20 一緒にご飯
「あ、いきなり来てごめん」
ドアを開けた先でヒスイがどことなくおどおどしている。
「え、何? なんかあった?」
ドアを大きく開け直すも、やはりヒスイ一人。
柊が隣にいるのかとも思ったが「大人バージョン」のヒスイがいるということは彼一人なのだろう、という変な直感があり……その通りだった。
「……今、あの女、いるのか?」
妙な間があってボソリと尋ねられた。
あの女……えーと、綾ちゃん、のことだよね。
「え、ううん。今日は遅くなるって言ってたから帰ってくるのは夜中になるんじゃないかな」
春華の返事を聞くとあからさまにホッとした顔になるので。
「えーと、入る?」
思わずくすりと笑みが漏れて春華がドアの内側に一歩下がる、と。
「……いいのか?」
チラリとヒスイの視線が春華の後方、部屋の中に向く。
別にね。
どうせ夜中に来たとしても危険はない男だもんね。
春華は笑い出しそうになるのを堪えた。
ちょっと前に、手が触れただけでも相当な衝撃が走った事を思い出したので。
そんな空気を読んだのか読まないのかヒスイはそろりと玄関から入ってきて。
「食事中、だったのか?」
入ってすぐの台所。食卓の様子を見れば一目瞭然。
「あ、うん、これから食べるところだったけど……食べる?」
一応聞いてみる。
なんなら量はたくさん作ってあるのだ。
綾の食べる量が半端ないので二人分の食事とはいえ、四人分くらいはある。
茶碗蒸しなんか絶対おかわりするだろうと思うから予備を含めて四個作ったもんね。しかもそのうちの一つはどんぶりサイズだ。
「いいのか?」
なんだか急に表情が明るくなったヒスイにどことなくホッとして春華が椅子をすすめると彼はいそいそと席に着く。
なので、茶碗蒸しを一つ温め直して味噌汁を出し、大皿のちらし寿司は取り皿を用意して目の前に出す、と。
「これは……なんかの祝い事、か?」
……ふ。
やっぱりそう思うよね。
うん、私もそうかなって思ったし。
と、春華がいったん遠い目をして。
「……いやぁ……作りたい物をなんとなく作っただけで特に意味はないんだけど」
そう言いながら向かいの席に腰を下ろす。
「作りたい物……あ……なるほど……そういうことか……」
やけに納得するような噛み締めるようなヒスイの物言いに春華が首を傾げる。
そんな反応を見たヒスイはハッとした様子で。
「あ! 悪い! いや、その……今日はなんだかお前の気持ちの浮き沈みが激しいから心配になって……あの女に何かされてるんじゃないかと心配で仕方なかったんだ。で、つい様子を見に来たってわけで……」
「あ……やだ……そういうこと……」
そういえばさっきから私の感情、起伏が凄まじかったかも。
好きな事をやってる間は急上昇で、現実に引き戻されると急降下。
いや、そうはいっても普段からこんな感じはあったと思うけどね。特に綾ちゃんとの同居が始まってからはこの急降下に疲れるから現実逃避をちょいちょいしてたくらいで。
「こないだ巽がお前のこと、お人好しって言ってただろ。俺は……その……それにつけ込む気はないっていうのをちゃんと言っておこうと思って、だな。それと、むしろそういうところ、助けてやれたらいいな、と……勝手ながら思ったわけだ。で、そうなると、お前の心の動きがやけに気になってきて……つい……」
うわ。ストレートに言うなぁ……。
思わず春華が目を丸くする。
持っていた箸は落としそうになったので、ゆっくり箸置きに戻して誤魔化しがてら小さくこほんと咳払いをしてみたりして。
「ありがとう。……でも私、そもそもヒスイがつけ込んできてるなんて思ってないから大丈夫よ。それに『形式上』の関係っていうの、お互いの利害が一致してるじゃない」
そうだった筈だ。
私は結婚なんて考えていない。ヒスイも同じく。で、ヒスイは柊さんの嫁探しをやめさせたいだけで、自分に本気にならず、妖怪であることも受け入れてくれる程度の相手がいれば満足なんじゃなかっただろうか。
……あれ?
なんか今考えながら、胸の中に変な違和感があった、かも。
うん? と首を傾げてみるが、もう一度頭の中で反芻してみて、何も間違っていないような気がするので……気のせいだったことにする。
「……利害が一致……ああ、まぁ、そうだな」
どことなく覇気のないヒスイの言葉に再び視線が正面に向く。
うん。
相変わらず……というか、もう目が慣れてきたからいちいち感想も何もないんだけど。
様になってるよなぁ、和装。
柊さんの和洋折衷を冬の間見慣れていたけど、この人もあれ、やるんだろうか。もうここ最近は暖かくなってきたから単衣の着物に羽織を組み合わせることが多いらしい。
今日はチャコールグレーの絣っぽい着物に焦茶の羽織。羽織は洋装でいえばカーディガンだ。室内で着ていても大丈夫、だろう。
渋いなぁ……カッコいいなぁ……と見れば見るほど目が離せなくなる。
「……なんだ?」
覇気がないままのヒスイが、春華の視線にさすがに疑問を感じたらしく、平坦に聞いてくる。
ので。
「っあ……えーと、その。……それ、美味しい?」
咄嗟にヒスイの手にある茶碗蒸しに目が行って勢いで尋ねてみる。
「え、あ……ああ! これ、美味いな! こんな可愛い麩があるんだな」
てっぺんに乗せてある花麩は避けて食べているからもしかして嫌いだったかな、と思ったがこれはもしかして勿体無くて食べられない方かもしれない。
「うん、それ可愛いよね。お花の形。花麩っていうのよ。滅多に使わないんだけど今日はなんとなく」
「そうか。……あれと同じだな、巽がたまに用意するショートケーキの上に乗ってる苺。あれも食べるタイミングがわからん」
「……ぷ」
言いながら決まり悪そうに花麩の部分を掬い上げて口に運ぶヒスイを見たら思わず小さく吹き出した。
そうか、そういえば柊さんは甘いものが好きだった。
普段からショートケーキなんか食べるんだ。
「ヒスイも甘い物好きなの?」
なんとなく聞いてみる。
そうだ、これから一緒に住むなら好みは知っておかなきゃいけないかもしれない。
「ああ。俺はなんでも好きだぞ。酒も飲むし、甘いものも好き、だな」
「あ、そうなんだ。良かった」
料理をする者としては好き嫌いなくなんでも美味しく食べてくれる人というのはありがたいな。
なんなら綾ちゃんはそういう人だ。なんでも食べる。ただ量が半端ないのと食べ方がお世辞にも綺麗とはいえないのが難点なだけで……。
「そういえば、あれ、すごく美味かったな。前にお前が持ってきた梅酒のケーキ」
和やかに食べている物の感想なんかを話しつつ食事が進んでいく中で、ふと思い出したようにヒスイが話題を変えた。
「え、ああ! よく覚えていたわね。そういえばお花見させてもらった時に一緒に食べたっけ」
ちょっと前に持って行った物をちゃんと覚えていてくれたなんて嬉しい。
と、春華の表情がぱっと華やいだ。
そんな春華に一瞬ヒスイが微かではあるが息を飲み。
「……まぁ、な。ほんとに美味かったんだ。酒の味がするケーキなんて初めて食べたし……」
そう言いながら目の前の物を食べることに専念し出す。
そうか……甘い物、好きなんだ。
なんなら私は知っている。冷蔵庫に大きな箱に入ったケーキがある事を。
あれ、昨日綾ちゃんが職場の人から貰って帰ってきたやつなのよね。だから勝手に手をつけるわけにいかないんだけど。冷蔵庫の中に大きな箱が入ってるから何事かと思ったら中にケーキが八個入ってた。
ちょいちょい綾ちゃんの職場のその人は「一緒に住んでるお友達と一緒にどうぞ」と、庭で採れた野菜とかお裾分けの果物やお菓子をくれるので今回もきっとそういうことなのだろうとは思うんだけど……さすがに「春華さんもどうぞ」と直接言われてないのに手を出すわけにはいかないし……かといってそういう感じのものが冷蔵庫にあるのに別途ケーキを作るなんていうわけにもいかないから今日はデザート系は作ってないんだけど。
出してあげられたら良かったんだけどな。……いや、流石に昨日購入と思われるケーキを人様に出す、は無いか。
あ。
「温かいスイーツ、食べる?」
そういえば甘夏がある。と思いついたので声をかけてみる。
「温かい……って……なんだ?」
箸を止めて真顔で聞き返された。ので。
「うん……甘夏があるから、オレンジのオムレツなんていうものが作れそうなんだけど」
「え……なんだそれ。なんか美味そうだな……」
おお。
ちょっといい反応だ。
そう思えるので、自分の分の皿が空になっているのを確認してから席を立つ。
ダイニングキッチンのいいところの一つは、食卓に座っている人と会話しながら調理ができることだ。
一人暮らし用のアパートだと、キッチンが本当に調理スペースだけで友達を呼んだりしても作りながら会話はできないから気を使ってしまう。
「ヒスイはゆっくり食べててね」
そう言って春華は冷蔵庫に入れておいた甘夏二つと卵二個を取り出す。
あとは砂糖と小麦粉。
甘夏一つは横半分に切って果汁を絞る。
一つは包丁で皮を剥いて、実は袋と果肉の間に包丁を入れながらサクサクと中身だけ出す。
で、果汁と砂糖を混ぜて軽く煮詰めてオレンジシロップにして、最後に果肉を入れて予熱で温める。
シロップ作りの間に卵白と砂糖でメレンゲを作って、そこに卵黄を入れてさらにしっかり泡立てる。そこに小麦粉を大体スプーン二杯程度、小さなザルを使ってふるい入れてさっくり混ぜ合わせたら生地の出来上がり。
フライパンを温めてバターを溶かしているとヒスイが興味深そうに近寄ってきた。
「……へぇ……手際いいな……」
邪魔にならない距離感で覗き込んできてくれるのがありがたい、と思ったら、そうか触れると危険だからか。と、春華が微妙に苦笑する。
「うん、これ、時々作るから慣れてるの。簡単だけど意外に美味しいのよ」
そう言っている間にフライパンのバターが溶けて全体に広がったので、生地を半分、丸く広げてゆっくり焼く。
これは卵焼きの要領に近い。一度ざっと菜箸でかき混ぜて半熟状態でストップ。
で、ごく弱火で火を通しつつ手前に、先ほどの果肉の半分をシロップから引き上げて並べる。で、奥側の生地を手前に倒して包み込むようにしてささっとお皿へ。
同じ容量でもう一つ作って、小鍋に残ったオレンジシロップをかける。
果汁は軽く煮詰めているので少しとろみがついている。
「はい出来た!」
にっこり笑って皿を両手に振り返ると、食卓はきれいに片付いている。
……凄いよね、この人。
春華は先ほどから感心して仕方ないのだが。
ヒスイ、ただ黙ってこちらのやってることを見ているのではなくて、春華が作業に専念して動かない間に使い終わった食器をシンクに移動してくれていたのだ。
一応、綾が帰ってきたら食べてもらう分もあるので、大皿の物はそのままだが使用済みの食器は下げてくれている。
ここはね、洗うとかはしてくれなくていい。
異性が初めて立った他人の家の台所でそこまでやるのは誰も期待しない。仲のいい女友達ならそこは気にしないけど。
でも、出来るだけのことはする。の、加減がとてもいい。
「おお、美味そうだな!」
なんだかその砕けた表情も……今までになく親しみを感じる。
そう思うと春華の笑みも深まり。
「冷めないうちに食べてみて?」
と、フォークを渡す。
そう、これは焼きたてがいいのだ。時間が経てば経つほどしぼんでしまう。先に焼き上がった方の春華の分は既に若干サイズダウンしているほどだ。
「……ん? そっち、小さくなってないか?」
あ、しまった気付かれた。
と、春華が早速フォークで一口分を切り分けて口に運ぶ。で。
「うん、美味しい! これ、時間が経つとしぼんじゃうの。出来立てが一番美味しいのよ」
うふふ、と笑ってみせるとヒスイが眉間にシワを寄せた。
「なんだ、それなら早く言え。こっちを食べればいいだろうが。作ったもんの権利だろう」
「へ? 何それ。聞いたことないわよそんな権利ー! それに、あなたのために作ったようなもんだからね。ぜひ一番美味しいところを食べて?」
思わず声を上げて笑ってしまう。
笑いながら目尻の涙を軽く拭ってしまった。
なんか……こういう気遣い、初めてかもしれない。
と思って。
ここしばらく綾と飲食を共にしていて、彼女は常に自分を優先して欲しいという空気を出してきていた。なんならはっきりそう言って要求してくることもある。
こちらにより良い部分を譲ってくれるとか……あれ? そもそも私、初めての体験じゃないだろうか。
一瞬実家にいた頃にまで記憶を遡りそうになって、やめた。
うん。
なんか、今すっごく嬉しかった!
なんならこれ、このブレスレットを通してでも伝わったらいいなぁ。
くらいに思う。




