14 来訪者
コンコンコン
控えめな音がして春華がびくりと肩を振るわせた。
「……え……?」
音がしたのは部屋のドアではない。
窓だ。
いやいやいや。
ここ二階だから!
ノックされるとかオカルトか。
一応、窓の外はバルコニーにしてはちょっと大きめ、ベランダと呼ぶにはちょっと狭め、のスペースがあって物干し竿には洗濯物を干すときに使うハンガーが幾つかかかっている。
ので、もしかして風で揺れて窓にぶつかったかな? と、思わなくも、ない。
……いや、今の音は明確な意図を持って叩かれた系の音だったけどな。
小さな可能性は春華の理性が無惨にぶった斬った。
そして、何だか怖い感じは一切しないのよね。
どことなく、よく知った者がそこに居るような、そんな妙な安心感がある。
なので、ティッシュを手に鼻をかみつつカーテンを開ける。
「……え。ちょ、ヒスイ?」
暗い窓の外からガラスにペタッと張り付くようにこちらを覗き込んでいるのは子供の姿の、ヒスイ。
カラリと窓を開ける手に躊躇いはなく。
「ごめん」
あまりの出来事に頭がついていかない春華が自分の部屋にヒスイを入れると、ヒスイは顰めっ面のまま中に入ってローテーブルの前で春華の方に向かって正座するなり謝ってきた。
「え、何? 何が?」
春華は思わずヒスイの前に膝をついた。
なんか、こう……可愛い男の子が顰めっ面で謝る姿はどことなく母性を刺激する。
なんならこの顰めっ面、泣くのを我慢してる顔じゃないだろうか?
「いや、だって……こんな時間にこんなとこから入ってきたら怖いだろ」
「え、ええ? ……あ、そこ?」
なんかもう、色々頭がついていかなくて困る。
うん、そうね。こんな時間に、なんのホラーかと思うよね。……でもヒスイだったし?
「しかも、女性の部屋に男が乗り込んでくるって、こんな時間にやっちゃいけないことだよな」
「え……あ、ああ……まぁ……」
別に夜中とかじゃ無いけどね。時計に目をやると八時半を回ったところ。……でもヒスイだし?
「だからごめん。でも、ちょっと、今回だけは……ただごとじゃ無い気がしたから」
神妙な面持ちでそう言ったヒスイはチラリと横目でテーブルの上の物に目をやる。
「あ……」
テーブルに並べられているのは割れた皿。
そうか。
これがあるからヒスイは私の心の状態を察することができるみたいなことを言っていた。
そうか、割れてしまってもそれは分かるものなのかな。
なんてどうでもいいことを一瞬考えそうになってから。
「あの……ごめんね! このお皿、すごく大事にしてたんだけど……割れちゃって……!」
春華が慌てて謝ると。
「いや。別に春華が割ったわけじゃないだろ。こういうのって壊れる瞬間ってなんとなく分かるんだ。で、春華が心を痛めたのはつい今さっきだ。なんならさっき仕事から帰ってきた時からずっと落ち込んでたところにトドメとばかりに……だっただろ。いくらなんでも酷すぎると思って、いてもたってもいられなくなって……巽を振り切って飛んで来たんだ」
「……飛んで……?」
「妖怪だからな」
子供らしからぬ不敵な笑みを浮かべるヒスイは、それでもなんだか可愛い。
あれ。
「じゃ……もしかしてその子供の姿なのって、わざわざ気を使ってくれてる?」
なんとなく今の会話の成り行きから結構気を使ってくれているような気がしたので春華が目を丸くして尋ねてみる。
大人の姿であんな風にやってきたら……そりゃ結構びっくりするし……きっと非常識という「ヒスイ基準」が発動しそうだ。確か私は彼の嫁なんだけど。
「あっ……そそそそ、そう、なんだ。うん、だって……いつもの格好だと色々、まずいだろ」
途端にヒスイが挙動不審になる。ので、春華がつい「ぷ」と軽く吹き出した。
「いや、私一応あなたの嫁だからね?」
深い意味もなくそう言うと、小さな肩がビクリと跳ね、耳まで赤くなったヒスイが春華の顔を凝視してきた。
「え……」
やだな、そんな仰々しい反応されたら、軽い気持ちで言った言葉が急に重くなっちゃうじゃない。……え、撤回すべき?
と、春華が固まると。
「あ、うん。そうだ、な……そうなんだけど」
何か意味ありげに言い淀まれてしまった。
「?」
春華が無言で疑問符を投げかけると。
「……大人の……格好だとお前より大きくなるだろ。そんな姿で、そんなに傷付いているお前を目の前にしたら触れたくなるだろうが」
「……え……あ……はいいいっ?」
ズササっと、思わず春華が座ったまま勢いよく後ずさる。
ちょっと、今、なんか……変なこと想像しちゃったし!
いやでも今の、そういう意味の発言だったよね?
頭の中で今のヒスイの言葉を反芻しながら確認すると、やっぱり顔が熱くなる。
と。
「多分、俺、今は触れられないんだ」
こちらの反応にお構いなしに神妙な面持ちでヒスイが続けるので、春華は火照った頬を両手で包み込みながら眉を顰めた。
「?」
相変わらず無言で次の言葉を促してしまう。
そんな春華にヒスイはどことなく緊張した様子でそっと手を差し出してきた。それはまるで握手を求めるかのような仕草。
なので春華はその伸ばされた、自分より小さな手に合わせるように手を伸ばす。
そうして、指先同士が触れたところで。
バチン!
「痛っ!」
火花が出たのではないだろうかというくらいの静電気で春華が手を引っ込めた。火花どころか火傷したんじゃないかという痛みまであった。
「ごごごめん! すごい静電気だったね! 痛かったでしょ?」
自分の手をさすりながら春華がヒスイに目をやると。
「静電気……ではない」
なんとも悲しそうな顔のヒスイがポツリと呟く。
「……は?」
春華が聞き返した。
……どうやら。
これも呪いのようなものらしい。
そもそも妖怪というものは人の目に見えず、触れることもできず、人の世と関わり合いを持たない存在なのだとか。力の強い妖怪が姿を現すことができたり、それに応えることができる特定の力を持つ人間が不意に見ることができる、という存在。
でも中には力が強くて人に見える状態で人の世に紛れて生活しているものもいたそう。
大昔、そんな妖怪たちを恐れた人間は陰陽師の組織を作り、妖怪を封じたらしい、のだ。
厳密には人の世と妖の世の間に境界を作って、人と関わらなくていいようにした。
で、その境界を逃れたのはその時点で力を持たない、言ってみれば小物の妖怪。
当時、座敷童として大して力を持っていなかったヒスイは人の世に残ってしまった。そして、人魚を助けたのもその時。
人魚は古い血筋で大きな力を持っていたが、境界が出来上がってしまう前に子供を取り戻すことができて生き別れにならなかった礼に、とヒスイに祝福を授けたが、それによって変に力を得てしまったヒスイはその反動で人に触れることができなくなった。
元々、大妖や神格の妖は簡単に人とは触れ合えないのだとか。その触れ合いで人に影響を良くも悪くも与えてしまわないようにという自然の理のようなものらしい。
で、ほとんどの場合は、触れようとしてもすり抜けるという現象が多いのだが、ヒスイの場合はなぜか「こういう」現象によって触れることができない。
ほんの少し触れただけでかなりの衝撃を感じた指先を見ながら春華がその話を聞くに及び。
「じゃあ、例えば頭を撫でたりとかしたら……」
隣で俯いているヒスイの髪はなかなかに触り心地が良さそうで、いつかわしゃわしゃと撫でてやりたいと思っていたのだが。
「……よせ。火の中に手を突っ込んだのと同じ痛みが伴うぞ」
半眼でじとっと睨まれてしまった。
「痛いのはこっちだけ?」
「いや、俺も同じだ」
はああああ、と深いため息まで吐かれてしまった。
うわ……そうなんだ。
それってつまり……誰ともスキンシップが取れないということで……え、それって可哀想すぎやしないか?
と、春華が考え込む。
えーと……あ、でも。
そうか。
この人、価値観のレベルからいって現代の日本人にしては古風。むしろスキンシップって今時、かも。
昔の日本人は、そう簡単に人に触れたりしないし……そうよね、親が子供をハグしたりっていうのすら異文化だ。
そう思えば……別に不自由はしないのか。
女性と手を繋ぐとかもそうそう無いだろうし、肩を抱くとかも無いかもしれない……え、あれ?
「え、ちょっと待って。私、嫁なんだよね? えーと……触れられないっていうのは……その……立場的にありなの?」
言いながら赤面している自分を自覚する。ええ、自覚しますとも。こんなこと女子に言わせるな。だって嫁だぞ。そのつもりがあるかどうかは別として、ええ、別として、ね! 夫婦の営み、的なことがあるでしょうが。いや、そのつもりがあるかどうかは別だからね!
心の叫びは押し殺しつつ、そろりと春華の視線がヒスイに向く。
と。
「今は、って言ったろ。お互いが本気で伴侶として認めて思いが通じれば触れ合える間柄になれる」
「ふ、ふーん……そう、なの?」
なにそれ、おとぎ話みたい。お姫様のキスでカエルが王子様に戻るとか、王子様のキスでお姫様が眠りから覚めるとかそういうやつかな。
でも火で焼かれるような痛みがあるかどうかやってみなきゃわからないキスって……やだ怖い。
「ああだから、嫁が欲しいわけじゃないって言ったろ。お前はそんなこと気にしなくていいんだからな。別に怪我させたいわけじゃ無いんだ。俺はただ巽があれこれ気を使うから黙らせたかったってだけで」
思わずさっき痛みが走った指先をまじまじと見つめてしまっている春華に、慌てたようにヒスイが声をかけてきた。
「あ……うん」
そうだよね。
そんなようなこと言ってたよね。
だから私も便乗したんだし。
そう思うけど……なんか今、胸の奥がちくりと痛んだ……のはなんでだろう。
「それに、お前を嫁にするということにしたら巽は大喜びだったし……俺も、その……なんだ……」
慌てるようにヒスイが言葉を重ねてくるので春華の視線が再びヒスイに向くと。
「えーと……お前は、その……嫌いじゃない。なんていうか……心の動き方とか、言う事とかやる事とか……そばにいて安らぐんだ。これで巽が別の女を紹介するとか言って連れてくるようなことがあったら物凄くめんどくさい」
そう言ったヒスイは決まり悪いのか、わざとらしく横を向いた。




