16心は極力フラットに……する努力
「うーん……すごい物を貰ってしまった……良かったのかなぁ……」
春華が左手首を持ち上げてまじまじと眺めている。
帰宅してあれこれ済ませてあとはお風呂に入って寝るだけ、という時間帯。
これは……迂闊に外せないけど……まぁ、部屋にいる間くらいは外すか。
壊れたら困るし。
そっと金具を外して右手に取ったブレスレットを再び観察。
銀の小さなプレートを繋げた素敵なブレスレットだ。
小さな植物模様の彫り込みの物と、黒っぽい石の嵌め込まれた物が交互に繋げられている。
デザイン的にはこれ、カジュアルな装いでも上手く使えば馴染むし、フォーマルでも「アンティーク」として使えると思う。
というわけで……あくまでアクセサリーなのでお風呂とか寝る時は外すとしても……日常肌身離さずつけておけ、ってことになるのよね。
「呪いっていうのはさすがに言い過ぎよ」
柊の言葉を思い出して春華が呟く。
つまり。
今まではお皿がうちにあったから、ヒスイは私の「在宅中」は私の気持ちの変化を察してくれていた。お皿を通して私の心の動きを感じ取ってくれていた。
で、それが無くなった今。
これが、その媒体となる。みたいなことらしい。
しかも今度は身につける物。
もはやうちにいる間、とかじゃなく、身につけている間、そして就寝時とかは身から外すとしても近くに置いているわけだから……もはや四六時中、気持ちがある程度ダダ漏れになる、と。
「別に考えが読めるとかいうことじゃないんだし、思ってることが筒抜けとかでもないんだし……そもそも今までそのおかげで色々便利だったことを考えたらありがたいことなのになぁ」
思わず呟きながらブレスレットを丁寧にハンカチで拭いて小さな棚の上のアクセサリートレイに置く。
あれかな、「好きな人からの執着はストーカー行為として認識されない」ってやつ。
ふとそんな言葉が頭に浮かんで「あ」と小さく声が出る。
いや待て待て待て。
「好きな人」って!
え、あれ?
私、ヒスイのこと「好き」なんだっけ?
形式上の嫁になる約束をしただけだったよね。なんかこう……利害の一致みたいなのがあっただけだったよね。
おおおおお、大変だ。
変に本気にならないようにしなきゃ。……気をつけよう。
ヒスイだってその気はないと思うし。
単に、気が合う相手がたまたま異性だったってだけよ。
都合よく。
気が合う相手。
これも思い出すと、つい、にやけてしまうんだけど。
柊が「呪いの腕輪」発言をした時のヒスイの言葉を思い出す。
「春華は、物を大事にするだろ。そういう気持ちの流れが俺にとっては久しく心地いい存在なんだ。思い入れのある物を扱う時の丁寧な所作も、そこに込められる気持ちの質も、裏表がなくて本当に心地いい。そういうお前なら、これを持っていて欲しいっていう気になった」
ああ、この人とは気が合うな。
なんとなくそう思ったのだ。
今まで周りにそういう風に物を大事にする人があまりいなかった。
壊れた物をいつまでも大事にしていると「そんなものにいつまでも執着して」と冷たい視線を浴びることもあったし、つい先日も「形あるものはいつか壊れるんですよ」って言われたばかりだ。
もちろん、春華の場合、物が捨てられないというのとは違う。
なんなら不要なものは潔く捨てるタイプなので持ち物は少なく生活はいつもシンプルだ。
ただ、思い入れのあるものに関しては敬意を抱かずにはいられない。というだけ。
そして、きっと、その「思い入れ」の入りどころが、ヒスイと共鳴できるんだと思う。誠に勝手ながら。
でもそうか。
四六時中、気持ちがダダ漏れするんだとしたら……。
心がいつもフラットな状態であることができるようにちょっと気をつけないとね。
あんまり激しく落ち込んだりしてると心配させてしまうかもしれない。こないだみたいに飛んでこられたら……そりゃこっちはいいタイミングで来てくれてるわけだから嬉しいけど、申し訳ない気持ちの方が勝る。
……精進しましょう。
夜、寝て、朝。
目覚めは良好。
「オハヨウゴザイマス」
なんとなくブレスレットにそんな声をかけながら身支度の最後に腕にはめる。
繋がっているという感覚が勝ってしまうアイテムだけど、別に声が届くとかそういうことではないわけだし。
にしても声をかけちゃうのは……ちょっと……無しかな。
「えへへ」
つい妙な笑みが込み上げて来たのをグッと堪えて台所へ。
朝ごはんの支度は、まだ今月は春華の分担だ。
とりあえずお湯を沸かして珈琲を入れる準備。
春華の朝食は基本的にシンプルだけど野菜は多めだ。
和食なら味噌汁にこれでもかってくらい野菜を入れる。
今日はトーストにするので温野菜のサラダ。
人参、玉ねぎ、ブロッコリーを少なめのお湯で蒸し煮にしてドレッシングをかける。
ここで珈琲を淹れておく。
朝はタンパク質を摂るといいっていうから……今日はスクランブルエッグ。
溶き卵に味付けして牛乳を少し。
温めたフライパンでゆっくり火を通してとろりとさせる。
パンには切れ目を入れてからトースト。
綾は自分が食事を作る担当の月は「ギリギリまで寝ていたい」と理由をつけて朝食抜きで出かけるので春華は自分の分だけ作って食べるが、春華が担当の月は寝坊でもしなければしっかり食べる。
こんな風に台所でバタバタしていればトースターが軽快な音を立てる頃には綾が身支度を整えて部屋から出てくる、というのが大体いつものパターン……なのだが。
「あれ?……綾ちゃん、ご飯できたよ?」
なかなか出てこない綾に春華が声をかける。
今日は睡眠優先の日かな?
そういえば台所で作業している間、部屋の中で音が全然しなかったような気がする。
「……あーはい……すみません。なんか風邪ひいたみたいで……今日は仕事休もうかな、と思って」
「え、そうなの?」
見た感じそんなに辛そうには見えないけど、まぁ……確かに言われてみればいつもと比べて覇気がないかも。
そう思うのでチラリと食卓の方に目をやって。
「じゃあご飯はいらない?」
聞いてみる。と。
「あ! 食べます! お腹は空いてるんです!」
慌てたように部屋から出て来た綾が席に着く。
「そう。風邪ひいてる時に食べるようなものではないかもしれないけど……まぁ、食べられるなら大丈夫そうね」
そう言って春華も席に着き食事を始める。
とろとろのスクランブルエッグはトーストに乗せて食べても美味しい。
ジャムもあるので綾はそれをたっぷり乗せている。春華が作った林檎のジャムだ。
で、一通り食べ終わったところで。
「あれ? 春華さん、そのブレスレットどうしたんですか?」
綾が珈琲のカップを手に取りながら目を丸くしている。
「え、ああこれ。うん、貰ったの」
もはや誰にいつ貰ったかは話すまい。
という心の声は絶対内緒。
「ええーーーーー! なんですかそれ! なんで春華さんがそんなブレスレットなんか貰うんですか? ずるい!」
綾のいきなりの反応に春華がびっくりしてちょっと引いた。
え?
なに? 私がこういうの貰っちゃいけないってどういうこと?
「えっと……まぁ、こういうアンティークってちょっと良いよね。うん、綾ちゃんももう少し大人になったら自分で買えるんじゃない?」
とりあえず当たり障りなく返してみる。と。
「え! それ、アンティークなんですか? ……ずるい! そういうのは私が先に柊さんから貰うはずなのに!」
「……え?」
……柊さんから貰うの?
えーと……あ、もしかしてこれ、私が柊さんから貰ったと思ってるのかな……でも訂正するとヒスイのこと話さなきゃいけなくなるかもだし……。
と、春華が次の言葉に迷っていると。
「柊さんって、私には、すっごく優しいんですよ! 昨日も『事故起こしちゃって大変でしたね』って気遣ってくれて!」
……今「私には」のところ、やけに強調してたような気がしたけど……気のせいかな。
春華が「そうなんだー」と無難に相槌を打つ。
そもそもひいらぎ屋に行った話自体、彼女の口からはまだ聞いていないけど……ここはそんなに気にしなくていいところなのかな。
でももはやこれはひいらぎ屋に行ったことは前提になっていそうだからその話はしていいってことなのかもしれない。
なんとなく返す言葉も探り探りになってしまう春華だが。
「仲良くなったのなら、今度綾ちゃんがあのお店でこういうアクセサリー買ったらいいんじゃない? あそこ、結構アンティークとかのアクセサリーもあるよ?」
そんなに欲しいなら、と付け足すのはなんとなくやめる。
「知ってますよ、そんなの。でも私はああいう店で買い物はしないんです」
「……え、そうなの?」
話の落とし所がよく分からなくて春華が聞き返すと。
「柊さんみたいな人はきっと私に色々奢ってくれるんですよ。だから私はお金なんか出さなくってもいいんです。今までだって周りの人たちは決まって私にお金を使ってくれてたんです。それに私がお店でお金使ったら柊さんに貢いでるみたいじゃないですか」
「え、そんなにお金使ってくれる人が周りにいたの?」
いや、綾ちゃんだぞ。
ここに来てからは小さなクリニックで週一日半勤務だから世の中的には貧乏生活的な収入であるとはいえ、以前は病院勤務で結構稼いでいたらしいし……つまりそもそもある程度お金を持ってるわけで……しかもこの性格で……お金使ってくれる人が周りに沢山いたの?
もはや「お金を使ってくれる」は同情と同義だと思えてしまうのは致し方ないのだけど。
「いましたよ! 母のお友達のオバチャンたちはみんな親切だったし、前の職場の人達も『綾ちゃん面白いねー』ってよく奢ってくれましたし! 今だって職場で母と同年代の人がいて仲良くしてくれてるんです。『私に娘がいたらこんな感じかしら。もう目が離せないわ』なんて言ってくれるし! 私、お友達作るの得意なんですよ?」
……あ、なるほど。親のつながりで可愛がられてたのか。あとは看護師さんたち……え、看護師さんって献身的で面倒見のいい人が多いのかな。職業柄……いる確率も高いのかもしれないね、そういう人。あ、まぁ、みんな稼ぎはあるからお金使うことに関しては特に抵抗ないのかな?
「……あの……もしかして綾ちゃんて、柊さんのこと好きなの?」
彼女のセリフには色々ツッコミどころはあった。けど、もう一つ気になることの方、いっちゃおうかな?
と、春華が尋ねると。
「え、そんなんじゃないですよ! 柊さんって凄く優しいし……それに! 今クリーニング屋さんから出て来た、みたいに、キレイですよねー」
と、顔を真っ赤にして両手で頬を押さえつつ全身を揺すって答える綾。
え……ああ、清潔感溢れる人、とかいうことかな?
いや、そもそも。その感じ、ベタ惚れだよね? 私、あなたがそこまで照れながら人のこと褒めるの初めて見たけど?
と思うので。
「悪いんだけど、柊さん、好きな人いるらしいよ?」
これは本当。
あの人、モテそうなのに過去に何かあったらしく、女性と付き合うとか結婚するとかは考えてないと言っていたことがある。
つまり過去の女性にまだ執着しているということだと思う。
なので私はビジネスライクな付き合いの土台が作りやすかったのだ。
そんな事を考えながら珈琲を口に運ぶと。
「そんなのただの噂でしょ!」
バンッ!
と、大きな音を立ててテーブルに両手をついた綾がその勢いで立ち上がるとドシドシとわざとらしく足音を立てながら自分の部屋に向かい、そのままバタン! と乱暴にドアを閉めてしまった。
……えー……まじか。
これ、本気のやつじゃん……。
……まぁ、私は関係ないけどね……。
春華は出勤前からどっと疲れたような気になって、静かに食器を片付け始めた。




