3 仕事
「えーと……先に連絡関係のファイルに目を通しちゃいますね」
接客業というものは営業時間中は完全に客のペースで全てが決まる。
なので声をかけられたら何より優先で接客に入らなければならない。
とはいえ、店で今この時に、何が起きていてどのように対処するようになっていて、やるべき作業の何がどこまで進んでいるかは把握するために時間を取らねば接客もままならない。……でも接客は優先事項。
それが仕事だ。
朝イチで仕事に入るなら営業前のちょっとの時間に頭に叩き込めるけれど、今日は午後からのシフト。昨日までの職場の流れと今日の午前中の引き継ぎを出来れば一瞬で終わらせるのが理想。……無理だけど。
とりあえず春華が既に働いているスタッフに声をかけてコミュニケーション用のファイルを広げると、春華と入れ違いでこれから上がるスタッフの端田がいそいそと近づいてきた。
「高瀬さん、今日のところは特に変わった引き継ぎはないですよー」
端田は長い茶髪の髪をひとまとめにした可愛らしい後輩だ。
よく気がつく子で春華にも気配りをしてくれる。
「あ、ほんと? ありがとう」
春華が笑顔で答えると。
「あー……そういえば例のお客様の件、あれまだ片付いてないので連絡きちゃったらよろしくお願いします」
「ありゃ……」
心の声は「まだ片付いてないのかい!」だけど、お客様がいる場所です。言葉遣いには気をつける。
手芸店のこの時期の恒例行事に入園入学のオーダーというものがある。
子供達が学校で使う袋物を縫製加工者さんにお願いして作成してもらう窓口になる、という業務だ。
で、つい先日受けたオーダーで仕上がって来た物がお客様に渡す場になって注文された内容と違う仕上がりになっていることが分かった、という……これはちょっとした事件だ。
なぜなら、客の手に渡るまでには何回かスタッフがチェックすることになっているので。それを全部掻い潜って間違ったものが客の前に出るということはまずない。
なので出てしまった以上当然クレームになる。
で、ただいま、作り直した物をお客様に取りに来てもらう段になってはいるのだけど。
なにしろ、その何回かチェックをする段階で居合わせていた当のスタッフがちょっとあれこれ事態を遅らせている、らしい。
「なんか、木下さん、詫び状を手書きしてるみたいで……しかも、間違えて作った物を解いて作り直してそれも一緒につけて渡すからって言って……今仕上がり待ちなんですよね」
ちなみにこの木下、というのが柊が「影のボス」と物騒な呼び方をしたスタッフだ。
「え? もう新しい作品の方は仕上がって届いてるのに? しかも詫び状って、店長がこないだパソコンで書いて印刷したやつがあったのに?」
端田が眉を顰めて小声で報告してくるので春華もつい小声で答える。
「そうなんですけどね……なんか文面が気に入らなかったのと……手書きの方がいいと思っちゃったらしくて……。で、最初の間違えて縫われちゃったやつは捨てるの勿体無いから縫い直せばおまけでつけてあげられるから、って」
「そうなんだ……」
まぁ……いいけど。
春華がちょっと遠い目をする。
うん、どれも間違っちゃいない、ね。
いいけどさ。
間違えて作っちゃってクレームになった品物なら、それってスピード重視じゃないのかな。正しい品物が三日後には出来上がってきていたのに一週間以上経ってもまだお客様に渡せてない、って……いいのかな。
「なので、お客様からもし『まだ出来上がってないんですか』って連絡きたら対応お願いします!」
……いいわけないじゃん! そんな電話がかかってきたら私が対応するんかい!
思わず心の声がダダ漏れになりかけて……いかんいかん、ここは店です、お客様のいる場所では言葉に気をつけないと、と気を取り直す。
「……ワカリマシタ」
引き攣った笑顔でそう答えた春華に申し訳なさそうな視線をよこしながら端田が「お疲れ様です」と退勤して行った。
軽くこめかみのあたりをおさえながら入店する客に「いらっしゃいませー」と声をかけていると。
「……っ!」
入ってきた人物に妙な見覚えがあって春華が息を呑んだ。
「……」
で、そのまま目の前を素通りする男性をそっと見送る。
まぁ、「客が」店員をいちいち認識しながら入店するということはまずない。買いたい物を目指してまっしぐらであろう。なのでそこに何の不自然さもない。
何なら、手芸店の来客の大半は女性であるとはいえ男性客もそう珍しくはない。
仕立て屋さんやお直し屋さんのご主人が材料を買いに来ることもあるし、クリーニング屋の店主がうっかり割ってしまったボタンを付け替えるために買いに来ることもある。いろんな催し物で使うディスプレイを作るための材料を買いに来る会社関係の人だっている。
最近は男性でも手作りの物を販売している人もいるし、趣味で手芸を楽しむ男性だっているのだ。
でも。
それが、ついさっきまでベンチで並んで座って珈琲なんか飲んでた和装イケオジとなると春華もちょっと面食らう。
……な、何しに来たんだろう……。
とか、決して「お客様」に対して抱くべきではない目を向けてしまう。
結局先ほどは、珈琲を一杯飲んだ後、彼はそのまま立ち去ったのだ。特に喋るでもなければ名乗り合うでもなく、挨拶だけの通りすがりの間柄のまま。
なのでこのちょっとの時間の間に再び会うとなると、なんとなく気まずい。
で、なんとなーく、作業をしながら横目で彼の行く先を目で追って……へぇ、生地を買うのか……え、何作るんだろう……てゆーか何か作るような人だったんだ……なんて思っていると。
「何かお探しですか?」
近くで作業していた皆川が声をかけた。
白髪混じりの髪を肩のあたりで切り揃えて、いつもヒラヒラした感じの服装の、春華の同期だ。年上ではあるが、パートで仕事をしている以上入った時期がほぼ同じであれば同期、となる。
ちなみにこの皆川、最近やけに自分と張り合っているような節がある、と春華は思っていた。
春華は店内をそれとなく気にかけていて、何を買うでもなく同じ所をぐるぐる回っている人を見かけると「探しているものが見つからないのかな?」と思うので「何かお探しですか?」と声をかけるようにしていた。
大体人の素振りを見ているとその人の気持ちが分かるもので春華が声をかけると「助かった!」と言わんばかりの表情になる人は多い。
もちろん声をかけられたくなくて一人で気ままに見て回りたい人もいるのでそこは慎重に。
が、声をかけるのが正解の人とはそこから接客トークが弾んで帰り際に感謝されるのでそういうことが続くとちょっと店員としては仲間内で目立ってしまう。
皆川は多分それが気に食わない、のかも知れなかった。
で。結果。
彼女は手当たり次第に声をかけまくるようになっている。
……そこ、別に張り合わなくてもいいんだけどな……と、春華は内心苦笑していたのだが。時々嫌な顔をしている人もいるけどあからさまなクレームに発展するわけではないから……まぁいいか、と思っていた。
そんなわけで、早速自分の近くで品物を見ている彼にいそいそと近寄った皆川はやけに大きな声であれこれ聞き出そうとしていた。
そして。
「……え! そのサイズでですかっ? そうですねぇ……当店にはないですねぇ、申し訳ありません」
おお、なにか無茶な物を探していたのだろうか。
ちょっと気になるのでそっと近くまで寄ってみると。
「いやでも、ここに来ればどうにかなるって聞いてるんだけど」
おや。どうにかなるって誰に言われたんだろ?
ふと、ひいらぎ屋の店主を思い浮かべてしまう春華だが。
「ええ、そうなんですかっ? でもそんな生地は基本的に取り扱ってなくて……」
え? どんな大きさの生地探してんだこの人。と、春華が皆川の背後から近づくと。
「あ」
男が小さく声を上げて春華に気付いた。
ああそうか。私がここにいるって全然気付いてなかったのね。うん。まぁ気付かないよね。てゆーか知らないよね。
そう思いつつ春華は営業用スマイルを貼り付ける。
で、こちらを振り返る皆川には軽く頷いて見せて「接客変わりますよ」の意思表示。……これはもう流れ上、仕方ない。
で、彼が手にしている紙切れに目をやる。
「……こういうのが、欲しいんだけど」
そう言われるのでそのままそれを受け取ると、何やら簡単な図形と綺麗な文字の羅列。
「え、これ……」
なんとなく見覚えのある文字は……これ、ほんとに柊さんの字じゃないかな。ちなみにこの紙、柊さんがいつも使ってるノートの紙じゃないかな。
と、春華は食い入るようにメモ書きを読む。
そこに書いてあるのは簡単な直方体と、その寸法。で、それに布が被せてある絵だ。
「そういう藍染の布が欲しいんだけど」
……ああ、なるほど。
なんとなく春華が察する。
確かに「藍染の布」というのは取り扱いがない。そしてこの寸法……柊さん、箪笥でも包むつもりかな……っていうサイズなんだけど、一枚でそこまで大きな布も難しい。
でも。
ここに買いに来た時点で多分藍染っていうのは、色の問題だけで本物の藍染である必要はないかも知れない。そしてここまで大きな布となるとそもそもこういう店で手に入る類のものではないというのも常識的な話なので、これは縫い合わせてこの大きさを「作る」ということではなかろうか、と推測する。
なので。
「あの、これって藍染自体にこだわります? 藍色の生地ということで良ければ……あとは縫い合わせてこの寸法にしていいっていうことであればあるものの中で用尺を計算して買っていただくことは出来るんですけど」
「ああ、うん。それでいいと思うけど」
「はい、ではちょっと候補になりそうな生地をお見せしますね。それからどのくらい必要になるか計算してみましょう」
そんなこんなで。
春華のテキパキした案内で客は興味深そうに後について来ながら「うんうん」と相槌を打ちつつ見繕った生地を買って帰って行った。
「あの、高瀬さん」
帰り支度をしている春華に皆川が声をかけてくる。
今日はなんだかんだと忙しくてスタッフ同士で喋る時間は仕事中はほぼなかった。
「あ、はい?」
振り返る春華に皆川は眉を顰めている。
「今日のあれ、なんで私の接客を横取りしたんですか?」
「え……はい?」
横取り……何のことだ。と一瞬頭の中が「?」で一杯になり……次の瞬間理解した。あの「藍染生地」の人の件だろう。
「ああ……あれ。いやだって……なんか皆川さん、商品のご案内で行き詰まってたみたいだったから」
横取りしたんじゃなくて助け舟出した、つもりだったんだけど。
「あのね。私だってあのくらい分かりますよ。行き詰まるわけないじゃないですか! ほんと失礼しちゃう!」
ええええ!
だって……だって、「うちには無い」って言って帰らせる感じの対応してたよね?
あまりの言い分に春華が言葉を失って目を丸くしているうちに皆川はくるりと背を向けて帰ってしまった。
うそー……何あれ……
釈然としないまま春華は帰り支度を再開して帰路についた。




