10 不調
なんだか頭が……痛い。
明け方、春華は頭痛で目を覚ました。
あー……最悪な起き方だわ。
よりによって痛みで起きるなんて……あ。だめだ、これ……多分熱が出てる。
体の不調を認識した春華はのそりと起き上がって時計を確認。それからスケジュールも。
体調を崩すのには慣れている。
なのでこういう時に何をしたらいいかも手慣れたもの。
「あー……私、めちゃめちゃついてるわ」
思わず独り言と共に枕に突っ伏す。
このまま熱が下がらなかったら明日くらいまで仕事を休まなきゃいけないから、ある程度の時間になったら店長とシフト交換してもらえそうな誰かに連絡しなきゃいけないんだけど、スケジュール確認したら、今日はそもそも休みだったけど、なんと三連休だ。
三日あれば完治して更に休息も取れるはず。
多分疲れが溜まっただけだし。
次に目が覚めたのは朝九時過ぎ。
そういえばバタバタ音がしていたような気がしたから綾は出勤したのだろう。
具合悪くてもお腹は空くんだよね……。
と、むくりと起き上がって布団から出る。
熱のせいか多少ふらつくとはいえゆっくりなら動ける。これであちこちにぶつかったりしたら泣きっ面に蜂になってしまうのでところどころで壁やドアに手をつきながら台所へ移動。
調理しなくても食べられるもの、何かあったかな、と冷蔵庫を覗き込んで「あー」とつい声が漏れた。
作り置きのおかず、少し残っていたと思ったけどキレイに無くなってる。
そうか、昨日の夕食、綾ちゃんには少なかったのかな。夜中に残っていたものを全部食べたな。
昨日は彼女の帰りが遅かったので食卓に食事を用意して春華は先に寝たのだ。
別に跡形もなく食べたからといって悪感情は全くない。むしろ、美味しいといって食べてくれるのは嬉しいのだ。
なので、まあいいか、と割り切って、冷凍してあるご飯を出そうと冷凍庫を開けて……。
「うあ……そう来たか」
余分に炊いたご飯は小分けにして冷凍しているのだが……全部無くなってる。
「あれぇ……確か昨日三つか四つくらいは残ってたと思ったんだけどなぁ」
つい独り言が漏れた。
いやいや、いいのよ別に。
以前もあまりにお米の消費が激しいからそれとなく言ったところ「えーだって春華さんが作るおかず、美味しいんだもん。ご飯足りなくてー。そもそも私、実家でもご飯はいつも三杯食べてたんですよね」と、どんぶりを手に笑顔で言われたことがあった。
一応褒められているのでそれはそれでよし。
うーん……どうしようかな。一から作るのか。
結構ふらふらするから早めに作れて胃に負担にならないものがいいな……。
と、あちこち開けてみてとりあえずうどんの乾麺を取り出す。量は少なめにしよう。
で、鍋に水。火にかける。
隣の鍋で水と顆粒出汁。玉葱をスライスして入れて沸々したところに醤油と味醂、乾燥わかめを入れて、最後に溶き卵を入れてかき混ぜてスープ完了。
茹で上がったうどんにスープをかけて、……これなら取り敢えずお腹満たされるかな。
と、出来上がったものを部屋に持っていく。
子どもの頃から具合が悪くても台所に立つことはよくあった。
小学生の頃は仕事で母親が留守の間、具合が悪くて学校を休んでいる時は自分で食べたい物を用意して食べていた。まぁ、パンをトーストするとか目玉焼きを作るとか、残ったご飯と味噌汁を温めるとか程度だけど。
中学生の頃初めてインフルエンザにかかった時は、高熱で時間の感覚がなくなり、家族の食事の時間に合わせて起きられず、夕食の時間を過ぎてから「お腹空いた」と居間にいた母に声をかけたら「もう皆んな食べ終わっちゃったわよ。台所にカップラーメンあるからそれでも食べなさい」と言われたことがある。
あれ、今思えば全く悪意無かったんだよね。
私がしょっちゅう体調崩してたから、家族も慣れ過ぎ……を通り越してむしろ飽きていたんだと思う。具合の悪い子供を看病するというイベント感覚がなくなってる、というか。
私も多少ショックを受けたとはいえ「そんなもんか」と受け流した。
さすがにカップラーメンは食べる気にならなくてお粥を作って食べた記憶があるが。
さっきスマホを見たら今日はだいぶ暖かい日らしいけど、寒気がする、ということは……熱がまだ上がる気満々なのかもしれない。
ので再び布団に潜り込む。
ええ、これは怠けてるわけではありませんよ。と自分に言い聞かせて。
熱があるから寝る。具合が悪いから休む。
という事がなかなか自分の中で正当化できないのもきっと育った環境の影響なのだろう。
子どもの頃。
「気持ち悪い……」と言って座り込みそうになったら「またそんな大袈裟な事して」と母に言われた。父は「そうやって親の気を引こうとしてるだけだろう」とため息を吐いた。
「頭が痛い」と言ったら「子供がなに大人みたいなこと言ってるの」と変な目をされた。
なので「めまい」とか「動悸」とかの単語も使うのをやめた。
家を出て何が楽になったかって、具合が悪くて寝ていても怒られない事なんだよね。子どもの頃はそんなことしてたら「なに怠けてるんだ」「子供は学校の宿題が終わったら親の手伝いをするもんだ。親だって忙しいんだから協力しなさい」と叩き起こされた。
あの頃は母も仕事をしていたし、父の仕事もあれこれ大変で両親ともに気忙しくしていたのだ。
そういえば私がそんなことを言われている間、妹の優華は特になにもしてなかったな。私が一人でいる時に限って怠けるな、と言われていたような気がする。なんなら妹が母親の家事を手伝っている姿を見た事がない。
あれ、なんだったんだろう。差別……的な何か? そういう感じ……あったかなぁ?
でも、子どもの頃は親の手伝いができること自体が嬉しかったから、妹が手伝いもせずに居間でテレビを見ていても、ソファで漫画を読んでいても気にした事がなかった。そんなもんかと思っていたっけ。
……今思うと……やっぱりちょっとおかしかったのかな。
「……?」
再び意識が浮上したのは昼過ぎ。
何か音がしたような気がしてもぞもぞと動き出すと。
「あ、悪い。起こしたか」
「……!」
ちょっと離れたドアの向こうでこちらを覗き込んでいる男と目が合って春華の意識が完全に覚醒した。
「な、な、なんでヒスイがここにいるのっ?」
結構な声量が出たがこれは仕方ないと思う。
「あ、鍵開いてたぞ」
しれっと言うヒスイの横から柊が顔を出した。
「ああ、目が覚めたんですね。熱、どうですか?」
「……え?」
なんかこう……色々疑問が浮上するんだけど。とりあえず一番引っかかるのは。
「ねぇ、なんで二人ともそこから……?」
声をかけてくる、のはまぁいい。もう、いいことに、する。
二人して開けたドアの左右でしゃがんで顔だけ出して、こちらを覗き込むようにしている光景が……なんか笑える。
「一応女性の部屋にズカズカ入り込むのはいかがなものかと思いまして」
柊のセリフは……言われてみれば納得。
「えーと、熱があるってなんで知ってるの?」
これは一回頭の中を整理して順番に聞かなきゃだめかな、と春華が布団の中から聞いてみると。
「そこだけちょっと様子を見に入らさせていただきました」
柊が小さく頭を下げながら答える。
「そもそも、大丈夫なのか?」
そう言うとヒスイが今度は「ズカズカと」入ってきて寝ている春華の脇に膝をついて顔を覗き込む。
「お……入ってきた」
思わずへにゃりと春華が笑う。
もう状況に慣れた。
「お前、俺の嫁なんだから俺はいいだろ」
どことなく照れたようにそう言うとヒスイが視線を逸らす。
ので。
あーそうか。柊さんもいることですし、今は「嫁」中か。
と春華が変に納得してのそりと起き上がる。
「うーん、多分もう熱は下がったと思う。だいぶ楽になったかも」
この感じ、熱なんか測らなくても分かる。もう平熱だと思う。
あっても微熱程度。
さっき起きた時より頭がクリアだからふらつくこともないと思うし。
そんな確認を自分の中でしてみてからよいしょ、と座った体勢になると。
「買ってきたもので申し訳ないですが、少し食べませんか?」
と、柊の声がかかる。
「え?」
なんかちょっと嬉しい言葉を聞いたような気がする。と、春華が立ち上がって歩き出すとそれに合わせてヒスイが一歩下がって着いて来て……ドアを通りやすいように大きく開け直してくれた。
リビングのテーブルの上にはコンビニのものと思われる鍋焼きうどんやスープ。それからレタスがたっぷりのサンドイッチとおにぎりが数個。ペットボトルのお茶もあって……。
「うわ、美味しそう!」
ありがたい。これからまた何か作ると思うとちょっと面倒くさいもんね。
と、春華が素直に喜ぶと。
「まずはどうぞ。お腹空いてたんですね。もしかして朝からなにも食べてないんですか?」
柊がそう言うと隣でヒスイが鍋焼きうどんのパッケージを開けてくれる。
うわ、至れり尽くせりか。
本当はサンドイッチ食べたかったけど……蓋を開けるとふわっと湯気が上がったところを見ると温めてあったのね。
横目でそんな確認をしながら。
「あ、いえ。朝ご飯作って食べました。一応量は少なめにしたけど……簡単なうどん作ったんだよね……あ」
パッケージを開けてこちらに差し出したヒスイの手が一瞬固まった。
「あ、ごめん。大丈夫よ! 私うどん好きだから! それに自分で作るとこういう味のものは作れないからね。全然別物だからね」
ああなんで最後に余計なこと言ったかな私。
激しく後悔しつつヒスイの顔を覗き込むと「あ、いや……すまん、気ぃ使わせたな」とかなんとかボソボソ。それをくすくす笑いながら柊が眺める。
なにこれ。和やかな家族団欒か。
淡々と感想を心の中で呟きながら割り箸をパチンと割って……。
「ん? 二人は食べないの?」
と春華がそのまま手を止める。
「あ、僕たちのことはお気になさらず」
「いや、あの……食べてるところ見守られてるのもなんか食べにくいんだけど」
笑顔の柊にすかさず返す。
「ああ、そうですね……じゃあ……」
と、柊がおにぎりに手を出した。
で、つられるようにヒスイがサンドイッチに手を出す、ので。
「あ! ヒスイ、それ食べるんならこれと半分こしよう?」
つい勢いで声が出た。
サンドイッチ……全部食べられちゃう……!
「え……これが食べたかったのか?」
ヒスイが驚いたようにこちらを見つめてくるので。
しまった。これは正直すぎた……! 何か言い訳……!
「いや! あの! ヒスイが開けてくれたんだし、これはきっと普通に食べるより美味しいと思うの! だからいただきます。サンドイッチ、一切れでいいから……ちょっとだけ食べたい……」
なんだこの、頭おかしいんじゃないかという、とってつけたような言い訳。
そう思うけどこういう時ってほんとにちゃんとしたこと言えないもんなんだわ。そして言ってしまった言葉は取り消せない。もう、雰囲気で押し切ろう。
春華はそう思ってにこりと笑ってみる。
「ぷ」
「柊さん、笑わないで」
横を向いて吹き出した柊に、そちらには視線も向けずに春華が牽制し、顔がやけに熱いのは熱のせいに違いない、と自分に言い聞かせた。




