12 特別枠のお花見
結局、春華は一日半、寝込んだ。
運良く仕事の休みが続いたので何事もなかったように三日目にはひいらぎ屋にふらりと立ち寄る。
「お見舞いありがとうございました」
そう言いながら持って来たパウンドケーキを差し出す。
何かお礼を、と思って作った物。
「おや、これはこれは。なんだか気を使わせてしまいましたね」
春華を見るなり柔らかい笑顔になった柊が差し出された包みを手に取って分かりやすく喜ぶ。
「なんだそれ」
興味津々といった顔で覗き込んでくるヒスイに。
「春華さん、お菓子作りも上手なんですよ。今日のはなんのケーキですか?」
と、説明しながら尋ねてくるあたり、柊もだいぶ慣れている。
春華は元々お菓子は買ってくるより自作する方が好きだ。かといってまとまった量を作ったら一人では食べきれないので職場やひいらぎ屋へはしょっちゅう持ち込んでいたのだ。……最近はあっという間に消費する綾がいるのでそれも少なくはなっていたが。
「去年の梅酒の梅で作りました。そろそろお酒の方がなくなるので引き上げた梅です」
説明する春華を半ば放置するような柊が早速皿とフォークを持って来た。それでも春華の説明はきっちり聞いているようで「ほう……梅酒ですか……」と呟いている。
「あとはナイフが必要ですかね」
柊は包みを広げてパウンドケーキが切り分けられていないまま入っているのをにんまりしながら確認する。
どうやらケーキが気になって仕方ない様子。
こういう反応が好きだ。
と、春華は思う。
持って来たものを素直に喜び、食べようとする。
昔、実家にいた時はなかった反応。
子供の頃からお菓子作りが好きでよく作ってはいたが、両親は特に関心を示さなかった。母は「そんな物を食べたら太る」と言ってようやく一口食べる程度。父は出せば食べるが特に感想はなく黙って黙々と「処理する」といった食べ方だった。妹は春華が何かを作って成功させると決まって不機嫌になった。「あとで食べたくなったら食べて」と出しておいたものがゴミ箱に入っていた時もあった。
そんな反応の中で育ったので自分の作る物はきっと美味しくないのだろう、と思って練習を重ねた結果、それはそれで腕は上がり、更には家族以外からは褒められるので不味い物を作っているわけではないという確認ができたのだ。
最近は綾が食べ方はどうあれ「美味しい」と言って食べるので、それはそれで嬉しくもあった。
「ふーん……美味そうだな」
柊が持って来たナイフで切り分けられるケーキの断面は綺麗な黄色の生地に刻んだ梅の爽やかなグリーンがちらほら見えている。
丸のまま持ってくる場合、作り手としても中の状態はここで初めて見るので春華もつい凝視してしまう。
「あ、そうだ」
ケーキを切り分けていた柊が手を止めた。
「春華さん、お花見ってもうしました?」
こちらに顔を上げて問われて。
「あー……実はできなかったのよね」
と、春華が答える。
ちょうど暖かくなって満開になったのが春華が寝込む直前だった。その前は仕事でバタバタしていて、ここ数日で桜はもう散り始めている。
咲き始めたら、あとはあっという間。
今ここに来るまでの間で桜吹雪の道を通ったので春華としては「今年はこれで満足しよう」と思っていた。
「なるほど」
柊がそう言うと、ヒスイがすっと立ち上がる。
で、普段は開ける事がない店内の引き戸に近づきそっと開ける。
その引き戸は普段は手前に商品であるテーブルが置いてあるので開けるところは見た事がなかった。
位置的には開けると庭に出られそう。
「ほら」
ヒスイが顎で指すので春華が釣られるようにそちらに歩み寄り、外に顔を出すと。
「え、うわ……」
思わず目を見張る。
外に出ると案の定、庭。
で、建物の構造上、庭は店の入り口の方に向かって広がっており、つまりそれはいつも春華が車を停めている辺りに向かって広がっているということだ。
春華が車を停めているのは、生垣で遮られた外のスペースで、その生垣の内側には大きな桜の木があった。
というわけで。
「ちょうど見頃だ」
ヒスイがちょっと得意げにそう言う通り、生垣のこちら側にある桜は今がまさに見頃。ひらりひらりと散る花びらはまだ少なくて、完全に満開だ。
そういえば先ほど車を乗りつけた時、視界の隅に満開のこの木が入ったはずだったけど……もう少し花が少ないような気がして「やっぱりもう散ってしまったか」と思った気がする。
そもそも、手土産のケーキをそっと運ぼうとするのに精一杯だったからよく見ていなかったのだけど。
「あれ? ここって少し寒い? 他より遅くないですか?」
嬉しくてつい声が大きくなってしまいながら桜の木から目が離せないまま後方にいる柊に春華が声をかけると。
「春華さんがくるのを待って満開になったんですよ」
などとやたらと気の利いた答えが返ってくる。
しかも、なんと気の利いたことか。桜の木の下にはアンティークなテーブルと椅子が並んでいてお茶ができるようになっている。
ヒスイがそちらへ行くようにという仕草で誘うので春華は恐る恐るテーブルに近づくと、ヒスイが椅子を引いてくれたので、流れでそこに座る。
「特等席……」
思わず声に出た。
低い枝には溢れるように咲いた桜の花が玉になっている。
それに、座らせてもらった椅子とテーブル。
これって、今まで引き戸の内側にあった「商品」ではないだろうか。
「お前が来るのを待ってたんだな」
そう言いながらヒスイが、隣に座る。そう大きくはない木製の丸テーブルだ。
「え、なにそれ」
目に映る風景があまりに美しくて、自然と笑顔になった春華にはヒスイの言葉も単なるお世辞にしか聞こえない。
「ここんとこ毎年、花が咲く時期にお前がこの木のこと褒めてやってたんだろ?」
「え?」
どうやらお世辞とかそういう類の話をしているわけではなさそうで、春華がふと我に返った。
まぁ確かに桜の木は好きなので毎年満開になる日を狙ってひいらぎ屋に足を運んでは、いた。
ちらほら咲きだすと嬉しくて、用もないのに車を停めては眺めて……誰も見ていないのをいいことに「いい子だねぇ」とか「もうじき咲くんだね、頑張ってね」とか声をかけたりして……いや、思い返すとちょっと恥ずかしい。
「他の桜が満開になっても咲ききらないから不思議に思ってたけど、今日お前が来たら一気に咲いたところを見ると……待ってたんだろ」
「はぁ?」
なにそれ。
意味がわからん。
いや、もちろん嬉しいお世辞だけども。
春華が目を見開くとヒスイが得意げに目を細めて満開の花を風に揺らす木をゆっくりと見上げる。
「この木はお前が気に入ってるらしい。……そもそもお前は植物と相性がいいんだろうな」
と呟く。
いやいやいや。
何をおっしゃいますか。聞き捨てなりません。
「それは……ないと思うよ」
春華がつい顰めっ面になってぼそっと呟く。
「あ?」
ヒスイがきょとんとした顔になったので。
「私、ほんっとうに植物と相性悪くて。そりゃ緑の手には憧れるけど。絶対私の手は茶色なの」
あれ、赤い手っていうんだったかな? と思いながらつい過去のあれこれを思い出す。
子供の頃、珍しく母が小さな花の鉢植えを買って来てくれた事があった。母から私だけ何かをもらうなんて、まずない事だったし、花をもらうなんてそもそもびっくりするくらい嬉しくて日当たりを考えたり水やりを忘れないようにしたり頑張ったのに花が終わると同時に株ごと枯れた事があった。
学生の頃は「癒しが欲しい」と、勉強机に小さめのサボテンの鉢を置いていた事があったがそれもダメになった。
そしてつい最近。
あまりに毎日のストレスが多いからこれもまた「癒し、大事」「目に入るところにグリーンがあったらきっと心が休まる」と、丈夫そうなアイビーの苗を買って来て可愛い鉢に入れて飾っていたけど……二週間で枯れた。多分根っこから腐った。
小さな芽が干からびて、葉っぱが次々に色褪せて落ちていく様子とか、もう見るに耐えなくて胸が痛むので植物を近くに置くのはやめようと心に決めたのは……本当につい最近だ。
「春華さんは緑の手だと思いますけどねぇ。なにしろその桜、今朝まで咲くのを渋ってましたよ。……なんなら待っていたのは桜の木だけではないとも思いますが……」
そんな声がして目の前に紅茶のセットが並び始めた。
大きめのトレイに紅茶のポットとカップとソーサー、ミルク用の大きめのピッチャーを持って来た柊が、さりげなく会話に入って来て、ヒスイがわざとらしい咳払いをした。
「あはは。お世辞でも嬉しいですけどね」
春華の反応はいたってドライだ。
紅茶のポットにはティーコゼーがかかっている。こういうところ、柊さんきっちりしてるよね。と、春華は感心してしまう。
春華が紅茶好きなのを彼は既に知っている。
なので時々「いい茶葉が入りましたので」と、もてなしてくれる時にはきちんとゴールデンルールに乗っ取って淹れてくれるのだ。
春華も家でゆっくりティータイムを楽しむ時には同じようにやっているのでつい笑みが漏れる。
「はい。おもたせですが」
そう言いながら柊が切り分けてケーキ皿に乗せた先ほどのケーキを三人分テーブルに並べる。
紅茶のセットをテーブルに並べたあと、一旦家の方に戻ってトレイにケーキを乗せ直して戻って来たのでその間にポットの中の茶葉はいい感じに蒸らされている。
そろそろ良さそうだからここは私がサーブしようかな、と思って手を出そうとしたタイミングで柊がティーコゼーを外してポットの蓋を開け、優雅に中の茶葉を軽く一混ぜ。
ああ、今日は私はホストではなくお客だ。と、春華は客の礼儀として何もしないで待つ、に徹する事にする。
一混ぜして均等な濃さになった紅茶がアンティークっぽいティーストレーナーを使って注がれると、ふわりとベルガモットの香りが広がった。
「アールグレイ、ですね」
春華がにこりと笑みを浮かべると柊が「はい」と肯定。
そんなやりとりをヒスイが興味深そうに眺めている。
春華の前には紅茶のカップの隣にミルクピッチャーが添えられる。大きめなので一人用ではないが、柊は使わないものだ。
何度か紅茶をご馳走になっているうちに好みを覚えられた。
春華はミルクティ好きだ。
なので遠慮なくアールグレイにミルクを入れる。
そんな様子を隣で見ていたヒスイが「それ美味いのか?」と聞いてくるので「私は好きよ」と答えると、無言でピッチャーに手を伸ばしたヒスイは自分の紅茶にもそれを注ぐ。
その仕草に春華はちょっとたじろいだが、ふと、可愛いな、と思えて笑ってしまった。
そんな様子を見守る柊の視線が意味ありげに緩い。
今年はほとんど諦めていたお花見。
こんな雰囲気で、こんなメンバーで、こんな場所でできるとは何て贅沢なんだろう。と思う。
それになんだか浮かれ切ってしまいそうな言葉ばかりもらう。
ここ最近、やけに心が疲弊していた。
それが少し緩んで和らぐような気がする。
そんな気がして春華は桜の下のお茶会を堪能した。




