第5話『氷結公爵、氷解につき(※ただし本人は無自覚です)』
その日の夜、公爵邸の本館食堂。
長テーブルの上には、最高級の肉料理や色鮮やかな野菜、極上のワインがズラリと並べられていた。
かつて「財政難で質素な食事しか出せない」と頭を抱えていた家とは思えない豪華さだ。
「……美味ですわ! 素晴らしい焼き加減です!」
私がナイフとフォークを動かして一口運ぶたび、本気で感動の声を上げると、向かいに座るヴィンセント様はどこか満足そうに目を細めた。
「そうか。君の口に合ったのなら良かった。……君のおかげで、我が家の財政は危機を脱したのだ。これくらいのもてなし、当然の権利だよ」
そう言うヴィンセント様の表情は、昨夜の「冷酷な氷結公爵」とは完全に別人だった。
眉間のシワは消え去り、どこか柔らかく、醸し出す雰囲気にどことなく穏やかな温もりが混ざっている。
食堂の壁際に控えている老執事のアルフが、ハンカチで目元を拭いながらヒソヒソと給仕係に呟いていた。
(……おお、なんということだ……。前当主様が亡くなられてからというもの、一度も笑顔をお見せにならなかったあの坊っちゃまが……あんなにも穏やかなお顔で女性と会話なさっている……!)
(ええ、エレノア様はまさにヴァルハイト公爵家の救世主様です……!)
従者たちの熱い視線と勘違いに全く気づいていない私は、ワイングラスを傾けながら爽やかに微笑んだ。
「ふふ、ビジネスパートナーとして当然の働きをしたまでですわ! これで明日からは、私も離れで心置きなく【ニート……いえ、読書生活】を満喫できます!」
「……ビジネスパートナー、か」
その言葉を聞いた瞬間、ヴィンセント様の顔がピクッと強張った。
グラスを置く手がわずかに止まり、青い瞳に寂しげな色が浮かぶ。
「……エレノア。君は、私と『ビジネス上の関係』以上のものになるつもりは、本当にないのだな?」
「もちろんです! 契約と合理性こそが至高ですから! 恋愛感情などという不安定な要素が入ると、仕事に私情が挟挟まってしまいますもの」
断言する私に対し、ヴィンセント様は深々と溜め息をついた。
そして、自分の胸元にそっと手を当て、困惑したように呟く。
「……おかしいな。昨夜までは、私もそれを望んでいたはずだった。君を冷遇し、関わりを持たないことがお互いのためだと思っていた……」
「ええ、大正解の判断でしたわ!」
「……だが、今の私は……君が離れに引きこもり、私の前から姿を消してしまうと思うと……胸が締め付けられるように痛むのだ」
「……はい?」
私が首をかしげると、ヴィンセント様はすっと立ち上がり、ゆっくりと私の隣まで歩み寄ってきた。
そして、私の目の前にしゃがみ込むと、優しく私の手を取ったのだ。
「ひ、ヴィンセント様……!?」
「認めたくはないが……私はどうやら、一晩で君に魅了されてしまったらしい。冷酷な仮面を叩き割り、完璧な手腕で私を救ってくれた……強く、美しい君に」
その手は温かく、氷結公爵と呼ばれた男の瞳には、熱熱とした情熱が宿っていた。
「『愛するつもりはない』などという撤回したい過去の暴言は、どうか忘れてほしい。……エレノア、私にもう一度チャンスをくれないだろうか? 今度は『ビジネス』ではなく、本当の夫として……君を愛させてほしい」
(……ちょっと待ちなさい????)
私の脳内計算機が、ガラガラと音を立ててフリーズした。
(話が違う!! ブラック企業から逃げ出して、広い離れで悠々自適の過労死ゼロ生活を送るはずだったのに! なんで冷酷だったはずのヒーローが、5話目にして爆速でデレているのーーー!?)
「お、お戯れを、旦那様! 契約変更は原則認められませんわよ!?」
「戯れなどではない。……覚悟しておくといい、エレノア。私は一度決めた仕事は最後までやり遂げる男だ。君のハートを射止めるまで、絶対に諦めない」
妖艶な笑みを浮かべ、私の手の甲にフッと優しくキスを落とすヴィンセント様。
こうして、快適なニート生活を守りたい元会計士と、無自覚な溺愛モンスターと化した氷結公爵の、全く噛み合わない追撃戦が幕を開けたのだった――!




