8 休日の休息……の筈。
さて。
お気に入りのおっさらー!
音符をつけるような心持ちで、心の中で勢い付く。
とはいえ、扱う手は慎重に。
乳白色の地に藍色と朱で絵付けされた、ちょっと古そうな、お皿。
そこに、昨夜焼いたチョコレートケーキを一切れ乗せる。チョコレートケーキはクラシックタイプ。ココアじゃなくてチョコを入れた、ブラウニーのようにぎゅっとした生地だけど、卵を泡立てて膨らませてるのでブラウニーより手間がかかってるしさっぱりしている。
合わせるのはミルクティ。ここはもう個人的な好みでシナモンを入れたロイヤルミルクティ。
うきうきしながら今日のおやつを用意をしていると、台所に面したドアが開いた。
「ケーキ食べるんですか?」
あら、目ざといわね。
「うん。昨日焼いたケーキ、一晩寝かせたから美味しい頃合いなの。綾ちゃんも食べる?」
「はい! 食べます!」
肯定の返事を待つことなく既にもう一枚のお皿は一応用意してあったのでそこにもう一切れ切り分けたケーキを乗せる。彼女は飲食物に特にこだわりがあるわけではなく、なんでも食べるし飲むのでミルクティも同じものを。こちらも倍量で用意してあったので。
「そうか、一晩寝かせた方が美味しいんですね! 今まで実家にいた時は出来上がったらすぐ食べてたから知らなかったー! 良かった、昨日仕事から帰ってきて冷蔵庫に入っていたから早速食べちゃおうと思ったんだけどお腹いっぱいで食べられなかったんですよね」
いや。おい待て。
勝手に食べようとするな。それ、誰かにプレゼントするための物とかだったらどうすんのよ。てゆーか……多分それ以前の問題だけど。
というツッコミは一応心の中に留めておく。
つい最近も煮物の中のかまぼこだけを食べるという暴挙について一言物申したところだった。……あの日は最初は黙っているつもりだったけど、結局夜中まで自分の予定がずれ込んだこともあって黙ってられなくなったのよね。寝る前に軽くお説教まがいのことをしてしまった。
でも、一応色々考えたのだ。
今後、彼女が友達や親族と食事をすることになった時、当たり前のようにそういう食べ方をしていたら絶対恥をかく。なら、初めのうちに言っておいた方がいいだろうと思ったので。
とても不服そうな顔をしていたのでちゃんと言ったことを理解したかどうかは分からないけど。
そんなことを考えながらふと。
「……ん? 出来上がったらすぐ食べるって……でもケーキだよ? 一回で食べきったりしないでしょ。残りを次の日に食べる方が美味しくなかった?」
つい真顔で訊いてしまった。
彼女、別に大家族ではない。
お姉さんがいるとはいえ、早くに結婚しているので実家には年配の両親と彼女の三人だったはず。
「え? 食べてましたよ? うちの両親私には甘いんですよね。ケーキは丸くて大きいのをよく作ってくれたんですけど自分たちはほとんど食べないで『綾ちゃんは可愛いから全部食べて良いよ』って言ってくれるんです」
「……え、それを一度に全部食べてたの?」
思わず固まってしまいながら聞き返す。
「だって折角私のために作ってくれたんだもん」
「……ふ、ふーん……」
すごいな。そういう食生活しててよく太らないなぁ……とつい感心してしまう。
もうこの感心の仕方は別次元だと思うけど、いいの、こういう突拍子のない話を聞いてるとだんだん感心のしどころが変わってくるんだと思う。
現に彼女、ほっそりしているというよりはがっちりしたタイプだとは思うが、決して太ってないんだよね。
そして、食生活。
油物大好きで、なんなら豚の角煮は油が浮いたスープも残さず飲んでた。鍋ごと。
それで均整の取れた身体付きなのは、代謝がいいからなんだと思う。
代謝がいいというか……物凄い汗かきなのだ。二月の寒い夜にアイスクリームを食べながら汗かいてたもんね。「食べると暑くなるんですよね」って言いながら。
「あ! 春華さんのそのお皿、すごく良いですね! おしゃれー!」
思考があらぬ方向に行っていた春華が現実に引き戻された時には、目の前の綾はすっかり自分の分のケーキを食べ終わっていた。
なので、思い出したように春華も自分のケーキを一口分フォークで切りながら。
「うん、良いでしょこれ。頂いたんだ! これは私のお気に入りよ」
と満面の笑みで切り分けたケーキを口に運ぶ。
うん、美味しい。
そして味わいながらお皿を眺める。
うん、幸せ。
美しい物を見ながら美味しいものを食べるのって、癒される。
「良いですね、それ……」
なんだか不穏な空気を感じて春華が視線を前に戻すと、綾が春華の手元の皿をじっと見ている。
「え……?」
思わず聞き返すと。
「私もそれ欲しいです!」
「は?」
つい速攻で聞き返す。
と。
「そういうのは、可愛い子には特別に譲ってくれたりしますよね?」
いやいやいや。何を屈託のない笑顔で仰ってんだか。
「ダメよ。これは私が貰った、大切なお皿なんだから! あ、ちなみに私のなんだから勝手に使うとかもなしだよ?」
ここは釘を刺しておく。
心が狭いと言われてもこれは譲れない。
だって、この子、本当にあらゆるものを壊すんだもん。
ここ数ヶ月でいくつのお皿やコップが割れたり欠けたりしたことか。そして全く反省しないのだ。人様のものを壊しておいてちゃんと謝らない。笑いながら「ごめーん」という程度。
「えーケチー」
そう言いながら冷蔵庫に歩み寄り、躊躇いもなく、先ほどしまったケーキの残りを大きく切り分けて持ってくる綾に……もう何も言いますまい、と春華は深めのため息を吐く。
「あ、そういえば! これ、木下さんに褒められちゃったんですよね!」
テーブルに置いていたスマホについているストラップを見せながら綾が楽しそうに話を切り替えた。
ストラップチャームにしてはちょっと大きいそれは、五センチ四方くらいのアクリルケースに入った刺繍だった。
店の商品でクロスステッチの子供向けのキットだったと思う。
真ん中にデフォルメされたイルカがいる、けど……ちょっと離れたところから見てもわかる。刺繍の刺し方が雑。……まぁこれは向き不向きがあるだろうから黙っとこう。
「えー、もう見せに行ったの?」
あれ、この子、ついこないだこれ買ってきたんじゃなかったっけ? 作るの自体はそう時間がかかるものじゃないけど、お店に行ったってことは……あれ、仕事の休みってそんなにあったんだ?
「そうなんです! 木下さんと色々おしゃべりもして楽しかったなー。もう木下さんは私の味方ですからね!」
自身の疑問とは全く関係ない綾のセリフに一瞬ついていけなかった春華が「?」となるも、綾の方はそれ以上詳しく何かを説明する様子でもなく大きく切り分けたケーキを口に運ぶことに専念し出した、ので。
「綾ちゃんて、仕事は週に何日行ってるの?」
春華の方も自分の疑問の方を優先する。
「えー、二日ですよ? 正確には一日半、かな」
「え……二日……? え……ちょっと待って、それで生活できる……?」
春華が驚いて聞き返す。
いや、看護師の仕事は儲かるって本人が言ってたけど。
彼女がうちに転がり込んできたのは今年の年明け早々。
その前に働いていた病院を辞めてこっちにきて、で、新しくこの近所の医院に就職先が決まっていた。
前の病院では夜勤もあってかなり稼いだという話は聞いている。蓄えも多少はあるのだろうが。
「だって私、そんなに贅沢しないからお金使わないんですよね。それなら働くより楽しく過ごした方がいいじゃないですか」
コロコロと笑いながらそう言ってのける綾に。
うん、まぁ、確かに洋服も高価なものを買ってくるとはいえ型崩れしても気にせずずっと同じものを着てるわけだし、持ち物をブランド品で固めてるわけでもない。なんなら洗濯物を見てびっくりしたけど、下着なんか中学生の時に母親に買ってもらったものをまだ使ってると言っていた。現在二十五歳だけど。
当面の生活には困らないのだろう。
でもさ。
「うん……まぁ……それはいいけど……ちゃんとかかる費用を計算してる?」
「え?」
なんかすごく、不安になる、ので。
「例えば、よ。病気になって仕事を休むようになった場合、その分医療費の出費はあるけど仕事は休むから収入は減るでしょ? そういう時のために余分な蓄えって必要よね?」
「えーだって私、子供の頃から風邪だって滅多にひかなかったんですよ?」
「いや……そういうことじゃなくて……あ、あとね、綾ちゃん車持ってるでしょ? あれ、車検の時にはお金かかるんだよ? 保険とか税金とかもあるし。あと事故起こしたりしたら保険料上がったりするし、もし事故じゃなくてもぶつけて傷つけちゃったりしたら直すのにお金かかるよ?」
そういえばこの子、初心者マークでうちに来てるし、お世辞にも運転上手とはいえないから一緒に買い物に行く時は私が運転を引き受けてるんだった、と思い出して春華が思いつくままに言ってみる。
と、綾もさすがに考え込むようにちょっと黙ってから。
「えー、でも私、うちの親から『綾ちゃんはいつも慎重だね』って言われてるんですよ? 事故なんか起こすわけないじゃないですかー。それにあの車、新車だから車検はまだ先なんですよ? 税金とかだって滅多にあることじゃないしね!」
「え、え? 滅多にない……って何? 定期的に支払うものなんだけど?」
なんか色々ツッコミどころがありすぎて頭がついていかないまま最後のフレーズだけに春華が反応する。
「んー……そういうのは言えば親が払ってくれるかもしれないし」
あー……なるほど……そっちか……。
親を当てにできるお年頃なんだね……それなら良いのかな……と思いかけて。
「あれ? だって綾ちゃんのご両親、もう年金生活って言ってたよね? しかもご実家はお金ないって言ってなかった?」
そう。うちに転がり込んできた理由の一つがそれだった。
確か家賃数万円の古いアパートで生活するのがやっとなご両親は駆け落ち同然でご結婚された身で、親族からの援助は一切なく、食費がかさむ娘が家を出た方が少しは楽になるだろうという理由。
しかもその娘は稼ぎがあるにも関わらず「うちの両親は私には甘いから私からお金は取らないんですよね」とのことで、彼女はしっかり親に養ってもらっていたらしい。
「あー……まぁそうなんですけどねぇ……」
ケーキを頬張りながらウフフと笑う綾に。
「……もっと働け」
思わず低い声でそう言い放った春華だった。
「あとは買い物に行っておかないと、か」
ケーキを食べ終わって後片付けをしてから春華が呟く。
「え、買い物行くんですか?」
スマホをいじっていた綾が顔を上げた。ので。
「うん。冷蔵庫の中身がほぼないから今日のうちに買い出し行っておかないと、明日私仕事だし」
さっき冷蔵庫の中を確認したら今週分の作り置きおかずはすっかりなくなっていて、現在あるのはほぼ調味料。……綾が来てから食材の減りがとんでもないスピードになったのだ。一週間分と思っていたものが二日で無くなる。……どうやら彼女、あるものはあるうちに全部食べる、という感覚らしい。
……なんだかんだ言って「美味しい」と言って食べてくれるし料理が好きな春華はそれはそれで良しとしている。
せこい話、生活費は半分ずつ負担しているのに消費するのは主に彼女の方である、というのが気にならないでもないが……自分より十も若い子にそんな話をしたところで、よ。と思うので気にしないことにしているし。
「ふーん、じゃあ私も一緒に行きますー」
「あ、そう? なんか買いたいものあった?」
行く店の順番を考えた方がいいかな、と思うので一応確認。さすがに冷凍食品買った後で衣料品の店に行きたいとか言われたら困る。
「あ、そうじゃなくて。なんとなく暇だから一緒に行きたいだけですー。それにうちのお母さんは一緒に買い物に行ってあげると帰りにお菓子とか買ってくれたんですよね!」
……買わないぞ。
思わず眉を顰めて綾の方に視線を送ると。
「可愛い子には何か買ってくれますよね?」
と、首を傾げる。
……本気かオイ。
と、返す言葉もなく春華が綾を凝視すると。
あれ……?
いや、可愛い子っていうフレーズに思わず顔を凝視しちゃったんだけど……うん、まあ彼女、どちらかというと可愛い顔立ちはしている。目鼻立ちははっきりしてるし、セミロングの髪は黒くてまっすぐストレート。ちょっと子供っぽいのは言動のせいだけじゃなくて顔立ちも幼いせいだと思う。ひょっとしたら中学生でも通るんじゃないかと思っている。
が。
今のツッコミポイントはそこじゃない。
そういえばストレートヘアに憧れる春華が彼女の髪を「サラサラストレート」と認識していなかったことに今頃気づいた。
で。
「綾ちゃん、一番最近、いつ髪の毛洗った?」
思わず聞いてしまう。
「……え?」
きょとんとする綾に、春華の表情が固まる。
サラサラじゃないのだ。見るからに。
なんなら……白いものがところどころについているけど……あれ、フケだ。
う、嘘だ……最近の若い子ってこんな感じなの?
「いやだって、フケ……ついてますけど……」
なんなら見た目がだいぶ脂っぽいけど。
と、春華が眉間にシワを寄せると。
「えー? 櫛でとかしてから行けばいいかな?」
綾は恥ずかしがるでもなくそう言って一旦部自分の屋に入っていった。




