22 新生活を計画する
いつもの桜の木の下に車を停めて外に出る。
ひいらぎ屋の駐車場。
気づけば桜の木はすっかり葉が茂り、青々としている。この季節は緑が眩しくて心が弾む、と毎年感動する。
そういえば、と。
車を回り込んで木の真下に歩み寄った春華は枝をまじまじと見上げる。
「うん。今年も綺麗ね。さすがだな……」
春華はポツリと呟いた。
この時期の桜の木は本来、要注意だ。
毛虫が大量発生する。花が終わった桜の木には近づくもんじゃない、と思っていた。が。
ここの桜の木は毎年思うのだが、虫がついていないのだ。
これ、柊さんが毎年消毒なりなんなり、手入れをしているっていう証拠よね。と、本当に感心する。結構大きな木だし、これだけのものを手入れするってかなり大仕事になると思うのだ。
そんなことを思いつつ暖簾をくぐって店に入ると。
「いらっしゃいませ……ああ、春華さん」
緊張した声が急に和らぐ、という声の掛け方をされて春華の足が一瞬止まった。
「あれ、誰か来る予定でもありましたか?」
最初の一声がだいぶ硬い感じの「いらっしゃいませ」だった。
予定があるなら早めにお暇しなければ。
「あ、いえ。違います。予定なんかありませんよ」
春華がいつも納品の際に持っている手作りのトートバッグを手にしている事に気付いたのか、柊がいそいそと近寄ってきて取り出される品々を楽しそうに眺める。
「単に警戒心丸出しだっただけだ。昨日散々だったからな」
後ろからヒスイがひょこっと顔を出した。奥の部屋にいたところ、声を聞いて出てきた様子。
「昨日?」
春華が自分とは関係のなさそうな話題につい好奇心で聞き返すと。
「はぁあぁあぁ……」
柊が盛大なため息を吐いた。
で。
「来たんだよ。春華んとこのあの女」
え。
何それ。
たった今自分と関係ない話題、とタカを括った自分が申し訳ない。
関係大アリじゃん。
なんかもうそれだけで居た堪れない。なんならちょっと胃が痛い。
どうやら。
昨日は昼から綾がここに来て……居座っていたらしい。
要件は届いた封書の内容を見て、の「私もお邪魔するのを楽しみにしています」という挨拶。で、更に話は途中から「今度私、一人暮らしをすることになったので、一人に慣れていないから寂しくて」という話になったらしい。
前日、ヒスイが食事をして帰ったあと、春華は間もなくアパートを出るつもりでいる事を手紙にして置いていたのでそれを読んで一人暮らしをすることにしたのだろう。
そもそも、綾から直接その後どうするかは聞いていないので春華も今初めて知った。さすがにこちらの予定を教えた直後に「あなたはどうする?」と聞くのは早すぎるだろう、少し考える時間も必要だろう、と思ったので手紙にも三ヶ月分は家賃の半分を今まで通り出すつもりでいるからその間に考えてもらえればいい、と書いておいた。実家に帰るでもいいし、そこにそのまま住み続けるでもいいし、もっと安い一人用のアパートに引っ越すでもいい。
「春華さん、ここに住むことになったというのは話してないんですか?」
春華と話しているうちに、人心地ついたようにいつもの落ち着きを取り戻した柊がお茶を一口飲んでから尋ねてくる。
お茶の隣には切り分けられた紅茶のケーキ。
「あ、はい。……だって……多分それを説明し始めたら彼女色々大変なことになりそうで……」
もうここは黙秘権を行使するつもりだった。
「それ、正解だな」
ヒスイがニヤリと笑って柊を見やった。
「……よかった」
柊もあからさまに安堵の表情になり。
「でもまさか春華さんが彼女を誘うとは思いませんでしたよ……あ、いえ仲が悪そうという意味ではなくて、彼女と一緒に来店するのは見たことがなかったので」
途中でこほんと小さく咳払いをして言い直すあたり……柊はオブラートの使い方を知っている。
「あ……それ……私が誘ったんじゃないの。昨日帰宅したら既にお手紙は封が開いてて、私より先に読んじゃったみたいだから、それでこっちに来たんだと思いますよ。私があのお知らせ読んだの昨夜ですから」
「……え」
「……は?」
柊とヒスイのセリフが被った。
はい分かります。私も封が開いた封筒を見た時にそんな感じの顔してたと思います。
思わず春華は視線を逸らした。
「……おい、お前、宛名を2人連名にしたのか?」
「そんなわけないじゃないですか。なんで春華さん以外をわざわざ呼ぶんですか」
あ、そうですよね。
なんとなく分かります。宛名に綾ちゃんの名前もあったのなら彼女が先に封を開けててもおかしくないですもんね。
でもなんか柊さんのオブラートが破れてきた気がする。
「……なんか、一緒に住んでるからには家族みたいなものだからいいと思ったって言ってた。多分、実家にいた時はそういうの気にせずにやってたんだろうと思うのよね。親も溺愛してたっぽいからちゃんと教えなかったんじゃないかな」
とりあえず、悪意があったという気はしないのでフォローを入れてみる。
「ああいう子に常識を期待するのが間違いなんですね……なんとなく分かってはいましたが。春華さん、よく一緒に生活できてますね」
ああ、オブラートがバリバリと音を立ててちぎれて散ったな。
「まぁ、何はさておき。一応住まいとしてはほぼ完成しているので荷物なんかは少しずつ持ってきてもいいですよ。一回で終わらせるなら引越し業者を頼んでもいいんですけど」
「わ。そんな感じなんですね!」
なんだか思っていたより急な気がして春華が面食らう。
そうよね。引っ越すという話が出たのはもうしばらく前なんだし、考えてみたらあれこれ準備していてもよかったのだろう。
なんとなく現実味がないような気がして何もしていなかったな……と、自分の計画性のなさが悔やまれてならない。
あ。でも。
「引越し業者、はなくて大丈夫です。荷物もそんなに多い方ではないので何回かに分けて自分の車で運んだら終わると思います」
一応そこだけは断っておく。
荷物は本当に少なめなのだ。
何度となく引越しをしてきたのでその度に持ち物がシンプルになってきている。
服は一年を通して衣装ケース四つで足りている。冬のコートまでその中に収まる。そして女子としてはどうかと言われるかもしれないけれど、部屋を飾る小物の類はほぼ持っていない。
家具といってもカラーボックスや食卓やリビングのテーブルは分解して運べる程度のものだしそもそも今のアパートに越してきた時に中古屋さんで安く買ったものなので不要になったらそのまま捨ててもいいし売ってもいい。食器棚も同じく中古品でそろそろ扉がガタついてきたから捨ててもいいかなと思っていた。
食器や調理器具は……段ボールに詰めたら二、三箱で十分収まると思う。
そしてカーテンの類は、経験上、引っ越しをするとサイズが合わなくなるので新品に変えた方がいい。
「そうですか。……まぁ……こないだ春華さんの部屋に行った時に見た感じで、そう大仕事にはならないだろうな、とは思っていたんですが」
「……え」
なんか今、すごく恥ずかしい事を言われたような気がする。
と、思わず春華が真顔になる。
「あ! すみません、女性の部屋を物色した、みたいでしたね……」
「……おい……言い方に気をつけろ」
ハッとしたように赤面する柊をヒスイがたしなめた。
うん、少し間をおいて理解はした。
こないだっていうのはお見舞いに来てくれた時のことだろう。
熱があるか見に部屋に入ったって言ってたし。あれ、よく考えたらヒスイが私に触れることができない以上、柊さんがそこまでやってくれたって事だから、ガッツリ部屋に入ってるんだよね。
なんならあの時点で引越しって柊さんの中では決まっていた事だから、そういう視線であれこれ見ていたとしても不思議ではない、ってことか。
「新居での家具なんですが。うちの、商品になるはずだった物が使えそうなんですよ。ほとんど揃いますのでどうしても持ってきたいものだけでいいですよ。あと、家電ですが必要なものはこちらで揃えます」
「ええ!」
ケーキを一口食べるごとに「本当にこれ、美味しいですね」と小さく呟きながらも、とんでもない事を言い出す柊に春華が思わず声を上げた。
隣のヒスイの方をチラリと見ても驚いている様子の欠片もない。……ということはこちらは納得済みなのか。
いや、だからといって、よ。
春華が、一度軽く息を吸い込んで吐き出して……呼吸を整える。
「あの、ですね。『商品になるはずだったもの』って言いました? それって完全にアンティークとか古道具の類じゃないですか。そんな高級品、私が使いこなせるとでも? 私が使うものはその辺の中古屋さんで数千円で売ってるような家具でいいんですって。これでも私、安くて良いものを見つける目は肥えてる方なんですよ。それに、家電って揃えたら結構な金額になりますよ。必要最低限、冷蔵庫とエアコンを買えばあとは今使ってるのを持ってきますよ」
エアコンと冷蔵庫は素人には動かせない。
引っ越しの時には、新しく買ってお店の人に運んでもらってついでに古い方を処分してもらった方がいいに決まってる。
そもそもこれらの家電は新しくする方が省エネだったりするから機会があるんだったら新調した方がいいのだ。
エアコンに関してはアパートに残してくるという手もある。
そもそも、これって綾ちゃんも同時にアパートを出るという前提の話だ。もしあのアパートで彼女が一人暮らしをするつもりなのだとしたら必要な家電や家具は置いていっていいと思うし。
「ああ、お気になさらず。古道具たちはほぼ彼らの意志ですから。それで家電は僕からのお祝いです。そのくらいはさせてください。座敷童がここに居を定めるということは我が家にとってメリットしかないわけですから、そのくらいしないとバチがあたります」
「彼らの意思って……」
春華が眉を下げる。
こんな物言いの柊は、言い出したら聞かない。
もはや彼の中で決定事項なのだろう。
それにしても。
「ヒスイがいるって、この家にとってそんなに良いことなのね」
座敷童が居を定めることへの代償、みたいな言い方だった。
そのくらい、ここにいてもらいたいということなのかもしれない。
思わず本人の方に視線を向けながら切り出した春華の言葉にヒスイがニヤリと笑い、柊もくすりと笑みを漏らした。
「春華さんも何か感じることないですか? 特にそのブレスレットで繋がるようになってからは効果が顕著に表れているかなって思うんですが」
「え?」
意外な言葉に春華が驚いて目を見開き、一旦手首のブレスレットをまじまじと見て、次にその視線をヒスイに向けた。
ヒスイは当然、とでも言いたげな顔のまま。
「まぁ、座敷童だからな。持ち主の仕事は成功させるし生活に困ることとは一切無縁だ」
「えええええ!」
そんな言葉に思い当たらないこともなくはない……というか。思い当たることばかりかもしれない!
思わず春華がのけぞると。
「ああでもお前らの場合は、そもそもその素質があるからな。あるべき物があるべき場所に収まるっていうような感覚だ。巽は古物を大事にして古物からも好かれてる。春華は元々真面目だから評価されるべきところが評価されているってだけの話だ。全く可能性のないところに運を向けるようなことをすると俺も枯渇するからな」
そう言いながらヒスイは美味しそうにケーキを頬張った。




