17 職場の憂鬱に変化の兆し
「今日この後エリアマネージャーが来るらしいですよ」
出勤した春華に端田がそっと耳打ちして来た。
「え、そうなの?」
……まぁ、だからといって何か業務が変わるわけではないし。
と、春華は一瞬視線を宙に上げてから作業に戻る。
今日は店内の補充商品の入荷の日でもあり、春物一斉値下げのセールが始まる準備を進めないといけない日でもある。
できるだけ早く作業を終わらせないといけないのだが、基本的にどれもみんながやりたがらない作業だ。
まず入荷。
週に一度まとめて入ってくる荷物は営業時間中に店内に運び込まれる。店の片隅に段ボール箱や生地を数反ずつ包んだ荷物が二十個以上入ってくるのだ。
そしてその段ボール箱の中は細かい商品のぎゅう詰め。
それらを一つずつ店の商品として登録する。その後、棚に品出し。
そしてセールの準備。
本社からセール対象商品のリストが来るのでそれを一つずつピックアップして値下げした値段をつける。これもまた細かい作業。
そしてセールが始まったら対象商品が分かりやすいように店内商品を並べ替えなければいけないのでいつでも動かせるように整理整頓は必須。
で、それらの作業は全て営業時間内、つまり客が店内で買い物をしている時に行う。接客もしながら。
入荷のトラックが来る前に、進められるところまで他の作業を終わらせようと春華はちょっと必死になりかける。
で、一旦深呼吸。
いけない。
お客様にこの忙しさは関係ない。接客が雑にならないように気をつけなくちゃ。
それに。
チラリ、と手首に目をやる。
うち、アクセサリー禁止とかじゃなくてよかったよね。これ、結構いい抑制力になるかも。
ヒスイに心の状態がバレる、と思うと心にゆとりを持とうと意識的に頑張れる気がする。
そんなこんなで作業に追われる春華。
そんなこんなでエリアマネージャーが来る。
そんなこんなで荷物が入荷する。
おお……結構てんやわんやだな。
春華がふと周りを見渡す。
昼近くなってくると客足も一旦途切れかかるので、店内作業をまとめてやるのは今がチャンスなんだけど……あれ? なんかスタッフ少なくない?
「ねぇ、木下さんは?」
端田に声をかけると。
「あ、木下さんならエリアマネージャーに話したいことがあるって言って事務所に入って行きましたよ」
と返ってくる。
「あ……そうなんだ……」
あー……こんな日でもそんな感じかぁ……。
春華はあからさまなため息をつきそうになって思いとどまる。
そんなこと考えてる暇があったら作業作業。
エリアマネージャーという人はとても面倒見がいい。
いや、全てのその役職の人がそうであるわけではない。今まで何人か代が変わって都度見てきた春華としては今の人は段違いだと認識している。
今までは店に来ても、自分の仕事をするのみでスタッフに話しかけたり店の作業に口を出したりする人はそんなにいなかった。作業に口を出す、といっても悪い意味ではない。効率的に作業できるように手助けしてくれるのだ。
基本そういう上の人は事務的な仕事と店長と話をするために来ているのであって私たちと話をするために来ているわけではないので、ちょっと異例。
で。
そんな人が来るもんだから。しかもそんな人が上の人であるもんだから。
なんか、うちのスタッフたち……色々相談しに行ったり意見を言いに行ったりするんだよね。
ちょっと前は長々と話し込んでようやく店内業務に戻ってきた木下さんが「エリアマネージャーと仕事のことで話し込んじゃいましたー! なんか私のこと『仕事が好きなのはよく分かった』って褒めてくれたんですよねー」
なんて言ってたこともあったっけ。
……いいんだけどさ。
働け。って思っちゃうのは私だけかな。
てゆーか、よくそんなに毎回話すことがあるな、と思うくらい長話してて……その間店内の仕事が全部こっちに回って来てるんですけど? というのを毎回飲み込んでいる。
結局彼女たち、作業内容が大変だから息抜きがてらお喋りしに行ってる感があるのだ。で、ついでに仕事の不満をそこで発散してる、みたいな。
結論から言って、そういう人たちが店で仕事していても仕事の質は上がらない。
それなら、楽しみながら集中して出来る私が片付けた方が問題が起こらなくていいような気も、する。
実際この手の細かい作業は春華は割と好きなのだ。
集中して出来るなら尚更。合間で接客する時に集中が途切れるのでそこでイライラしないように気をつけなきゃ、と思うくらいには好きな作業。
何しろ入荷した商品を、膨大な数であるとはいえ一つ一つ登録するということは現在の店の在庫状況を把握できるということにも直結する作業だ。
かといって、接客が嫌いかと言われるとそうではない。
人に接するのは好きだし、役に立てたと思う時の達成感がとても好き。
……結局、この仕事、好きなんだな。と思う。
そして昼休み。
店を回すためにスタッフは順番に時間をずらしながら休憩を取る。
なので本日、春華が昼休みを取る時間は午後の二時からだ。
「休憩入りまーす」
事務所が休憩場所を兼ねているので中で作業しているエリアマネージャーに声をかけて入る。
「ああ、お疲れさん」
パソコンと睨めっこしながらでも気さくに挨拶を返してくる彼は四十代、だろうか。歳を聞いたことはないけど大体そのくらい、と春華は思っている。面倒見がいい半面、ちょっと細やかな気質が所作にも表れるような男性だ。
「仕事してるところなのに隣でご飯とか食べちゃってすみませんね」
一応ちょっと離れたところに座りながら一言断る。
私だけじゃなくスタッフ全員が、昼休憩を取り終わっているであろうエリアマネージャーの隣で次々に昼食を食べて休憩していくのだ。働いている方からしたら気が散るだろうな、と思えて仕方ない。
「え、いいよそんなの。気にしないで。高瀬さんもちゃんと休んでねー」
そう言いながらもキーボードを叩く指は止まらない。さすがだ。
なので春華も気にしすぎないようにしながら持って来た包みを広げる。
「お。高瀬さんはいつも美味しそうなお弁当だねぇ。毎朝作ってるの?」
こういう声をかけてくるところとか、やっぱり気を使う人なんだろうなぁ……と思ってしまう。これ、全員にやっていたら自分の仕事進まないと思うんだけど。
「ええ、作るの好きなんですよ。あとは……節約目的ですかね。買って済ませるのは楽だけど……昼食代って馬鹿にならないから」
今日のお弁当は力作です。
厚焼き卵は一人分だから卵一個で作りました。ちょうど三切れ出来るのだ。というか……これは今朝スクランブルエッグを作る時に卵を勢いで一個余計に割ってしまったので。
ポテトサラダは昨日の残りだけど、肉巻きは今朝作った。豚肉で巻いたのは人参といんげん。隙間に茹でたブロッコリーをギュギュっと詰めて、ご飯は炊き込みご飯です。
「あーそうだね。僕なんか毎日コンビニ弁当だから結構お金かかってるよねー」
「あら、コンビニは原価ですよ。最近はスーパーも色々頑張ってるから五百円以内で買えるお弁当も結構ありますよ」
「ええ! そんなに安く買えるの? 今度見に行ってみるよ」
笑いながら相槌を打つ彼は本当に律儀だ。でもそれが逆に心配になる、ので。
「あの、仕事ちゃんと捗ってます? 私の休憩に付き合ってるとまた残業になっちゃいますよ?」
一応釘を刺す。
いつもスタッフのお喋りに付き合っているせいで一人残業になってることが多いのを春華は気にしている。
「あはは。そうだねー……まぁ今日はそんなに大変じゃないから大丈夫。それより、店の方も今日は忙しいでしょ?」
「あー入荷があるとやっぱりちょっとね。あ、でも大丈夫ですよ。今とりあえずひと段落させてきましたから」
「え、ほんとに? 結構な量だったでしょ?」
春華の返事にエリアマネージャーがパソコンから目を離してこちらに向き直ったので。
「え、ああ、まぁ……でもああいうのはコツがあって手際よく集中してやればどうにかなるんですよ。集中しすぎてうっかり接客でボロが出ないように気をつけてますけど」
そう言いながら春華がお茶を飲むと、つられるようにエリアマネージャーも手元にあったペットボトルのコーヒーを口に運んで「ふーんさすが」と目を丸くする。
午後の勤務がひと段落。
これはもう勢いであっという間だ。
やらなきゃいけないことに追われていると時間の感覚が変わる。
……あ、そうだ。今日はこのまま帰れるわけじゃないのか。
ふと、今日の夕飯は何にしようかなー、なんていう思考に走りそうだった春華が我に返った。
昼の休憩時間の終わりにエリアマネージャーが「聞いてると思うけど今日は閉店後にミーティングあるから少し残業つけてもらってね」と言っていたので思い出した。
そして閉店時間ちょっと前から、今日シフトに入ってなかったスタッフたちが出勤して来た。
ミーティング。
これは店長が行うものなので、そこにエリアマネージャーが出席しているというのはちょっと緊張感らしきものが走る。
……なんかクレーム処理とかがあるのかな。しかも本社を巻き込むような大事になってる系?
と思ってはいたけど。
定例通りの内容。営業に関することや今後の指針の確認事項。
そこら辺はトントンと進み。
「じゃ、ちょっと僕からいいかな」
と、エリアマネージャーが最後に顔を上げた。
なんとなくみんなの顔も上がる、と。
「ここ半年ほどこの店を担当させてもらって、スタッフの皆さんの話をいろいろ聞いて来たんだけどね。みんな自分の意見を持っているのはいいと思うんだよね。いい、んだけどね、一人だけあれこれ言ってこないスタッフさんがいるんだよね」
と、視線が春華の方に向いた。
……うん?
春華がきょとんとする。
え? あれこれ言ってくるってなに?
ああ、なんかみんな、エリアマネージャーが来ている時には色々意見しに行ってたね。ああいうのを求められてるってこと?
え、でもさ、聞いてると「勤務体制をもっと改善してほしい」とか「自分はもっとこういう仕事をしたいから業務内容を変えて欲しい」とかそういう主張だったよね。言ってる人たちは「こんなことに気づいて意見できるなんて私って凄いでしょ」っていう雰囲気だったけど……上の人たちは全体を見て出来ることはやってるわけだからあれこれ言うのって無責任だと思うんだけどな。
「高瀬さんはもっとこうしてほしいとか、周りの人がこうだったらいいのに、とかはないのかな?」
そら来た。やっぱりそういう事か。
えーこういうのって意見をしっかり言わない人はダメな人?
でもただのパートよ? そういうのは社員さんだけでやってほしいなぁ。
そう思うとつい眉間に皺を寄せてしまうのだけど。
「うーん……皆さんベストを尽くしてやってる結果が今だと思ってるので特には。それに権利を主張するからにはそれに伴う責任も取らなきゃいけないというわけで……そういうのはパートには荷が重いですよ?」
「なるほど! そうだね。最近は権利は主張する割に責任は取りたがらない人が多いからね」
にこり、と。
エリアマネージャーが表情を和らげて声のトーンが明るくなった。
と。
「私なら責任までちゃんと取りますけどね」
……おおう。
木下さん、好戦的だなぁ。
手元のノートに視線を落としたまま木下が口を挟んできたので春華が肩をすくめる。
「あのね。僕がいいたいのはそこなんだよね」
エリアマネージャーが再び声のトーンを落とした。
「結局のところ君たちは、誰が何をやらないとか、自分がもっと優遇されたいとか、愚痴しか言わないんだよね。責任取るって言うのは簡単だけど、実際にそうするのは大変なんだよ。今日だけ見たって高瀬さんが何をやったか知ってる?」
ええええ、私?
ちょ。私、なんかしましたか?
え、やだ私、名指しで怒られる系?
いきなり名前が上がって春華が気持ち縮こまりながら視線を泳がせる。
と。
「高瀬さんみたいにみんなに気づかれないところで仕事を片付けてくれる人がいるから皆んなは愚痴を言う時間があったんだよ。結局そういう事を言う人は口を動かしてるだけで仕事をしてないんだよね。責任を取るって言うけど結局何もやってないじゃないか。店長も店長だよ。口ばっかりの人の勢いに流されてないで、ちゃんと地道に働いてる人を評価してあげないと!」
「……はい、すみません」
だんだん口調が強くなって来たエリアマネージャーに、店長がしょぼんと頭を下げる。
……あ、え?
私、怒られてるんじゃなくて……褒められてる?
え、でもこういうのは微妙!
「意見を言うなとは言いません。正当な意見であればパートさんの声でもちゃんと上に届くようにします。でもね、君たちはやるべき事をやらないで口ばっかりでしょ。本当に空気悪いよ。店の雰囲気はスタッフの気の持ちようでいくらでも変わるんだからね。気をつけていこう」
以上。
とでも言うような雰囲気にあとは店長が場を締めて解散となり。
「……あの……なんかスミマセン……?」
帰り支度をしながら隣で書類の束をまとめているエリアマネージャーに春華が声をかける。
手慣れた感じで荷物をまとめているけどこの人、結構自分で落ち込んでないかな、という気がしてならない。
普段から他人に気を使う気質で終始穏やかな人だ。
つまり、そういう人は穏やかさを保つ事を美徳と考えて普段から怒りの感情を意識的にコントロールている人。そういう人が怒るというのはその場凌ぎのストレス発散で怒っているんじゃなくて、あえて自分の考えを曲げて、自分を削りながら怒ったという事だ。
「ええーなんで高瀬さんが謝るのー」
へにょりと笑うエリアマネージャーは……あはは、やっぱり思った通り、消耗し切ってる。
他のスタッフは身に覚えのあるところをズバッと言われたせいか、特に私語もなくそそくさと帰ってしまった。
店長はまだ店内で作業をしており、なんとなく最後になってしまった春華とエリアマネージャーだけが事務所に残っているという状況。
「いやもう、なんか……店の雰囲気のことでエリアマネージャーが気を回してくださってありがたいんですけど……絶対消耗しきってますよね?」
もうこれはあからさまになってしまうのだけど、視線に同情を込めてしまう。
「あー……ばれた? やっぱり怒るっていうのは性に合わないねぇ……でも立場上必要だからね。高瀬さんみたいに真面目に働いてくれる人にはいくらでも残業手当でも時給でも払ってあげたいけど、そうじゃない人も同じだけもらってるって思うとちょっとやりきれないんだよねー」
「いやいやいや。そこは各自の権利、ですから?」
「責任が伴わないよねー」
クスリと笑いながら返す春華にエリアマネージャーも力なく笑って答える。
「ああ、そうだ。なんか高瀬さん、皆川さんから失礼なこと言われたんでしょ?」
「え」
ギクリ。
と、春華が固まる。
やだ、そんなことまでダダ漏れか。
「あれね。店長にも言っといたから。高瀬さんは悪くない。時々しか様子を見てない僕にだって分かるんだからちゃんと公平に見てスタッフを教育しなさいって店長に伝えてあるから、気にしないで今まで通りに働いてね。高瀬さんみたいなスタッフは本当に貴重なんだよ。なんなら別の店舗にも欲しい人材なんだよね」
「あ、アリガトウゴザイマス……」
うわー、どうしよう。
なんか、こう……褒められ慣れてないからこういう時どういう顔していいかよくわからない……。
春華はとりあえず頭を下げ……どんな顔してるか自分でもよくわからないまま帰路についた。




