4 改めまして、始まる
「そうですよね。藍染なんてそうそう売ってないですよね」
柊がくすくすと笑いながら紺色の生地を広げて眺めている。
「ないですよ。そういうのが買いたかったら手芸屋ではなくて染め物工房とかに行かないと」
春華が口を尖らせて不満げに答える。
ひいらぎ屋の店内にて。
仕事の休みに読み終わった本を返しに来た春華は思った通り自分が販売に関わった物がそこにあるのを見て早速柊に物申した所だった。
「ちょっと使いを頼むのに言葉選びを間違えました。彼、あの色の布は藍染だと思い込んでいたようで。ほら、うちの暖簾もそこで買った布で作ったと話していましたし、行けば買えると思ったんでしょうね」
柊がふと店の入り口の方に視線を送るのでつられるように春華がそちらに目をやる。
入ってくる時に何気なく潜った例の暖簾は、そういえば藍色だ。
「ええ……紺色の生地が全部藍染って……どんな家柄の出身よ……」
ちゃんとした藍染はきっと結構な金額がするはずだ。
そんな気がしてぽろっと出た春華の言葉に柊がくすりと笑う。
「まぁ、昔はよく使われてたんじゃないですか。それにうちみたいな店なら藍染を多用していても不思議じゃないのでね。あれは紫外線避けにもなりますし」
「……へぇ……紫外線避け」
昔の人の知恵は素晴らしい。
そういえば藍染って単に色が綺麗というだけのことではなくて、実用性も兼ね備えた染め物だったな。
「ああ、そういえば本はどうでしたか?」
元あった場所に返された本の方に視線を向けながら柊が話題を変えた。
「あ、あれ。面白かったですよ。どこの話なのかが分かったらもっと面白かったと思うんですけど……地名とかが古くて私にはちょっと分からなかったんですよね」
春華が思い出すように宙を見据えながら答えると柊がほう、と小さく声を上げた。
「やっぱり好きでしたか、ああいう話」
「はい! なんていうのかな、ロマン、みたいな物じゃないですか? 昔はきっと妖と人との繋がりがもっと密で人ならざるものとの交流があったんじゃないかなぁ、とか考えるとわくわくしちゃう!」
「なるほどね。……あの本、ちょっと固いかなと思ったんですが……ロマン、と来ましたか」
「あ……ちょっと茶化しすぎですかねぇ……もっと重い感じにお返事するべきだったかな。でもやっぱりちょっと憧れてしまうので」
借りていた本はいわゆる妖怪とか物怪の類についての本だった。
そういうものに遭遇したという人の見聞録、みたいな。
かといって、御伽噺のようなものではなく、何だかちょっとかしこまった……いってみれば文献、のようなもの。
……さすがにロマン、は無かったか。
そう思いつつ春華が小さく肩をすくめる。と。
「……だそうですよ」
柊が店の奥に向かって声をかけた。
「?」
え、なに。他にこの話を聞いている人がいたのか、と春華が勢いよく顔を上げる。
と。
「ああ、お前さんの見立ては間違い無いよ。それは認める。……認めるがな……」
「あ」
店の奥からのそっと出てきたのはもう何度か会っているから見た目には馴染みがある……イケオジ。
が。
「う、うわぁ……」
春華が思い切り固まった。
今日のイケオジは、目に悪い。
今日も今日とて和装だ。前回はコートを羽織っていたけど今回はがっつり和装のまま。素敵和装男子なんてこの界隈には柊さん一人いれば十分と思っていたし、この店の中なんて狭い範囲内ならなおのことだ。なのに、もう一人いる。淡いグレーの絣っぽい着物に濃紺の帯は大層良く似合っている。
……着物同好会? いやそんなものに柊さんが所属してるなんて聞いてない。なんなら私だって着物好きだ。そんな素敵な会に入ってたら誘ってくれるだろう。私が入るかどうかは別として。
……じゃあ兄弟か何かか? にしては似てない。
柊さんはどちらかというと色白な細身。イケオジは割としっかりした体つきにハッキリした顔立ち。髪色や瞳も柊さんはそもそも全体的に色素が薄いけどイケオジはしっかり黒。髪質も違う。
……業界仲間、的なやつだろうか。
「ああ、ほらそんな迫力込めて出てきたから春華さんが固まっちゃったじゃないですか」
柊が参ったな、というように頭を掻くと。
「迫力……って。別に普通だろうが」
イケオジは袖の中に手を隠すようにして腕組みをする。
……いや、サマになってるわ。
なんか物凄い、モノを見てしまった。
柊さん一人でもある意味眼福なのに、違う系統のやつまで並ぶなんて、これなんの祭りよ?
「……大丈夫ですか? 春華さん、怖がって……るわけではなさそうですね」
そろりと近づいて来た柊が少しかがみ込むようにして春華の顔を覗き込みつつ声をかけ、春華の様子を理解したように肩を落とした。
「え、ええ? 怖がる? え、なんで? 誰が何を怖がるって?」
我に返った春華がつい姿勢を正して、ついでに視線の種類をまともなものに戻しながら柊と目を合わせると。
「あ、いいんです。僕が浅はかでした。春華さんはそういうタイプじゃないんだった。……えーと、彼ね。もう知ってますよね。うちの座敷童です」
「……はいっ?」
今なんて言った?
「あれ? もう会ったことありますよね? 布の買い出しでそちらに行ったのが彼だったんですが……気付かなかった?」
「違う! そっちじゃない!」
春華の心の声がそのまま口から出た。
「え、ああ。大丈夫。春華さんがこういうイイ男の和装に弱いのは知ってますよ。僕で免疫ついたかと思ったんですけど彼、タイプが違いますもんね。こういう人を目の前にして怖がるタイプじゃなくて見惚れるタイプじゃないかな、と思ってはいたんですけど」
「……柊さん……人のこと完全に馬鹿にしてますよね?」
しれっと言ってのける柊に春華が唇の端をひくつかせる。
そういうところを突っ込んだんじゃないし。しかもなんか今、当然のように自分をイイ男の括りに入れるような発言したし。
「いえいえ。真っ当な人物紹介をしたかっただけです」
にっこりと微笑む柊に。
「真っ当な紹介文になんで座敷童なんていう単語が入るのよ!」
なんかもう突っ込むのが馬鹿馬鹿しくなって来て、こちらから「おかしな単語」を切り出す形になった春華に。
「ええ、そうなんです。座敷童。ロマンですよね?」
悪びれることなく柊が至極真っ当な顔で答える。
「……ヒスイ」
「はいっ!?」
思わぬところから声がして反射的に春華がぐるん! とそちらに顔を向けながら聞き返した。
「……なんかこう……話が進まなそうだから……自己紹介?」
イケオジが先程と同じ姿勢のまま視線だけ遠くに飛ばしてそう返す。
どことなく居心地が悪そう、だ。
「ああ、どうも。高瀬春華、です」
つられるように春華が名乗り、ついでに頭を下げる。
ふーん。ヒスイさん。……苗字かな。名前かな……いや初対面の自己紹介で下の名前名乗るなんてないよね。
ふーん。……珍しい苗字だな。
座敷童って、どういう比喩なんだろう。
「うちの」座敷童、ってことはこの店を繁盛させる人とかそういうことだろうか。
「あ、良かった。現状を飲み込んでくれました? 彼ね、ちょっと呪い持ちなんですが春華さんなら相性良さそうだから呪いも解けるんじゃないかと思って。良かったら嫁になってあげてください」
「……はいいいいい?」
奇想天外な言葉を矢継ぎ早に並べ立てる柊についに助け舟を出したのは座敷童ことヒスイだった。
どうやら、彼、本当に、妖の類らしい。
というか、そういう体のまま話が進んでいったのだ。
店の売り物でもある古いテーブルを囲んでお茶が並ぶ。
そんな席で柊とヒスイが状況説明らしきものをしてくれている。
自称、座敷童。いや、「元」座敷童ということかな、と春華は勝手に脳内変換を試みる。
だっていい大人だ。
その昔、商家に住んでいた彼はどうやらその家の座敷童だったらしい。
彼はある日屋敷の主人の仕事であった「珍しい商品の取り引き」について行ったことがあるのだとか。
その「商品」というのが人魚の子供だった。
昔は人魚の肉を喰らうと不老不死になると言われ、見つかった人魚を献上品として密かに取引する商人がいたらしい。
で、彼はその人魚の子供に同情して家の主人の目を盗み、逃がしてやったという。
その時、人魚の母親は泣いて喜びお礼に不老不死をくれたそう。
「……ふーん。良かったですね、ヒスイさん」
ほぼ棒読みな春華の相槌。
隣でお茶を飲みながら聞いていた柊がぶっと吹き出す。
「いや、待て待て待て」
ヒスイが眉間に皺を寄せながら春華の顔を覗き込んでくる。
「おかしいだろう、その反応」
食ってかかる自称座敷童に春華が。
「だって。人魚さんから不老不死のご褒美をもらったんですよね? めでたいじゃないですか。一般的にそういうのってみんなが憧れるものでしょう?」
冷めた声で返す春華はもはや完全に「他人事」だ。
だってそもそも、これが実話だとか思えない。
そりゃ、ある意味現実離れした人かもしれないよ? コノヒト。
どことなく浮世離れしてるというか。
きっと何か変なオチがあって、私がどんな反応するか見ながら柊さんと何か企んでいるに違いない。
そんな気がするので、聞きながらついチラチラと柊の方を盗み見てしまってさえいた。
と。
「本当にそう思う?」
意外に真面目な声が返って来て春華が面食らう。
声の主を見ると、こちら以上に冷めた瞳と目が合った。
「一人でずっと生きていたって楽しいことなんかないだろ。周りが年取って死んでいくのに自分だけ老いることなく生きていくなんて、そんなの褒美どころか呪いだ」
「……」
至極真っ当な言葉に春華が言葉を失う。
「で、それをその場で突っ返した結果おまけをつけられちゃったんですよね」
手にしていた湯呑みをテーブルに置きながら柊が付け足す。
「おまけ?」
茶化したりしてはいけない空気感に春華が真面目に聞き返すと。
「一人が嫌なら、愛する者と二人で幸せな時間を永遠に楽しむがいい、って言われてな。……あの時はみんな時間がなくて焦っていたから、そうじゃないって説明する暇もなく勝手に押し付けられた。……どう考えたってあれは褒美なんかじゃない。れっきとした呪いだ」
そんな言葉を紡ぐヒスイは。
ああなんだろう。
この、横顔。
春華は思わず見入ってしまった。
視線は宙を強く見据えたまま。何かを睨みつけるような強い視線。
そして、途方もなく、悲しげ。
これは、演技とかじゃない、と直感してしまう。
きっと、彼の身に起きた本当の話なのだ。
妖怪なんていう素っ頓狂なものの存在を飲み込むには十分な、雰囲気を纏っている。と思った。
もしかしたら、ひいらぎ屋という店の中の雰囲気がそうさせているのかもしれないが、妖怪とか呪いとか、そういうものに対するイメージが現実に直結しているような錯覚。
……錯覚なのだろうか。
そして、春華は話を聞きながら「じゃあ自分が人ではないことを証明して見せてよ」くらいのことを言うつもりだったのに……それすらも呑み込んでしまった。
「……ほらね。だから言ったでしょう」
思いもよらない柊の言葉に春華が我に返る。
視線を送った先で柊が困ったような怒ったような顔でヒスイを見やり。
「この子、本当にお人好しなんですよ。疑うこともしないし、否定したり嘲ったりもしない」
そんな言葉に春華が「?」という顔をすると。柊は「普通、こういう話をされて間に受ける人なんかいません」と続けた。
「……え?」
ちょ。ちょっと待って。
なになになに?
やっぱり私、かつがれてる?
なんか騙されようとしている?
静かに慌てふためき出した春華に。
「知ってる。あの本を読んでいる間の心の動きでなんとなく納得した。……なぁお前」
柊との会話は春華を無視して進んでいるようだったがようやくヒスイの視線が春華に向いた。
「俺が妖怪であることを証明しろとか言わないのか?」
「え。そりゃ……まぁ……いや、だって……」
まさに今そんな感じのことを思っていたけど引っ込めました、なんていうのもはばかられるので言葉を濁す春華の様子を見てヒスイがにっと笑う。
その笑いはどことなく満足げでもあり、悪戯っぽくもあるのだが。
次の瞬間。
「え……ええっ!」
春華が息を呑んだ。
なぜなら。
ヒスイの周りの空気が一瞬、陽炎のようにゆらめいたかと思ったら。
「……か……かわ……」
「可愛いくはないぞ!」
イケオジだったヒスイが少年の姿になったのだ。
十歳になってるかなっていうくらいの、子供。
でも、面影はある。ヒスイだ。
くるりとした瞳は、先ほどまでのはっきりした顔立ちを幼くしたらまさにこう! という感じだし、不機嫌そうな口元は……なんとなく表情の作り方がおんなじだ。急に背が小さくなったけれど着ている着物も生意気にかっこいい。なんなら着物はそのままサイズダウンしている。
そんな少年が腕組みをしたままこちらを見上げて何やら怒ったように口を尖らせて。
「いいか、これで座敷童っていうのは納得できるだろ。お前が信じてくれるいい奴だから特別に見せるだけだからな。でも言っとくけどお前よりずっと、年上なんだからな。可愛いとか言うなよ!」
「……ハ、ハイ」
口元がゆるんでしまうのを意識的に引き締めながら春華がどうにか答えると。
「……ふん」
そう不満げに鼻を鳴らすようにしてヒスイの姿がイケオジに戻った。
「良かった。春華さんなら受け止めてくれると思ったんですよね。そして見事に彼の信頼も勝ち得た、と」
なんとなく説明くさいセリフを吐く柊は。
「なので、春華さんが彼の嫁になってあげてください」
突拍子のないセリフを再びたたみかけてきた。




