21 仕事と日常の落差
ヒスイと一緒に食べたご飯、楽しかったなぁ。
仕事の合間にもつい思い出してにやけてしまう。
春華は客の相手をしながらもどことなく気分が底上げされているような気がしてならない。
「この花柄、どっちがいいかしら」
服を作りたいから生地を買いに来たという奥様に生地を案内すると、あっという間に候補が二つに絞られた。
こういうの、他のスタッフだと「あとはお客様のお好みですから」とそれ以上の接客はしないことが多い。
後になって「ここの店の人に勧められて買ったけど改めて考えたら好みじゃなかったわ。そっちが勝手に勧めてきたんだから返品させてちょうだい」と言われたくないからだ。あとは、そこまで付き合うとこちらの仕事のための時間がなくなる、と考えるスタッフもいる。
でも春華は一応、状況を見てできるだけ手伝うのがいつものパターン。
勿論、買うつもりがなくてあれこれ広げるだけで帰っていく人や、買う気は無かったのにこちらの押しが強すぎて買わされてしまう人もいるのでそこは空気を読む。
「そうですねぇ……お客様ですと、こちらの明るい色の方がお似合いになるかと思いますが」
先ほどからこの奥様の服装が素敵だな、と思っていた。
メイクも服も、色の足し算で完成しているのにけばけばしさもないし、むしろ上品。
こういう色の使い方は下手な人がやると「え、この人病んでる?」っていう印象を周りに与えるのに、それが全然ない。
なので、候補に上がっている柄の一つがベーシックなグレーから青へのグラデーションなのに対して、もう一つのオレンジやピンクが入った花柄の方が合うと思った。花柄の背景色が落ち着いたグリーンなのもいいと思う。
「あら。……やっぱり?」
途端に奥様の表情がぱっと明るくなった。
白髪混じりのショートヘアに瞳がキラキラして、優雅に弧を描く綺麗なピンクの唇が美しい。
「お客様の今日のお召し物もとてもセンスが良くていらっしゃるので、きっとこういう色も素敵に着こなされるんじゃないかと思いました」
つられて笑顔になりながら答えると。
「あら、嬉しいわ! 私、好きな画家がいてね、色の魔術師に憧れてるの」
後半は茶目っ気たっぷりに可愛らしく肩をすくめながら小声で。
なので。
「そうなんですね。私の勝手なイメージでは奥様の装いって……マティスでしたけど」
恐る恐る昔見た画集に出ていた名前を出すと。
「えー! 知ってるの? そうなのよ! 私マティス大好きなの!」
奥様の目の輝きが増した。そして。
「もう嬉しいから私、この生地あるだけ全部買うわ! ワンピースくらい作れるわよね。残ったら他にも何か作るわ」
……うわ。
春華がちょっと目を丸くした。
うん。
よくあることではある。
気に入った生地があったらまるっと一反お買い上げ。
とは言っても既に少し売れているので残りは五メートル程度。
ただ……これ、単価が結構高い生地なんだけどね。そんなに買ったら一万円は軽く超える。
「あの、すみません」
「はい、いらっしゃいませ」
奥様が会計をしにレジに並んだのを見届けてひと段落したところで、声をかけられて振り向くと年配のご婦人に寄り添う妙齢の女性。見たところ親子かな、という感じ。
「お姉さんにぜひ接客してもらいたいって母が言うので待ってたんです」
「え、そうなんですか!」
なんだか嬉しい一言を聞いて春華の口元が素直に緩む。
「さっきから見ていたら、あなたの接客の仕方がとても気持ち良くてね。ぜひ相談に乗って欲しいの。いいかしら」
年配の女性はどことなく遠慮がちで、でもしっかりとした意志を感じる物言いだ。
「勿論です。私で役に立つなら何なりと」
そんなふうに言ってもらえるのは接客業の醍醐味でもある。
「この着物を崩して洋服にしたいんだけど、糸を選んで欲しいのよ」
安心したように女性が出したのは黒っぽい綺麗な織物。畳んであるから全体は分からないが、見ればすぐわかる特徴的な織り。
「え、これ……大島じゃないんですか?」
春華が一度固まる。
と。
「あら、分かるの? さすがね。これ、もう着ないから何か服に仕立てて娘に着せようかと思って」
そう言う女性の隣の娘さんの視線は優しく女性を見つめており……ああこの二人、とてもいい関係なのだな、と見てとれる。
大体、この年代の「娘」さんが大島紬でリメイクされた服を着るにはちょっと勇気がいると思うのだ。こういうのはもうちょっと上の年代の方がお召しになる。それでも嫌がらずに喜んでいる、ということはもう人柄なのだろう。
ここは全力で力にならなければ。
と、思うので。
「お客様、糸は絹糸になさいますか?」
一応聞いてみる。
大島紬は絹織物の高級品。合わせるなら絹がいいと言うかもしれない。
「そうねぇ……でももう簡単なものしか作らないし普通のポリエステルでいいわ」
それなら、と、シャッペの黒を見せる。
「黒でいいかしら。グレーかと思ったんだけど」
ちょっと不安そうなので、生地を手元で広げながら上に糸を置いてみて。
「そうですね、よく見ると使われている織り糸は白と黒と赤ですが、地色は黒が多いのでこちらでいいと思いますよ」
「あら本当ね。私、この着物は濃い灰色っていうイメージだったわ」
「本当だ。お母さん、よく見たら黒と白じゃない。教えてもらえてよかったわね」
春華の説明を二人とも一瞬で理解したようだった。
春華も二人を眺めながら笑みが深まる。
「この子がね、最近私の着物に興味を持ってくれるようになったから少しずつ箪笥から出してみてるのよ」
春華の笑みに安心したかのように女性が自分の話を始めた。
そんな母親の様子を見る娘さんの様子も穏やかなので、ここは話に乗っかって春華も彼女の話を聞くことにする。
結局。
話は途中から着物に興味を持ちはじめたという娘さんのために、夏に向けて浴衣を縫ってあげようかという話になって……糸を買いに来ただけだった親子はそのあと浴衣用の生地も買っていくこととなり。
浴衣用。
浴衣を作るとなると結構な長さで生地はいるもので、しかもそれを買うために来たわけではないからぴったりの長さはわからない。つまり少し足りなかったりしたら作れない上、買い足しもできない。というわけで、少し多めを了承の上、七メートルの生地をお買い上げ。
「高瀬さん、今日の接客すごかったですね」
帰り支度をしていると店長が声をかけてきた。
「え……ああ、なんだか壮絶でしたね」
春華はつい苦笑が漏れた。
他のスタッフも周りで帰り支度をしているのでなんとなくみんなの前で褒められるような状況は心苦しい。
「最後のお客様、最初は一番安いのでいいって言ってたのに最終的に一番高いミシン買って帰りましたよね」
店長が畳み掛けるように声を大きくした。
……うん。店の売り上げへの貢献度が高いから嬉しいよね。
そう思いつつも春華はちょっと引き気味。
だって、こんなこと、そうそう無いと思う。
今日は接客するたびにお客様が大量買いする日だった。しかも最初からそのつもりで来たわけじゃ無いのに「接客がとても良かったから」と言って買っていく。今日だけでそんな人が三人はいた。
うちの店は接客で店員個人の成績が評価されるなんていうシステムでは無いのでそういう事を気にする人はいないと思うけど、さすがにこう何人も続くと店長だって注目せざるを得ない、といったところだろう。
「エリアマネージャーも高瀬さんは凄いって言ってたけど、今度どうやったらそんな風に出来るかミーティングの時にでも話してもらえないかな」
「え……」
ちょ。
それはなんだか。
そんな話の流れになるとは思わなかったけど……なんかさっきから数名のスタッフの視線が痛いんですけど。つまり、皆川さんと木下さん。
そして、なんて答えようかと黙った隙に次々と帰って行った。
なので。
「いやぁ……私の場合、単にお客様の空気読んでるのと相手に合わせて臨機応変な対応してるだけなので……特に何をどうする、っていうのじゃ無いんですよねぇ……」
と適当に濁してみる。
店長も「そっかぁ……」と、トーンダウンしたので、食い下がられなくて良かった! とばかりに春華は「じゃ、お先に失礼します!」と店を出た。
そんなこんなで帰宅。
そんなこんなで夕食を済ませてお風呂。
はぁ、なんだか今日は疲れた。けど、やたらと達成感があったから気分がいいな。
そう思いながらリビングでテーブルの前に腰を下ろす。と。
あれ?
置きっぱなしの白い封筒。封が開いていたので自分宛だとは思わず、さっきから視界の隅に入っていたけどスルーしていた封筒。
差出人のところにひいらぎ屋のハンコが押してある。
うん? と思って手に取り、ひっくり返して表にすると、宛名は私だ。
え、だって私、これ開封してないし。そもそも初めて見たこんな封筒。
「ねぇ綾ちゃん、これテーブルに置いてあったんだけど」
洗い物をしている綾に声をかけると。
「ああ、それ。春華さん宛だからそこに置いておきましたよ?」
としれっと答えられる。
「え、これ、封が開いてるんだけど」
え、間違えて開けちゃったとかかな? とも思うのでもう一度聞いてみると。
「あーはい。先に中身見ておきました! 柊さん、お店のイベントやるんですね。私その日仕事休みなので一緒に行けますよ?」
「……はい?」
え、ちょっと待って。
なになになに?
まぁ、確かにお店から来ているものでダイレクトメールではあるけど。宛名はしっかり私になってるし……こういうの他人が開けるってありなの?
「え、綾ちゃん、こういう他人宛の郵便物って勝手に開けちゃいけないって知らなかった?」
もはや何をどう聞いていいか分からない。のでようやく思いついたことを言葉にしてみると。
「えーなに言ってんですか! 一緒に住んでるんだから家族みたいなもんでしょ? それに柊さんは私の友達なんですから開けたっていいじゃないですか! すぐそうやって文句つけるんだから!」
最後のお皿を割れるんじゃ無いかという勢いで洗いカゴに放り込んだ綾はそう言い捨てると自分の部屋に駆け込んで行き、ドアをバタンと乱暴に閉めた。
ええええ!
いや……そういう価値観?
あれ? 家族でも他人宛の郵便物って勝手に開けちゃいけないんじゃなかったっけ?
もしかして彼女は実家ではそういうの気にせずやってたってことなのかな。そして家族もそれを容認してたってことなのかな。
いや、どっかでそれはダメだって教えてあげたほうがいいんじゃないかな……いや待て、それはお節介かな。またあれこれ言われたら嫌だし……そもそも私、もうここから出ていく身だし……彼女との付き合いもそろそろ終わるんだと思ったら……もういいかな。
とりあえず、自分が開けたことを忘れているとかいうとんでもないボケをかましたわけでは無いことはわかったので、一旦封筒を持って部屋に戻り、改めて中身を見てみる。
おお。
さすがひいらぎ屋。
封筒もちょっと質のいい紙だったけど、中身もきちんとしたものだ。
ダイレクトメールによくある写真入りのハガキとかじゃなく、ちょっとした招待状。二つ折りの紙に「展示即売会のお知らせ」とあって、概要や日時が書いてある。
あとは展示されるものの簡単な目録や、当日の来店にこの招待状が必要であることなどの記載。
日付は来月頭。二週間後、くらいか。
うん、ちょっと急だけど……内容的に出来るだけたくさんの人に来てもらうのが目的ではなく、来られる人だけに的を絞ったイベントだからこんなもんなのかな。そもそもあの店って駐車場そんなに広くないもんね。そう大勢を招待しているわけでもないのだろう。
時計を見ると九時。
寝るにはちょっと早い。
今日はなんだか仕事が順調すぎて気持ちがふわふわしてる。
最後に自分宛の手紙を開けられたという素っ頓狂なことがあったとはいえ、これはもう個人からの手紙ではなくダイレクトメールだったから傷は浅いと自動変換して、今日一日とてもいい日だった、と考えよう!
で。
折角いい気分なんだし、何か作ろうかな……と部屋を見回してみる。
最近ひいらぎ屋に持っていくものはちょこちょこ作り足しているので部屋の隅のトートバッグにある程度既に入っている。
それに今からお裁縫は……さすがに無いな。
あ。
そういえば、昨日ヒスイが私が作ったケーキが美味しかったって言ってた。
明日、ひいらぎ屋に「手紙届きました」の報告と、追加の納品を兼ねて行くとして、ケーキでも焼いていこうかな。
ケーキ作りなら小一時間もあれば出来るし、ラッピングは明日すればいいから今から何かやるならちょうどいいかも。
「えーと……何かあるかな……」
台所でケーキの材料になりそうなものを物色。
一応冷蔵庫の中に「入れた物」は把握しているが、毎度のことながら綾が思わぬ時に思わぬ量を食べ尽くしてしまうので、昨日入れた物が今日もあるとは限らない。
最悪、何もなかったら野菜のケーキとかにしてみるか……キャロットケーキとか……あ、あれはアーモンドパウダー必須か。野菜使うならケーク・サレという手もあるな。綾ちゃんはさすがに生の野菜には手をつけないから野菜は大体いつもあるのよねぇ。
あ。違う。
ふふふ。今、うちって紅茶長者じゃない。
脳内会議を繰り広げながらふと視線が隣の棚に向かう。
春華が紅茶好きなので常に紅茶は切らさずにあるのだが。
つい先日、エリアマネージャーにみんなの前で褒められたあと、端田が「こないだ高瀬さんめっちゃ褒められてたじゃないですか! これ、お祝いです!」と紅茶の詰め合わせをくれたのだ。普段から何かしら理由をつけて作った物や買った物をやり取りする仲でもあるので、ありがたく頂いたのだけど……見事に棚が一杯になった。
……端田さん、いつも気前がいいのよね。
高級な物じゃ無いから抵抗なく受け取れるとはいえ、量が凄い。
棚の袋詰めは、決して安物ではなくて香りもいい紅茶だけど、これでもかってくらいティーバッグが詰め込まれてパンパン。いや、詰め込んだのは私だけど。元々箱詰めだったのをかさばるからジップ袋に入れ替えた。
よし、これで紅茶のケーキにしよう。
決まればあとは早い。
ベースはパウンドケーキ。
バターの代わりにサラダ油を使えば紅茶の香りをバターが邪魔することはないだろう。ついでに少し量を減らす。
紅茶は先に濃く煮出して紅茶液を作って、別途袋から出した茶葉を少量のお湯でふやかして、液と茶葉の両方を生地に混ぜ込む。
バニラオイルは……これも紅茶の香りの邪魔にならないように割愛。で、ついでに紅茶シロップを作ろう、と思い立つ。
生地をさっくり混ぜる頃にオーブンの予熱が完了したので焼きに入り、その間に紅茶シロップを作る。
さっきの濃く煮出した紅茶が小鍋に少し残っているので、そこに砂糖を多めに入れて煮詰める。
焼き上がったらこれを上から刷毛で塗ってしっとりさせよう。一晩経ったら馴染むはず。
最近学習したのは、クッキーとかカップケーキとかの数が複数あるものは作って置いておくと翌日には幾つか減っていることが多いが、こういう切り分ける前の形で置いてある物には手を出されることがない、ということ。
綾曰く「だって美味しいんだもーん」なのだが、人にあげる予定で数もきっちり用意していたらどうするんだ! と最初はびっくりして……まぁ、考えてみたらこういうものは人数分より少し多めに作るから怒るのはやめた。
それに……今夜は多分勝手に食べられることはないと思うんだよね。
チラリとゴミ箱の中に目をやる。
そこには見覚えのある箱がたたんで捨ててある。
昨日の夜には八個ケーキが入っていた箱が、空になって捨ててある。
……今日のうちに平らげたのだろう。今日彼女の友達が来たという痕跡は一切なかったから一人で全部食べたという事で。まぁ、昨日帰宅してから半分食べて、今日残りを食べたとも考えられるけど……二日で八個……。
今日はもうきっと甘いものは食べないと思う。
妙な確信を胸に、春華は焼き上がってシロップを染み込ませたケーキをラップで包み、冷蔵庫に入れた。




