第6話『過剰すぎる溺愛は、業務の妨げになります』
「――エレノア! 大変だ、事件だ!!」
翌朝。私が離れの爽やかな風を感じながら、優雅にモーニングティーを味わっていた時のことだ。
バンッ! と勢いよく離れの扉が押し開かれ、息を切らしたヴィンセント様が飛び込んできた。
極上の銀髪を乱し、青い瞳を血走らせている。昨夜までの「冷酷な氷結公爵」の面影など微塵もない。
「まあ、旦那様。朝から騒々しいですわね。一体どのような非常事態が発生したのですか? 隣国からの侵略? それとも新たな横領の発覚でしょうか?」
私は冷静にカップを置き、手帳を開いた。
しかし、ヴィンセント様から返ってきたのは、あまりにも予想外な言葉だった。
「君が……君が本館に来てくれない!!」
「……はい?」
あまりにも下らない理由に、私の思考がコンマ数秒フリーズした。
「約束通り、私は離れで読書と茶を楽しんでいるだけですが……」
「ダメだ! 朝目覚めて君が隣にいないだけでも耐え難いというのに、朝食の席にも君がいない! 寂しさのあまり喉を通らん! ほら、見ろ!」
「……見ろ、と言われましても」
見れば、執事のアルフが後ろで「旦那様がこんなに甘えん坊になられるなんて……!」と涙ぐみながらハンカチを握りしめている。
……重症である。一晩で何がどうなったらこんな溺愛モンスターに変貌するのか。
「旦那様、落ち着いてください。『ビジネスパートナー』としての初期契約に基づき、私の主たる居住区は離れとなっております。過度な干渉は業務の……いえ、私のメンタルヘルスの妨げになりますわ」
「契約改定の協議を要求する! 費用ならいくらでも払う! だから私と一緒に本館で暮らしてくれ!」
「却下です。お金なら先日の資産整理で十分足りましたので」
「くっ……! 数字に厳しい……!」
頭を抱えて唸るヴィンセント様。
完璧なルックスと圧倒的なステータスを持ちながら、私に対してだけポンコツ化していく公爵様に呆れつつも、私は手帳をめくった。
「それより旦那様。遊びはここまでです。公爵家の『当面の赤字』は解消できましたが、真の経営再建のためには【新規事業による継続的な収益構造】の構築が不可欠ですわ」
私の真剣な眼差しに、ヴィンセント様もようやくハッと表情を引き締めた。
「む……新しい事業、か」
「ええ。ヴァルハイト公爵領は、豊かな森林と高品質な鉱物資源に恵まれています。しかし、これまでは悪徳商会に原資のまま安値で叩き売られていました。これを我が家で加工・ブランド化し、直接流通させる仕組みを作ります」
「原資の加工とブランド化……! 確かに、それができれば利益率は跳ね上がる。だが、そんなことをすれば、これまで甘い汁を吸っていた『王都の巨大商会』が黙っていないぞ……?」
ヴィンセント様の懸念はもっともだった。
旧体制の公爵家を食い物にしていたのは、追放した小悪党の側近たちだけではない。彼らと裏で繋がっていた、王都の巨大商業ギルド『マルセル商会』――彼らこそが、この領地を貪り尽くそうとしていた真の毒虫なのだ。
「フフフ、おあいにく様」
私は悪魔のような笑みを浮かべ、バシッと手帳を閉じた。
「相手が巨大資本だろうと関係ありません。利権に胡坐をかいた悪徳商会など、前世の過労死寸前の思考回路で組んだ『マーケティング&価格破壊戦略』の前には赤子同然ですわ!」
「え、エレノア……また君の顔が、凄まじい悪役のようになっているぞ……」
「あら、褒め言葉として受け取っておきますわ! さあ旦那様、イチャイチャしている暇はありませんわよ。早速、領地の職人たちを集めて作戦会議を開始します!」
「……あ、あの、抱きしめるくらいは……」
「ダメです。仕事中です」
「くっ……冷たいエレノアも……ゾクゾクするほど魅力的だ……!」
(だめだわこの公爵様、完全に手遅れだわ……!!)
こうして、公爵家の『新事業立ち上げ』と『王都の巨大商会との全面戦争』、そして相変わらず噛み合わない新婚生活の第2幕が切って落とされたのだった!




