第12話『マルサ(特命監査)vs 元・公認会計士』
「――よし、これよりヴァルハイト公爵家の強制特別監査を開始する!」
執務室に持ち込まれたのは、公爵家の過去10年分の財務帳簿、取引伝票、そして今回の新事業『ヴァルハイト・ガラス』の売上データ一式である。
マルクス監査官は、引き連れてきた5人の部下たちに命じ、机の上に山積みにされた書類を片っ端からめくらせ始めた。
「フハハ! 覚悟するがいい! 我々王立財務院の精鋭にかかれば、どんな精巧な粉飾決算も1時間で見破ってみせる!」
マルクスは嫌味な笑みを浮かべながら、手近な帳簿をひったくるように開いた。
しかし――作業を開始してわずか10分後。
監査チームの空気は、徐々に妙な違和感と混乱に包まれ始めていた。
「……な、なんだこれは……? 支出と収入の紐付けが完璧すぎる……」
「すべての伝票に、領収書と物品受領書、さらには複数人の承認印が添付されているだと……!?」
部下たちが青ざめた顔で目を見開く。
中世風のこの世界において、帳簿といえば「どんぶり勘定」が当たり前。抜け漏れや使途不明金があって当然のはずなのだ。
だが、目の前にある帳簿は違っていた。
複式簿記による完璧な分類、減価償却の精密な計算、そして1銅貨の狂いすらない現金残高の一致――。
「ば、バカな! こんな異常なほど精緻な帳簿が存在するはずがない! どこかに誤魔化しがあるはずだ!」
焦り始めたマルクスは、必死になって最新の『ヴァルハイト・ガラス』の取引データを引っ張り出した。
「これだ! 利益率が高すぎる! 原材料の仕入れ値に対して、売上が高すぎるではないか! これは架空の売上を計上して、どこからか不正な裏金を洗っている(マネーロンダリング)証拠だ!」
鬼の首を取ったように叫ぶマルクス。
――その瞬間。
「まあ、お可哀想に。損益分岐点分析(CVP分析)の基礎すらご存じないのですか?」
パチ、と扇子を閉じる音が静かな室内に響いた。
ソファで優雅にお茶を飲んでいた私が、くすくすと鈴を転がすような笑い声を上げながら立ち上がる。
「な……損益……なんだと!?」
「説明して差し上げますわ、監査官殿」
私はマルクスの隣まで歩み寄ると、目の前にある計算用紙に素早く数式とグラフを描き始めた。
「我が家の新事業の利益率が高いのは、中間マージンを抜いていた悪徳商会を排除し、【直販モデル】へと切り替えたからです。固定費はすでに旧倉庫の有効活用で相殺済み。つまり、限界利益率は約82%……売上が伸びれば伸びるほど、利益が幾何級数的に増える構造になっております」
「ぐっ……!? げ、限界利益……!?」
聞き覚えのない専門用語の連打に、マルクスの額から冷や汗が噴き出す。
「さらに、あなたが『不正な裏金』と疑っておられるこちらの金貨3,000枚の入金データ。これは裏金ではなく、王都のギルドへ納入した際の【前受金(前金)】ですわ。売掛金の回収スパンを15日に短縮したことで、キャッシュフローが大幅に改善された結果です」
「か、キャッシュ……フロー……!?」
「何かおかしい点でもございますか? 財務諸表の注記にも、貸倒引当金の計上基準とともにすべて明記してございますけれど?」
バシッ! バシッ! と資料の該当箇所を指差し、ファクトと数式で畳みかける私。
前世で東証プライム上場企業の決算を仕切り、国税局の査察を完封してきた私にとって、この程度の監査などおままごとに等しい。
「ひっ……!? な、なんなんだこの女は……!? 数字の化け物か……!?」
マルクスは膝をガクガクと震わせ、後ずさりした。部下たちに至っては、私の提示した完璧すぎる計算式を見て「し、師匠……!」と尊敬の眼差しを向けている始末だ。
「さあ、マルクス監査官殿」
私は極上の笑顔で、一歩詰め寄った。
「我が家の会計に、1銅貨でも不正はございましたかしら? ……もし証明できないのであれば、先ほどのお約束通り――【虚偽の嫌疑による公爵家への名誉毀損】および【職権濫用罪】で、財務院長へ直接告発させていただきますわね?」
「ひいいいいいいっ!! 申し訳ありませんでしたぁぁぁっ!!」
マルクスは悲鳴を上げると、書類をぶちまけたまま、脱兎のごとく執務室から逃げ出していった。
静まり返った室内。
後ろで見守っていたヴィンセント様は、深く感心したように溜め息をつき、私の腰をそっと抱き寄せて耳元でささやいた。
「……見事だったよ、エレノア。君の数字による『口撃』は、騎士団の剣よりも鋭く爽快だな」
「ふふ、当然ですわ。数字は嘘をつきませんもの」
「ああ、頼もしい我が妻よ。……だが、そんな格好良い君を見ていると、また私の中の『愛』が溢れて止まらなくなるのだが……」
「……ちょっと旦那様、仕事中ですから顔を近づけないでくださいな!」
こうして、王立財務院による強制監査は、わずか30分で完璧な返り討ちとなり、公爵家の「健全すぎる経営」が王都に知れ渡ることとなったのだった。




