第二の邪道 紙
ほにの子孫、木呂麻呂は、大和の国で物語を書いていた。
洞窟の壁へ獣を描いた始祖の時代から、幾百年もの月日が流れていた。人々は田を耕し、屋根へ瓦を載せ、海の向こうから仏像や経典を運ぶようになった。言葉はすでに人の身体を離れ、木を薄く削った札へ並べられていた。
その頃、物語には重さがあった。
一文を書けば、木が一枚増えた。長い物語は棚を埋め、さらに長くなれば部屋を狭くした。優れた物語とは、持ち上げたとき、腕に力の入るものだった。
木呂麻呂は、海の向こうから伝わり始めた紙を嫌っていた。
「木よりも薄く、風に飛ばされるようなものに、重い物語が書けるものか」
彼は宮廷に仕える物語書きであり、何事にも理由を求める男だった。
主人公が旅へ出るなら、なぜ旅へ出るのか。剣を取るなら、誰から教わったのか。敵を憎むなら、いつから憎んでいたのか。山を越えるなら何日かかり、どの川で水を飲み、そもそもその川はなぜそこを流れているのか。
木呂麻呂の物語には、答えのないものがなかった。
彼の代表作は、木簡三千百二十枚からなる大長編だった。
一の箱には王国の成り立ち。二の箱には主人公の血筋。三の箱には隣国との戦。四の箱には、主人公の母が青い衣を嫌う理由が記されていた。その理由を理解するには染料を作る一族の歴史が必要で、その一族を知るには北の山から流れる川について知らなければならなかった。
川の由来だけで八十枚あった。
読破した者より、運ぶ途中で腰を痛めた者のほうが多かった。
ある日、弟子が木簡を一枚抜いた。
「先生。この一枚は、本当に必要でしょうか」
「第二十八巻、百三十七枚目だな」
「主人公が幼い日に、敵将の娘へ木の実を分ける場面です。木の実を渡すだけで十二枚あります」
「それを抜けば、後に娘が城門を開く理由が消える」
「一枚抜くだけで?」
「一枚を侮るな」
木呂麻呂は顔を上げた。
「物語とは、積み上げた木簡と同じだ。一枚を抜けば、どこかが傾く」
娘は部屋の隅で、そのやり取りを聞いていた。
娘は父の物語を、父に次いでよく理解していた。どの箱で誰が生まれ、どの一文が千枚後の決断へつながるのかも知っていた。
ある文人が、木呂麻呂の作品を読んで言った。
「話が、いささか薄い」
翌年、木呂麻呂は木簡を二倍の厚さにした。
「これで薄いとは言わせん」
娘は、そういう意味ではないと思ったが、父はすでに木を選び始めていた。
その年、大王は国じゅうから物語を集め、最も優れた作品へ褒美を与えることにした。
木呂麻呂の新作は、三台の牛車へ積まれた。一台目には本編。二台目には物語を理解するための補足。三台目には、補足を理解するための補足が載せられた。
都へ向かう途中、一行は橋へ差しかかった。
一台目が渡ると、橋が低く鳴った。二台目が乗ると、板が沈んだ。三台目の牛が前脚を乗せた瞬間、乾いた音がした。
「今の音は何だ」
「橋です」
「なぜ鳴った」
「重いからでは」
「何が」
娘は三台の牛車を見た。
「物語が」
次の瞬間、車輪が橋板を突き破った。
牛が鳴き、車体が傾き、一本の紐が切れた。八百枚の木簡が空中へ散った。
「誰も触るな!」
だが遅かった。従者たちは川へ落ちる前に拾おうとして、手近な束へ木簡を差し込んでいた。
「主人公誕生」の上へ「鬼の最期」が落ち、その上へ「旅立ち」が重なった。
主人公は生まれる前に鬼を退治し、その三枚後で母の腹から生まれた。
「斬新です」
「斬新ではない!」
木呂麻呂は橋へ膝をついた。
「第九巻、二百四枚目。こちらは第二十二巻、三十七枚目」
どの札を手にしても迷わなかった。八百枚は、一枚も違わず元の場所へ戻った。
その頃には、日は沈んでいた。
翌朝、今度は橋を一台ずつ渡り、ようやく宮へ着いた。三台の牛車は宮門を抜け、庭へ入ったが、正殿へ続く内門の前で止められた。
「ここから先へ、牛車は入れられません」
「物語が三千百二十枚ある」
「それでもです」
結局、木簡は一束ずつ運び込まれた。すべてを運び終えた頃には、選考は終わっていた。橋で車輪を傷めた三台目の牛車は、そこで役目を終えたように車軸まで痛め、動かなくなり、そのまま宮の庭に残された。
宮にとっては、とんだ置き土産である。
「来年まで待てばよい」
その夜、木呂麻呂は新しい木簡へ筆を置いた。
「主人公の祖父が南の国へ渡った話を加えよう」
「本編に必要ですか」
「祖父が南へ渡ったから、主人公は南の言葉を知っている」
「使いますか」
「使わぬ」
「何枚増えますか」
「六十枚ほどだ」
娘は何も言わなかった。
父が机へ伏して眠ったあと、娘は大陸から渡ってきた紙を広げた。薄く、軽く、窓から風が入るたび、端がかすかに持ち上がった。
父なら、頼りないと言うだろう。
娘は木簡を一枚ずつ取り出し、紙の上へ並べた。主人公の母が青い衣を着て笑う場面があった。青い染料を受け取った日。袖を通した日。衣を洗った日。ほつれを繕った日。母が亡くなったあと、主人公が衣を抱きしめる場面まで含めれば、青い衣について書かれた札は十七枚あった。
娘は十七枚を床へ並べた。
どれも間違ってはいなかった。一枚ずつ読めば、父がなぜその言葉を置いたのか分かった。染料の色にも、袖のほつれにも、主人公が母の顔ではなく指先を覚えていることにも、すべて理由があった。
娘は、母が青い袖で主人公の頬を拭う一枚を取った。それだけで、衣の色も、母の手も、後に失われるものも伝わった。
残りの十六枚へ手を伸ばし、娘は止まった。
橋の上で木簡を拾う父の姿が浮かんだ。八百枚のうち、一枚として迷わなかった。どの言葉がどこにあり、何のために置かれたものなのか、父はすべて覚えていた。この十六枚も、父にとっては同じなのだろう。
捨てれば軽くなる。
けれど、それは父が木簡に託した物語まで捨てることなのではないか。
娘はしばらく動けなかった。
やがて十六枚を束ね、別の箱へ収めた。そして一枚だけを、本編へ書き写した。娘は父の物語を削ろうとしているのではなかった。父が言葉で埋めた道から、読者が歩ける一本を選ぼうとしていた。
次に、敵将の娘へ木の実を分ける場面を開いた。十二枚あった。
木の実の形も、拾った日の天気も消した。最後に残したのは、幼い娘が木の実を半分だけ食べ、残りを懐へしまう姿だった。なぜ残したのかは書かなかった。父へ持ち帰るためだと、読めば分かるようにした。
夜が明ける頃、木呂麻呂が目を覚ました。
「何をしている」
「父上の物語を、宮へ届く形にしています」
「紙へ?」
「はい」
「邪道だ」
娘は書き上げた一枚を差し出した。
木呂麻呂は、木の実の場面を読んだ。一度読み、最初へ戻り、もう一度読んだ。
「木の実を、なぜ半分残した」
「父へ持ち帰るためです」
「ならば、この娘は父を慕っている」
「そうです」
「それでも後に、主人公のため城門を開く」
「そのために残しました」
木呂麻呂は黙った。
紙の上には、自分が十二枚を費やして描いた娘の想いが残っていた。言葉の数は減っていても、考えたものまで減ったわけではなかった。
「俺が十二枚かけて考えたから書けた」
「その通りです。父上が深く考えたから、私は何を残すべきか選べます」
三十日後、木簡三千百二十枚の物語は、紙三十二巻に収まった。
木呂麻呂は紙の束を持ち上げた。
「軽すぎる」
「三度読みましたね」
「抜けがないか確かめただけだ」
「ありましたか」
「井戸を掘った男の父親の名がない」
「別巻にあります」
木呂麻呂は不満そうに眉を寄せた。
娘は黙って、その横顔を見ていた。父が惜しんでいるのは、木簡そのものではない。その一本一本に託してきた、物語なのだ。
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選考はすでに終わっていたが、大王は、橋板を踏み抜いてまで運ばれたという物語を、一度読んでみたいと言った。しかし、再び宮へ運ばれてきたのは、娘が紙へ書き直した父の物語だった。
それを読んだ大王は、木呂麻呂の作品を絶賛した。紙の物語は遅れて選考へ加えられ、その年、最も優れた作品に選ばれた。
主人公が青い衣に亡き母を重ねる場面では、読み手たちが涙を流した。かつて十七枚に分けて語られていたものが、今は一つの場面に収まっていた。
「先日より、ずいぶん軽くなったようだな」
木呂麻呂は紙を見た。
そこには、自分が考えた国があり、自分が生み出した人々がいた。目に見える言葉は減っていても、その奥には、三千百二十枚ぶんの理由が残っていた。
木呂麻呂は深くうなずいた。
「物語の重さとは、持ったときの重さではありませぬ。そこに込められた人の想いです」
居並ぶ者たちが感心してうなずいた。
娘だけは、宮の庭を見ていた。
隅には、あの日、橋を踏み抜いた牛車が、片輪を外されたまま置かれていた。




