↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七つの邪道  作者: ちぇ!


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/8

第六の邪道 インターネット 


 電話線が、声だけでなく、文字や物語まで運び始めた。


 平成も半ば。駅前には大型書店とパソコンショップが並び、店先では「インターネット接続」と書かれた旗が風に揺れていた。電器店のテレビには鮮やかな映像が映り、その隣では、灰色の箱のようなパソコンが、世界中とつながる新しい道具として売られていた。


 家庭へ入り込んだインターネットは、まだ少し不便だった。誰かが使っているあいだは電話がつながらず、一枚の絵が画面へ現れるだけでも時間がかかった。


 パソコンが電話線へつながるたび、居間には金属を擦り合わせたような電子音が響いた。


「世界が開く音だよ」


 娘の綴はそう言ったが、父の万作には、機械が苦しんでいるようにしか聞こえなかった。


 それでも人々は、遠く離れた誰かの文章を読み、自分の書いた言葉を、会ったこともない相手へ届け始めていた。


 分からないことがあれば検索し、書きたいことがあれば自分で公開する。知識にも物語にも、門を通らず触れられる時代が来ようとしていた。


 綴野万作は、インターネットを嫌っていた。


「検索して出た答えは、知識ではない」


 居間のパソコンから、綴が顔を上げた。


「じゃあ、何なの」

「借り物だ」

「本に書いてあることも、誰かの知識でしょ」

「本は読み、覚え、考える」

「ネットも読むよ」

「本には順序がある」

「検索結果にもあるよ」

「上から並んでいるだけだろう」

「それも順序じゃない?」

「違う」

「何が?」

「重みがない」


 綴は父の書斎を見た。


 壁という壁が本で埋まり、棚へ収まらないものは床から廊下へ領土を広げている。


「物理的な話?」

「知識の話だ」


 万作は答えた。


 綴野万作は歴史小説家だった。


 二十代で新人賞を取り、三十代で発表した戦国小説は文学賞を受賞した。その後も幕末、平安、古代史と題材を変えながら作品を発表し、書斎には自著と受賞記念の盾が並んでいた。


「父さん。この本、どこへ戻せばいい?」

「西側の棚、上から三段目、右から十七冊目だ」

「十六冊しかないよ」

「お前が一冊持っているからだ」


 綴が本を差し込むと、確かに十七冊目になった。


「知識とは、必要なときに取り出せて初めて知識になる」

「本の場所まで覚える必要ある?」

「今、取り出せただろう」

「取り出したのは私だけど」


 万作は答えなかった。


 このところ、その万作の新作が振るわなかった。


 以前なら発売と同時に増刷された本が、書店から早々に姿を消すようになった。書評では変わらず「重厚」と褒められたが、その後ろへ「古風」「難解」「読者を選ぶ」と続くことが増えた。


 新作の企画を持ち込んでも、編集者は困ったように原稿をめくった。


「先生。主人公が旅へ出るまでに四十頁あります」

「旅へ出る理由を書いている」

「理由だけで四十頁あります」

「人が生まれ育った土地を捨てるのだ。それくらいは考える」

「もう少し早く物語を動かせませんか」

「動いている」

「主人公はまだ家から出ていません」

「心は動いている」


 企画は通らなかった。


 万作は不調を認めなかった。


「売れなくなったのではない」


 彼は言った。


「時代が、少し慌ただしくなっただけだ」


 時代は万作を待たず、かなり慌ただしく先へ進んでいた。


 綴は学校へ通い、友達と遊び、流行の音楽を聴いた。分からないことがあればすぐに検索し、宿題は提出日の前夜に始めた。


 父の原稿もよく読んだ。


「この人、前の章では右足を引きずってたよ」


 綴が言うと、万作は原稿を取り上げた。


「負傷したのは左足だ」

「三章では右足」

「そんなはずはない」


 万作は三章を開いた。


 本当に右足と書いてあった。


「これは間違いではない」

「治ったの?」

「……左右を入れ替える必要があった」

「いつ?」

「今、必要になった」


 万作が原稿を直しているあいだ、綴は友人から借りた音楽雑誌を読んでいた。


 綴は趣味で、インターネットへ小説を載せていた。


 魔法の国へ迷い込んだ少女が、小さな食堂を開く話だった。


「なぜ異世界で食堂を開く」

「料理が好きだから」

「主人公がか」

「私が」

「作者の都合を、主人公の動機にするな」

「読んだの?」

「近頃の文学を知るための調査だ」

「面白かった?」

「食堂を開くまでが遅い」

「三話目で開いたよ」

「一話目で開け」

「父さんの主人公は、四十頁たっても家にいるけど」

「あれは必要な四十頁だ」


 綴は笑った。


 万作は、Web小説を文学とは認めなかった。


「編集者にも選ばれていない作品を、勝手に世へ出すべきではない」

「誰でも読めるよ」

「読む前に、まず選ばれる必要がある」

「誰に?」

「編集者だ」

「読者じゃなくて?」

「読者へ渡すものを選ぶのが編集者だ」


 万作は画面に並ぶ作品を見て、眉を寄せた。


「選ばれもしない作品を、勝手に世へ出すなど邪道だ」


「父さんの新作、選ばれなかったよ」

「あれは編集者が時代に追いついていない」

「便利な考え方だね」


 綴はそれ以上、何も言わなかった。


 ある夜、万作は行き場を失った新作を机へ置き、そのまま眠った。


 題は『黄昏の王』。


 滅びかけた国の老王が、かつて追放した息子を呼び戻す物語だった。王国の成り立ちだけで三十頁あり、王が息子を追放した理由へたどり着く頃には、老王だけでなく読者も少し年を取っていた。


 それでも綴は、その小説が好きだった。


 老王は傲慢で、自分が間違っていたとは決して認めない。けれど、息子へ送る手紙を何度も書き直し、最後には「帰れ」ではなく、「帰ってきてほしい」と書く。


 父に少し似ていた。


 読まれずに机の上で終わるには、惜しいと思った。


 父が眠ったあと、綴は原稿を自分のパソコンへ移し、Web小説の投稿サイトへ載せた。


 最初に投稿したのは、王が使者へ手紙を託すところまでだった。


 翌朝、一件の感想が届いていた。


『続きが読みたいです』


 万作はしばらく画面を眺めた。


「誰が勝手なことをした」

「私」

「すぐに削除しなさい」

「分かった」


 綴が画面へ手を伸ばす。


「待て」


 万作は咳払いした。


「読者を途中で放り出すのは、作家として無責任だ」

「消さないの?」

「今回だけだ」

「続きは?」

「載せる」

「インターネット、嫌いなんじゃなかった?」

「読者に罪はない」


 その日から、万作は毎日、続きを綴に投稿させた。


 初めのうちは、一人の読者へ届けるためだった。


 次の日には、三人になった。


 十人、五十人、百人と増えていった。


 万作は何度も画面を開いた。


「この数字は何だ」

「今日、読まれた回数」

「同じ人間が二度読んだ場合は」

「二回になるよ」

「なら、読者数ではない」

「アクセス数」

「紛らわしい」


 そう言いながら、一時間後にはまた確認していた。


 ブックマークという機能を知ると、万作はさらに熱心になった。


「これは何だ」

「続きを読みたい人が、作品を登録してる数」

「つまり読者か」

「だいたい」

「今、百二十一ある」

「そうだね」


 翌日、百二十になった。


 万作は夕食を残した。


「具合悪いの?」

「一人、去った」

「誰が?」

「分からん」

「なら、気にしなくていいよ」

「理由も告げずに去るとは、礼を欠いている」

「本屋で本を棚に戻すとき、作者に連絡しないでしょ」

「それとこれは違う」

「何が?」

「数字で見える」


 感想が来ない日は無口になり、アクセスが伸びた日は家族へ菓子を配った。


 深夜二時、順位が一つ上がっただけで、綴を起こしたこともある。


「綴。起きろ」

「何」

「文学史が動いた」


 綴は布団から目だけを出した。


「三百八十二位から三百八十一位になっただけでしょ」

「一歩は一歩だ」

「寝て」


 翌朝には三百八十三位になっていた。


 その日は朝食も残した。


「二歩下がった」

「文学史、戻ったね」

「歴史は前進だけではない」

「便利な言い方だね」


 読者が増えるにつれ、万作の小説も少しずつ変わった。


 誰がどこまで読み、どの場面で続きを待ったのかを、万作は見ていた。


 王国の歴史を三十頁語る予定だった章は、二十頁になった。


「十頁も削ったんだ」


 綴が言った。


「削ってはいない」

「なくなってるよ」

「後ろへ移した」

「読者には見えないね」

「必要になれば出す」

「出番がなかったら?」

「必要がなかったということだ」


 万作は不満そうだったが、消した十頁を戻すことはなかった。


 ある日、歴史について書かれた感想が届いた。


『王が立ち寄った村の火祭りですが、この時代には、まだ始まっていなかったと思います。県立図書館が古い村誌を公開しています』


 万作は画面を読み、鼻を鳴らした。


「検索で得た知識を、歴史小説家へ教える気か」

「間違ってるの?」

「火祭りは、この地方で古くから行われていた」

「いつから?」

「少なくとも三百年前からだ」

「物語は四百年前だよ」


 万作は綴を見た。


「村誌を出せ」

「本はないよ。ネットにある」


 綴が公開された村誌を画面へ表示した。


 古い頁が、上からゆっくり現れる。ブラウン管の青白い光が、万作の顔と机の上の本を照らした。万作は待ちきれず、何度も指で机を叩いた。


「遅い」

「本を取りに行くよりは早いよ」

「待つことも調査のうちだ」

「じゃあ待って」


 画面がすべて表示されると、火祭りが始まった年は、物語の時代より八十年ほど後だった。


 万作は書斎から二冊の本を持ち出し、村誌と並べた。


 自分が使った研究書は四十年前のものだった。その後に発見された神社の記録については、まだ載っていない。


 綴が検索すると、その記録を撮影した画像も見つかった。


 万作は黙って読んだ。


 何度か頁を戻し、自分の本と見比べる。


 それまで、検索して見つけたものは借り物だと思っていた。だが、画面の向こうにあったのは答えではない。自分が知らなかった史料だった。


「どうだった?」


 綴が尋ねた。


「火祭りではない」

「何が?」

「王が見たものだ」


 万作は原稿を開いた。


「この時代にも松明は焚いている。ただし祭りではなく、畑へ近づく獣を追うためだ」

「直すの?」

「間違いを残す理由がない」

「検索して出た答えは、借り物じゃなかった?」

「検索結果を信じたのではない」

「じゃあ、何をしたの」

「史料を読み、比べ、考えた」


 万作は火祭りの場面を消した。


 代わりに、村人たちが畑の周りへ松明を立て、闇の向こうにいる獣を追い払う場面を書いた。


 国を守ると言いながら息子を追い出した老王は、その火を眺める。


 守ることと追い払うことが、ときに同じ姿をしていると気づく。


 短い場面だった。


 だが、そのあとに王が息子へ手紙を書く理由は、以前より深くなった。


 綴は書き直された部分を読んだ。


「前よりいいね」

「当然だ」

「感想を書いた人のおかげ?」

「誤りを指摘しただけだ」

「村誌を公開した人は?」

「史料を残した」

「検索した私は?」

「入口を見つけた」

「じゃあ、誰の知識?」


 万作は少し考えた。


「選び、比べ、考えた者の知識だ」


 綴は笑った。


「借り物から、ずいぶん昇格したね」

「使い方を正しただけだ」


 老王が追放した息子へ初めて謝る場面には、何十件もの感想が届いた。


『父を思い出しました』


『もっと早く謝ればよかったのにと思うけれど、遅かったからこそ泣きました』


『王が嫌いでした。でも最後には好きになりました』


 万作は一つずつ読んだ。


 誰がどの場面を好きだと言ったか、書棚の本の場所を覚えるように記憶した。


 そのうち綴に頼らず、自分で作品名を検索するようになった。


「何を見ているの」

「資料だ」

「自分の小説の感想でしょ」

「読者の反応も、作品を考えるための資料になる」

「検索してるね」

「確認だ」


 ある日、出版社から電話が来た。


『黄昏の王』を書籍として刊行したいという。


 相手は、その企画を一度断った編集者だった。


「前は、主人公が動かないと言ったな」

『今も、旅へ出るまでは少々長いと思っています』

「四十頁だ」

『Web版では二十八頁になっています』

「必要な二十八頁だ」

『ええ。読者の皆さんも、そう受け止めているようです』


 万作は受話器を持ったまま、綴を見た。


 綴は菓子を食べていた。


「読者が先に決めたからね」


 万作は咳払いした。


「刊行の話を聞こう」


『黄昏の王』は、万作にとって久しぶりのヒット作となった。


 発売後の取材で、インターネットについて尋ねられた。


 万作は腕を組み、深くうなずいた。


「私は早くから、読者が直接作品を選ぶ時代が来ると確信していました」

「その説、いつから?」


 隣にいた綴が尋ねた。


「先ほど確定した」


 記者は冗談だと思って笑った。


 万作は笑わなかった。


「従来の出版制度だけでは、優れた作品を取りこぼす恐れがある。インターネットは、作者と読者を直接つなぎ、知識を広く開く、新しい文学の場です」


 記者は感心して、その言葉を書き留めた。


 記事が掲載された日、綴は切り抜きを一つの箱へしまった。


 箱の中には、万作がこれまで受け取った賞状の写しや、新聞記事、初版本の帯が収められていた。


 その一番下には、『黄昏の王』の企画を断った編集者からの手紙も入っていた。


 万作はその箱を「創作の軌跡」と呼んでいた。


 不調だった時代の記録とは、決して呼ばなかった。


 その夜、万作は新しい歴史小説を書いていた。


 公開前の原稿を、綴が後ろから覗く。


「まだ誰にも選ばれてないね」

「明日には投稿する」

「編集者には見せないの?」

「読者の反応を見てからでよい」

「勝手に世へ出していいの?」


 万作の指が止まった。


「誰が勝手だと言った」

「父さん」

「いつだ」

「去年」

「古い説だ」


 万作は鍵盤へ指を戻した。


「時代によって、定説は変わる」


 綴は笑った。


 日付が変わると、万作は自分の手で投稿ボタンを押した。


 数分後、一件の感想が届いた。


『続きが楽しみです』


 万作は画面を見つめた。


 それから、誰にも頼まれていない次の話を書き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。