第11話『新婚生活の計算式と、王都からの招かれざる客』
公爵家の危機を脱し、晴れてヴィンセント様の「本当の妻」となってから一ヶ月。
本館にある主寝室の豪奢な天蓋付きベッドの上で、私は静かに目を覚ました。
(……うん、完璧な目覚めね)
ふかふかの羽毛布団、差し込む爽やかな朝日光。前世の社畜時代には考えられなかった最高の睡眠環境である。
……ただし、一つだけ「計算外の障害物」が存在することを除けば。
「……ん……エレノア……どこへ行くんだ……?」
私の腰にがっしりと回された、逞しい腕。
背後から伝わってくるのは、公爵様の温かい体温と甘い吐息だ。
ヴィンセント様は寝ぼけ眼のまま、私をさらにギュッと抱き寄せ、私の首筋にすりすりと頬を寄せてきた。
「旦那様、朝ですわ。離してくださいな。私はこれから朝のストレッチと帳簿のチェックを……」
「ダメだ……あと5分……いや、あと1時間はこうしていたい……君の香りを嗅いでいないと、私の朝のエネルギーが充電されないんだ……」
「……昨夜も遅くまで『愛の充電』と称して私を離さなかったではありませんか!」
真っ赤になって抗議する私に、ヴィンセント様はふっと甘く美しい微笑みを浮かべ、私の額にチュッと優しくキスを落とした。
「妻を愛でるのは夫の正当な権利(業務)だからな。何の問題もない」
(あーっ! この男、私が『業務』とか『権利』という言葉に弱いことを完全に学習して悪用しているわーーー!?)
かつて「氷結公爵」と呼ばれ、冷酷無比と恐れられていた男の姿はここにはない。
あるのは、毎朝毎晩隙さえあれば妻を溺愛しようとする「極上の甘やかしモンスター」だけだ。
……とはいえ、この甘い攻防戦も案外悪くないと思ってしまっている自分がいるのだから、私も相当毒されているのだが。
そんな平和で甘々な朝食の時間を終えた直後。
本館の応接間に、慌ただしい足音が響き渡った。
執事のアルフが、険しい表情で駆け込んできたのだ。
「旦那様、エレノア様! 大変でございます! 王都より、王立財務院の【特命監査官】を名乗るお方が到着いたしました!」
「なに……? 財務院の特命監査官だと?」
ヴィンセント様が眉をひそめる。
「我が家の不正はすべて解明し、税も過不足なく納めたはずだ。今さら財務院が何のご用だというのだ?」
「それが……『ヴァルハイト公爵家の急激な利益増大には、違法な密輸や不正な市場操作の疑いがある』と主張しておられまして……」
アルフの言葉が終わるか終わらないかのうちに、応接間のドアがバン! と乱暴に開け放たれた。
そこに立っていたのは、金縁の眼鏡をかけ、嫌味な笑みを浮かべた痩せ型の男だった。
「ハハハ! 失礼するよ、ヴァルハイト公爵! 私は王立財務院・特命監査室長のマルクスだ!」
マルクスと名乗る男は、ジャラジャラと書類の入った鞄を叩きながら、踏んぞり返って部屋へ入ってきた。
「破産寸前だった田舎公爵家が、たった一ヶ月で金貨数万枚の利益を上げるなど、正攻法で可能なはずがない! 貴様ら、王国の法律を破って不法な取引を行っているな!?」
突然の濡れ衣と横暴な態度に、ヴィンセント様が冷ややかな殺気を放つ。
「言葉を慎め、監査官。我が家の事業はすべて合法であり、ギルドの承認も得ている。根拠のない言いがかりは許さんぞ」
「ハッ! 証拠ならこれから我が監査チームがこの屋敷をひっくり返して探し出すのさ! もし不正が見つかれば、公爵家の全財産没収および領地没収だ!」
勝ち誇った顔で嫌がらせを宣告するマルクス。
――しかし。
ヴィンセント様の隣で、私の瞳がメラメラと怪しい歓喜の光を放ち始めていたことに、誰も気づいていなかった。
(まあ……! 『王立財務院の監査』……ですって!?)
前世で公認会計士として数々の【国税局・査察部】のガサ入れを完璧に返り討ちにしてきた私にとって、監査官の襲来などは恐怖ではなく――最高の娯楽(大好物)でしかない。
「フフフ……あはははは!」
思わず漏れ出た私の高笑いに、マルクスとヴィンセント様が「えっ!?」と同時に振り返った。
「な、なんだね急に笑い出して……! 気でも狂ったのか、子爵家令嬢!」
私はドレスの裾を優雅につまみ、極上の笑みをマルクスへ向けた。
「いいえ? あまりにも魅力的なアトラクション……いえ、お客様のお越しに心が踊っただけでございますわ」
私はカツカツとハイヒールを鳴らしてマルクスの目の前まで歩み寄ると、首を少し傾げてささやいた。
「マルクス監査官殿。我が家のすべての帳簿、ならびに取引履歴の閲覧を【全面許可】いたします。……ただし、監査の結果、我が家に『不正が一切なかった』場合……どのような責任を取っていただけるのか、今ここで書面にてお約束いただけますかしら?」
「っ……!? ぜ、前代未聞の図々しさだな……! いいだろう、不正がなければ私の首を賭けてやるわ!!」
「承諾の言質、確かにいただきましたわ」
悪魔のように眩しい笑みを浮かべる新妻に、ヴィンセント様は(ああ、また哀れな犠牲者が一人……)と、心の中で深くマルクスへ同情の祈りを捧げるのだった。




