森の影と割れた水時計 教練棟の廊下~遺物保管庫前
翌朝・教練棟の演習場
翌日の朝。
ベイルスレイブ冒険者協会育成校。
眩しい夏の日差しが差し込んでいるが、谷沿いに建つ教練棟には、まだ朝の長い影が深く残っていた。
誰もいない演習場の一角で、ミナトは静かに杖を構えていた。
――六属性統合。
あの日の授業以来、ミナトは朝のランニングと筋トレの後に毎朝ここに来ては、少しずつ再現を試みている。うまくいく日もあれば、途中で失敗する日もある。その一進一退の繰り返しだった。
(……作れる。だけど、やっぱり制御できているのとは違う)
(未だに『止め方』が分からないんだ。もしこれを何もない屋外で暴走させたりしたら……本当に取り返しのつかないことになるかもしれない。それにしても、成功したら術式を壊して消さないといけないし、ただ綺麗なだけ……。よし、盛り上げるぞ、くっくっく、この技を恐れよ! 永遠の光だ!)
ミナトはニンマリと口角を上げると、意識を集中させて六属性統合を実行した。
(成功! 眩しくないが明るい。冷たくないが熱くもない。見ているとなぜか落ち着く……。ん? そういえばリーンは……そうか、昨日も今日も本邸からの荷物の仕分けと確認で動き回っているんだろうな。リーンには、まだこの魔法を見せていなかったな。見たらなんて言うだろうか?)
(『ミナト凄い! すごく綺麗!』かな? いやいや……『で、ミナト。これでいくら稼げるのですか?』かな? それとも……『ふーん……で、課題は?』……うっ、ああああ!!!)
脳裏に、角をぼんやり光らせ、ジト目で「課題は終わったのですか? あ、る、じ、さ、ま」とじわじわ迫ってくるリーンの幻影が浮かんできてしまった。
「はっ……はっ……!」
急激な精神的ダメージに呼吸を乱しながら、ミナトは慌てて呪文を口にする。
「……終結系、解除っ!」
杖の先に咲いていた神秘的な光を力ずくで壊し、ミナトは小さく息を吐き出して精神を整え直そうとした。
――その時だった。
視界の端で、ふと何かが動いた。
「ん?」
教練棟の廊下の方へ視線を向ける。
そこには、クラスメイトのニーコスが立ち尽くしていた。
そして彼女の少し先――朝日を受ける廊下の陰に、艶やかな金の髪をなびかせた森の民の女性が立っている。
(……カナリアさん?)
ミナトは小さく呟いた。
カナリア・樹。
発動系講義を担当する教官であり、基礎講義を中心に取っているミナトにはあまり接点がない。だが、冒険者としては上級位階者であり、一説には超級にすら届く実力者と言われている人物だ。
――いや、違う。
ミナトは眉をひそめた。
そこに立っている「彼女」は、あまりにも存在感が不自然だった。輪郭が異様なほど薄く、まるで眩しい朝日に溶けて消えてしまいそうだ。
ニーコスは気づかずに何か話しかけている。
対する相手は、穏やかな笑みを浮かべたまま、愛想よく手を振っていた。
「んー……?」
返答のない相手に、ニーコスがぽてんと首を傾げる。
すると、影もまったく同じタイミングで首を傾げた。
「カナリアさん?」
もちろん、声は返ってこない。
「違うかー」
言葉を理解したのかしていないのか、ニーコスはのんびりとした調子で呟くと、そのまま影に向かって無造作に手を伸ばした。
「あっ……!」
ミナトが制止の声をあげようとした、その瞬間――。
ニーコスの指先が触れた途端、影はまるでシャボン玉のように、弾けて跡形もなく消え去ってしまった。
「……消えた」
ニーコスがぽつりと呟く。
「……消えたな」
ミナトも杖を下げ、呆然と同意した。
二人の間に、何とも言えない微妙な沈黙が流れる。
その周囲では、朝の登校をしてきた一般生徒たちが、口々にざわめき始めていた。
「なに今の……幽霊?」
「カナリアさんの幽霊じゃん!」
「え、だれかカナリアさんのお菓子隠したりしたんじゃない?」
「それで恨んで化けて出たとか? やばっ」
くすくすと呑気な笑い声が廊下に広がる。
「触ったら消えた」
ニーコスがミナトの方を振り向き、報告するように言った。
「見れば分かる」
「うん」
ニーコスはコクりと頷いた。
怪奇現象に怯える様子もなく、どこか少しだけ楽しそうに目を細めているのだった。
◇
影が立っていた場所。
石畳の上には朝の光が静かに落ちているだけで、一見すると何もない。
ミナトは膝をついてその場にしゃがみ込むと、杖の先を地面へと向けた。
「……解析」
杖の先から淡い光が円状に広がり、石畳の表面を撫でていく。
魔法痕、残留魔力、術式の波長、異常反応――それらを丁寧に、漏らさず探っていく。
(何か残っているはずだ。ただの集団催眠や見間違いじゃない。ニーコスも、登校してきた他の生徒たちもはっきりと見ていたんだから……)
だが――広げた解析術式から返ってくる結果は、あまりにも「きれい」すぎた。
「……ない」
「なかった?」
上からのぞき込んでいたニーコスが訪ねる。
「異常なし。魔力の痕跡すら残ってない」
「なら、異常だね」
「……そうなるな」
何も残っていないこと自体が、逆に人工的な隠蔽を感じさせる不自然さ。二人は顔を見合わせた。
「追ってみる?」
「痕跡はあるのか?」
「んー、なんとなく」
「なんとなくか……」
呆れ混じりに呟きつつも、ミナトは膝の砂を払って立ち上がった。
朝の清々しい空気が漂う校舎を、二人は並んで歩き出す。
静かな廊下を進み、階段を上がり、渡り廊下を渡っていく。
(……なんで追ってるんだろうな、俺。解析しても異常はなかったし、教官に報告するのが筋だろ。……でも、どうしても引っかかる。気になるなら、確かめるしかないか)
「あ」
前を歩いていたニーコスが、ぽつりと声を上げた。
「何かあった?」
「こっち」
ニーコスが指さしたのは、校舎の最深部――朝の陽光も届きにくい、薄暗い一角だった。
二人が普段の講義や移動で訪れることはほとんどない場所。
遺物保管庫。
重々しい石造りの扉を前に、二人は思わず足を止めた。
「こんなところ、来たことないなぁ」
「僕もだ。立ち入り制限区域だろ、ここ……」
雰囲気に呑まれそうになりながら、ミナトの視線が重厚な扉へと向けられる。
「あれ?」
「ん?」
「開いてる……」
ニーコスの言葉に視線を下げると、本来なら固く閉ざされているはずの遺物保管庫の扉が、わずかに隙間をあけて解錠されていた。




