6 これも日常
そらきた!
だから言ったじゃない!
……いや、言ってないけど。
春華がそんな思いで店のレジカウンターを挟んで正面にいる「お客様」にそろりと視線を向けた。
「あのね、いくらなんでももう十日も経つんですよ? 遅すぎませんか?」
「はい、大変申し訳ありません。ただいまスタッフも急いで対応にあたっているのですが……」
もう、どこまで説明したらいいんだろう。
例の、オーダーでクレームになったお客様が自ら乗り込んでいらっしゃいました。
そりゃそうだ。あれから十日。
一週間かかったとしても長すぎると思うけど十日。
そして事務所に作りかけの「おまけ」があることを知っている春華としてはシラを切ることもできないし、今日出勤しているスタッフの中では古参に入るので他のスタッフに対応を代わってもらうわけにもいかない。
「うちの主人がね、対応が遅すぎるって怒ってるんですけど」
あ。
そうか。
と、相手の話のニュアンスを聞き取りながら春華が落とした視線を上げる。
「ええ、ご主人様のお怒りはごもっともだと、私も思います!」
ちょっと熱を込めて答えると、相手の表情がわずかに和らいだ。
うん、そうだよね。この方、多分自分が怒ってるというよりは旦那さんが怒ってるから仕方なく店まで来たんだ。なんかこう、板挟みみたいになってる感じ。本人はむしろ穏便に済ませたいのに旦那さんがそう言うから言われた通りにしてる、みたいな。
なので。
「いえね、私もいくらなんでも時間かかりすぎだと思ってるんです! しかもお客様はこの近くにお住まいな訳ではなく、遠方からわざわざこちらまで来てくださってるんですよね? それを考えたらこちらまで来てくださってご意見いただけるだけ当店としましても感謝しなければならないと思うんです」
そう、確か前回「わざわざ遠くから来たのに品物が違うなんて!」って言っていたらしいから遠方にお住まいだった筈。
そんな記憶を引っ張り出して思いっきり相手に同調する。
と。
「え、ええ。そういうことなんですよ。……やっぱり時間かかりすぎよね?」
「はい、私もそう思います。もう本当に申し訳ありません!」
そう言いながら深々と頭を下げる。
「あ、いえ、いいのよ。別にあなたが間違えたわけじゃないんだから」
「いえ! 店の者としてはそういうわけにはいきませんから」
そう言ってもう一度頭を下げる。
そして。
「対応をもっと急ぐように伝えまして、品物の方も上の者に掛け合って、お客様にご足労頂かなくてもいいようにこちらの負担でご自宅にお送りさせていただきますので!」
と付け足すと女性の雰囲気もだいぶ和らいだ。
「それならいいわ。今日もね、わざわざここに来たっていうより近くまで来る用事があったから寄ってみただけなの。主人にはあなたみたいな対応をしてくれた人がいるって伝えておくから」
よ、良かったあ!
とりあえず、クレーム案件、乗り越えました!
春華が心底ホッとしながら最後には笑顔を見せてくれたお客を見送る。
もはやこれは春華の特技のようなものだ。
なんとなく相手の口調や空気、言葉の端々から微妙な相手の感情を察することが出来る、らしい。
この人、こういう気持ちなんだろうな、というのを察してそれを汲んだ言葉を返すと相手の良い性質が引き出せたりするのだ。
ただ時と場合にもよるのでいつでも通用するわけではない。
そして、こういう事をするととても気力を消耗するのでそうしょっちゅうはご遠慮申し上げたいのだが。
「……すごいですね……高瀬さん、さすがです」
少し離れたところで様子を見ていた端田が、一難去ったのを見届けてから近寄ってきた。
「いや……うん、まあ……今回は気持ちよくお帰りいただけて良かったよね……」
春華が曖昧に笑顔を作って小声で返す。
「あ、そういえば」
端田が事務所の方に視線を送りながら何かを思い出したように。
「昨日高瀬さんのお友達が来てお菓子の差し入れを置いて行きましたよ。事務所にあるので休憩がてら高瀬さんも食べてきたらどうですか?」
「え、そうなの? え? 私の友達……?」
誰だろう?
思い当たる人が全くいないので春華が首を傾げると。
「桑野綾ちゃんて子」
「は?」
え、綾ちゃん……? うちの同居人の? 昨日、来たの?
……あ、うん。なるほど。彼女、昨日は仕事は休みだったよね。そりゃ休みの日に何をしても構わないけど……彼女手芸とは程遠い性格だったと思うんだけどな。
看護師をしている綾はなにしろ金銭的に恵まれている。
たまに夜勤をすると一回のお仕事で春華の半月分と同じ給料が出る。
デパートに買い物に行って「なんか店員さんが親切だから色々買っちゃったぁ」と楽しそうに両手いっぱいの紙袋を持って帰ってくる彼女は、高そうな服をいつも着ている割に服に頓着しなくて「これ絶対クリーニングに出さないと駄目なやつ!」という服を平気で洗濯機に入れてとんでもない型崩れを起こしたまま無理やり着ていることもある。
取れかけたボタンを縫い付ける、ということも知らなかったので代わりに春華がやってあげたところ「わー春華さんてお母さんみたーい!」とやけに喜んでいた。
「なんか、昨日は木下さんがつきっきりで色々案内して、裁縫道具一式と刺繍のキットとか本を買って行かれましたよ。あの子、これから裁縫を始めるんだって言ってたけどかなり高額のものばかり買って帰ってて……大丈夫だったかな?」
「えー……そうか……まあ、お金はあるみたいだから大丈夫だと思うけど……」
うん。
懐は心配ご無用。
心配したほうがいいのは金銭感覚ですよ……と、つい苦笑を浮かべてしまう春華は時間の区切りもいいのでそのまま休憩をとりに事務所へ。
事務所とは名ばかりのちょっとした倉庫のような部屋の一角に机があって、流し台や小さな冷蔵庫があり、スタッフが時間差で休憩を取るスペース。冷蔵庫の隣には棚があってみんなが持ち寄ったお菓子がこれでもか、とある。こういうところが女子の職場なんだよね。
で。
その脇に、蓋を開けた紙箱。いかにも頂き物ですという菓子折りだ。
ふむ。これかな。
ああそういえば昨日は綾ちゃん、朝から出かけてたな。友達とお出かけかな、くらいに思っていたけど……もしかしてこのお菓子を買いに行ってその足でここに来たのかな?
と想像してみる。
昨日は春華は自宅の冷蔵庫が空になっていたので午前中は買い出しに近所のスーパーを回り、おかずの作り置きをある程度してから午後は例の公園で読書をしていた。夕方帰宅してからは夜遅くまで自室でひいらぎ屋に出す雑貨作りに没頭していたから……綾と顔を合わせたのは夕食の時くらいだった。
あの子、そういえば昨日は食事の後やけに早く部屋にこもっていたっけ。……刺繍のキットを買ったって言ってたから作ってたのかしら。
そんな事を思いつつちょっと高そうなパウンドケーキやフィナンシェの詰め合わせの箱から小さめのタルトを選んで机に向かう。
ふーん……手芸に興味持ってきたのかな……。
そう思うとなんとなく、ちょっと嬉しい。
多分ね、普段落ち着きがない子だけどそういう事をするようになったら何かに集中して取り組んだりして……こう、なんというか、考え深くなるというか……落ち着くようになるんじゃないか、なんて思うんだよね。
そんなこんなで、仕事が終わる。閉店。
で、帰宅。
はぁ、疲れた。
多分気疲れ。
クレーム対応ってやっぱりうまく行ったとしてもいろんなものを持っていかれる。
こんな日はお風呂に入って温まったら寝てしまうに限るな。
夕食は昨日作り置きした煮物と和風ロールキャベツが冷蔵庫に入っているし、炊飯器はタイマーでセットしてある。なので味噌汁だけ簡単に作ればオッケーな筈。
今月は一応食事の担当が春華。そして共有の場の掃除当番が綾。
一応、決めてある。
一応。
毎月交代で食事関係の買い出しから調理と、掃除関係をやることになっている。
なんだかんだで春華が掃除をちょこちょこ手伝っているとはいえ……まぁ、自分が使ったところを掃除する程度の手伝いをすれば「きれい」は保てるのでその期間の綾はそんなに大仕事にはならない筈。
トイレ掃除とかお風呂掃除、部屋に掃除機をかけるタイミングなんて人によって違うと思うから細かく決めずにその月の間きれいに保ってくれていればオッケーということにしている。
食事の担当といっても厳密には夕食だけだ。
朝は綾はほぼ食べずに出かける。ギリギリまで寝ていたいらしい。
そして仕事に向かう途中でコンビニで買って済ませるのが最近のお気に入りらしい。
昼食は二人とも仕事が休みで、二人とも予定が入っていない時はどちらかがあるもので作ることにはなっていて、綾が転がり込んできた始めの頃はそんな日もたまにあったが最近はあまりない。
「え……あれ……」
帰宅してまずは味噌汁を作ってしまってから、食後にお風呂に入るために先に浴槽にお湯を張ろうと浴室に入った春華が怪訝な顔になる。
えーと……これは……
「あの、ねぇ、綾ちゃん?」
一旦、浴室から出て声をかけると数秒の間を置いて綾が部屋から「はい?」と顔を出した。
「あ、あのね。浴槽に白衣が入ってるんだけど……あれ、どうしたの?」
そう。
浴槽に少なめに水が入っていてその中に病院の白衣と思われるものが入っていたのだ。
「ああ、あれ? 洗ってるんです。なんか汚れが落ちなくってー」
「え?」
思わず聞き返す。
いや、そんな当たり前のように言われても意味がよくわからない。
うちには洗濯機があるんですが。
そして今まで数ヶ月、白衣を持ち帰ってきてここで洗うなんてした事なかったじゃない。なんで急に?
「えーと、洗濯機で洗うんじゃなくて?」
こちらの意図が全くわからないようで、きょとんとしている綾に春華があらためて聞き返す。
「あ、そうそう。洗濯機で洗ったんですけど全然汚れが落ちないからお風呂で足で踏んで洗おうと思ってつけといたんですよ」
と返ってくる答えに。
「あ……そうなんだ……職場の洗濯機壊れたの?」
なんかツッコミどころはそこじゃないんだけど一応無難なところから聞き出してみようかな、と春華が立ち直った。
「え? 無いですようち。洗濯機なんて」
……ん?
「え、じゃあ今までどこで洗ってたの?」
私が気づいてなかっただけかな?
「ああ、今回が初めてですよ持って帰ってきたの。だって仕事の時しか着ないんだからそんなに汚れないじゃないですかー」
……え、だって……汚れが落ちないって言ったよね今。
「なんか、他の子達が白衣一着しかもらってないっていうから私も一着でいいですって言ったんだけど、先生が『桑野さんは予備であるやつを着てもいいよ』っていうからそっちも時々着てたんですよね。で、予備のやつってみんなが持ってくるの忘れた時とかに着るやつだったんだけど、今日先生から『それもう誰も着ないから桑野さんにあげる』って言われちゃってー。せっかくだから持って帰ってきて洗ってみたんです」
ああ……なるほど……だから二着浴槽に入ってたのか……って、いやいやいや、そうじゃなくて!
「えーと、二着とも持って帰ってきたの初めてなの?」
「そうですよー、食後に洗いますね。今日はもうお腹すいちゃったから!」
明るく言い放つ綾に春華は返す言葉もなく、とりあえず、食卓の準備に移る。
うん、料理はもうできている。盛り付けたら終わりだし。
なんか謎な言葉が出てたけどもういい。深く考えるのはよそう。
そりゃ、ね。そう簡単に汚れは落ちないと思うよ。
だって、その白衣、もうニヶ月以上着続けてるよね。そしてそんな状態になった白衣……他の人はもう着ないと思う。
なんか「先生ったらいい人で私に余分に着るものくれるんですー」っていう感じで言ってたけどそういう事じゃないと思う。
気を取り直して夕食。
うん、良い出来。
時間が経ってから温め直したロールキャベツは味がよく染み込んでてほかほか。私はもうこれとご飯があれば十分だけど、綾ちゃん、案外食べるんだよね。と思うので食卓には昨日作ったカボチャの煮物と、味噌汁を追加しましたよ、っと。カボチャの煮物はかまぼこを乱切りにして一緒に煮てあるからお互いがいい味を出してくれたのです。
煮物は食べたいだけ取って食べれば良いから大きめの鉢に入れてあるのでそのまま出して……あれ?
気のせいかな? と思ったけど……カボチャの煮物の中に入っていたかまぼこが……見当たらない?
いや、炊き合わせじゃなくて一緒に煮てざっと盛り付けたんだから満遍なく混ざってる筈なんだけど……?
「これ……かまぼこ入ってたんだけど……知らない?」
向かいの席で早速食べ始めている綾に声をかけると。
「ああ、それ……冷蔵庫に入ってたから仕事から帰ってきて食べちゃいましたー」
「え?」
あ、うん。そうだね、綾ちゃん、先に家にいたんだから冷蔵庫の中のものを食べる……はあるかもしれない……夕食前だけどな……でも……この感じカボチャは一個も減ってないけど……。
「えーと……かまぼこだけ?」
「はい! 私かまぼこ大好きなんですよねー」
「え? でも下の方にも入ってたでしょ?」
「そうそう。だから箸で全部引っ張り出して食べちゃいましたー! 私、結構器用なんですよ? 野菜はそんなに好きじゃないからちゃんと春華さんのために残しときましたよー」
……え……なんでそんな「私って親切でしょ」な感じで言うんだ?
なんか……色々疲れてきたからもう突っ込まなくて良いかな……。
と、春華が遠い目をする。
で。
あ、そうだ。
「そういえば綾ちゃん、昨日うちの店に来たの?」
お菓子もらったからお礼言わなきゃね。
と、話題を変えてみる。
「あ、そうなんですよー! 木下さんて人いい人ですね! なんか色々話してたら気が合っちゃった!」
なんだか意味ありげに笑いながら綾が顔を上げた。
「あ、そうなんだ? 良かったね。お菓子持ってきてくれたんだってね、ありがとう」
とりあえずお礼は大事。
「あーあれ。やっぱりね、春華さんがお世話になってるから大人としてはちゃんとご挨拶しなきゃな、と思って」
そうなんだ……大人……ふーん……まぁ、いいけど……。
「今度作った物を見せに行くことになってるんです! また木下さんに会えるの楽しみー」
そう言いながらマイどんぶりで食べていたご飯をおかわりする綾はなんだか楽しそうだ。




