠から聞いた私は、思った事をそのまま口にした。
もし自分がお婆さんの立場だったら、同じ事を言えるだろうかと、そんなとりとめも無い事を思ってしまう。
「そんな人がどうして…」
そしてそれ以上に、どうしてそんな人が村の人達から嫌われているのかと、考えずには居られなかった。
だけど、そう考えた所で答えが導き出せるはずも無く、ただただ寂しくも悲しい気持ちだけが心の中に広がっていく。
「…なんて顔してやがる。俺達には関係の無い話しだろう?」
「そうかもしれないですけど、そんな言い方は無いじゃ無いですか。」
私が漏らした呟きに、師匠はため息交じりに冷たくそう告げる。
その言葉に、直ぐさま抗議の声を上げたけど、その冷たい言葉が師匠の本音で無い事を私はよく知っている。
口ではああ言ってるけど、きっと師匠も同じ気持ちなんだと思う。
そうで無ければ、普段そこまで過敏な反応を見せない師匠が、村の人達に対してあんなにも激情を露わにする筈が無いから――
不器用でぶっきらぼうで一見冷淡にも見えるけれど、ちゃんと暖かくて優しい面もある。
それが、私の自慢の師匠だから。
「いつまでも辛気くさい顔してんじゃねぇよ。俺達に出来る事は何も無い…これは村の問題だ。」
師匠のその言葉は、一見厳しいようにも聞こえるけれど、お婆さんの事をちゃんと考えての発言だとすぐに解った。
私達が不用意に関わって良い問題じゃない――余所者の私達が興味本位で関わってしまえば、この問題を更に悪化させるかもしれない。
今現在、村の中ではお婆さんを排斥しようとしている人達と、それに同調していない人達との絶妙な均衡があって、その均衡のお陰でお婆さんの安全は保たれている。
そこに私達が加わって、その均衡を傾けるような事にでも成れば、対立している人達との確執が深まり、村人同士の諍いだって起きかねない――きっと師匠は、そう言いたいんだと思う。
「はい、そうですね。でも、やっぱり…」
師匠の言葉の真意は、私にも解ってる…そしてそれが、大人としてあるべき対応だという事も理解出来る。
けど、どうしても見過ごす事に対して後ろめたさを感じて、納得出来そうに無かった。
そんな私の頭に、不意に師匠の大きな手が乗せられる。
「割りきれとは言わない。だがな、おまえのその優しさだけでは、何も変えられないんだ。」
「…はい。」
私の考えをすべて見透かしているような、師匠のその言葉――
とても厳しいその言葉に自分の無力さを痛い程感じて、その場で私は立ち止り俯いた。
私が立ち止まると、師匠もそれに併せて立ち止まり、頷いたままの私の頭をその手で優しく撫でてくれる。
「おまえは決して無力ではない、ただ出来る事に限りがあるだけだ。そしてそれは俺も同じ…結局の所、余所者の俺達に出来る事自体少ないんだ。だからおまえが、そこまで背負い込む必要なんて無いんだ。」
「はい…」
師匠の言葉に私は、ただ頷く事しか出来なかった。
これで本当に良いのかって思う気持ちは、この胸の内に確かにある。
けど、師匠の言う通りなのも事実で、答えの出ないまま想いだけがぐるぐると空回りするだけだった。
「――さて、この話はコレで終いだ。気を取り直して行くぞ、頭を切り替えろ。」
暫くされるがままで居ると、不意に師匠がそう告げて、私の頭の上に置いていた手を退けると、ゆっくりと歩き出し私の横を通り過ぎていった。
「…はい。」
その言葉に習って気を取り直した私は、先に歩き出した師匠に追いつこうと小走りになった後、並んで歩き出した。
でも、意識して切り替えようとしても、やっぱり頭の片隅でさっきの事を、どうしても考えてしまう。
そんなもやもやした気持ちを抱えながら暫く歩いていると、少し進んだ先で木が途切れているのに気が付いた。
「あっ!師匠、あれって出口じゃないですか?」
それに気が付いた私は、そのモヤモヤした気持ちを振り払うように、努めて明るく師匠にそう聞いてみる。
「の、ようだな。」
「はぁ~…何事もなくって良かったですね~」
森の終わりを見つけて、少しだけ安心した私は、安堵のため息を吐いて、師匠に笑顔を向けた。
「まぁな。獣の集団に出会していたら、流石に面倒な事になっていただろうからな。」
「もぉ~…そう思うんだったら、村で一泊しておけば良かったのに。久しぶりにお布団で休みたかったなぁ~」
「仕方ないだろ。あれだけ村の奴等と揉めたんだ。誰も俺達を泊めたがらなかっただろうし、居たとしても、迷惑を掛けちまうだけだからな。」
「まぁ、それはそうなんですけど…」
師匠もいつもの調子に戻ったみたいで、私たちは普段通りの会話をしながら、森の出口へと向かっていく。
そうこうしている内に、森の出口に差し掛かった私達は、そのまま森を抜けて、そして――
「――オイこら。」
「え~っと…アハッ!アハハハハ…」
師匠の不機嫌そうな呟きを聞いて、私は渇いた笑い声を口の端から絞り出しながら、ゆっくりと顔を師匠へと向ける。
その瞬間、師匠もゆっくりと私に顔を向けて、冷たい眼差しで私を見据えてくる。
その表情を見て私は、冷や汗を浮かべながら、ゆっくりと後ずさり始めた。
「覚悟は出来てるんだろうなぁ、テメェ…」
凄みを効かせてそう告げると、師匠は手にしていた錫杖を放り投げて、両手をバキボキと鳴らし威嚇しながら、後ずさる私に近づいてくる。
「し、師匠!あの、落ち着いて話し合う余地を…」
「言い訳は聞かんぞ、この――」
師匠の言動を見て、不安になりながらも、私は慌てて言い繕う。
けど師匠は、私の言葉を遮ると、ゆっくりと右腕を振り上げ、そして――
「――方向音痴が!!」
――ゴスッ!!
その叫びと同時に、振り上げた右腕を勢いよく振り下した師匠。
その直ぐ後、鈍い音が聞こえると共に鋭い痛みが私の頭に走る。
「イッターーーイッ!!」
私は悲鳴を上げてうずくまり、師匠のゲンコツが直撃した頭上を両手で強く押さえた。
師匠のゲンコツはとても痛くて、目尻に涙が溜まっていくのが自分でも解る。




