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一時名流:属性統合 森の神話と始まりの人

夜・宿舎の談話室にて

すっかり日が落ち、夜の静寂が包み込んだ宿舎の談話室。

木製の円卓を囲むようにして、ミナトたち五人は席に着いていた。


どこか神妙な面持ちのニーコスを前に、さやかとランドは落ち着かない様子で、何度も座り直したり手元のコップをいじったりしている。部屋を漂う張り詰めた空気を切り裂くように、ニーコスが静かに口を開いた。


「えーと、話はね……森の昔話にまつわる言い伝えなんだ」


「へー、森の民の伝説? もしかしてアレか?」

ランドがここぞとばかりに身を乗り出し、得意げに人差し指を立てる。

「千年以上生きた、伝説の大魔法使いとか、魔物狩りすぎた魔法使いとかそういう奴だろ!」


「……誰それ?」

さやかが心底不思議そうに眉をひそめて首を傾げた。


「きっと、ランド様の中にだけ居られます」


「辛辣!?」

リーンの淡々とした、しかし一切の慈悲のない一言に、ランドは胸を抑えて大袈裟にのけ反ってみせる。張り詰めていた談話室の空気が、一瞬だけいつもの調子に弛んだ。


「あはは、んー、あーえっと……ランドは、凄い魔法使いに会いたいの? 今日は別の話だったんだけど……」

ニーコスが苦笑しながら、再び全員の視線を集める。


(相変わらずその緩く流れていく感じ、ニーコスだからなのか、森の人だからなのか判別がつかないが……どっちかっていうと俺もその魔法使いに興味が湧く! その話を聞きたい! ランド、ナイスパスだ。リーンには後できつく言っておくから、その流れで行け!)


内心でひそかにランドを応援するミナトだったが、次第にニーコスの瞳へ、冗談を許さない真摯な光が宿り始めた。


「ミナト、あなたが午後の演習でやったこと――あれはね、森の民の伝説のなかで、ある『鍵』として語られていることなの。古い言葉のままだから、そのまま言うね」


ニーコスは一度言葉を切り、厳かな響きを帯びた声で、そのフレーズを紡ごうとする。

脱線しかけた話題が本筋へと戻されたことで、ランドの肩がガックリと落ち、ゆっくりと俯いた。


(ん? これは……そうか、とりあえずちゃんと聞こう。ランド、あからさまだな。そういうところが後で刺されるんだぞ。これが空気を読むってやつだ。ふふん)


「『摂理(せつり)のよもを坂返(さかがえ)る鍵』。そして、『始祖は求むる』……っていうもの」


「……どういう意味か、もう少し分かりやすくできるか?」

ミナトは腕を組み、脳内でその奇妙な単語を反芻しながら先を促す。


「うん。いろいろな解釈に分かれるんだけど、大体こういう感じで捉えられているの」

ニーコスは指を一本ずつ立てながら、丁寧に紐解いていく。


「まず『摂理』っていうのは、この世界のシステム、つまり理のこと。『よも』というのは始まったこと……起源を指すの。最後の『坂返る』はね、始まりよりもさらに前に行くっていう意味。だから言葉通りに繋げると――『世界が始まる前に行く鍵』っていう意味になるんだ」


「世界が、始まる前……」

ミナトの呟きに、さやかとランドが息を呑むのが分かった。


「でも、これだとちょっと直訳すぎて意味が解らないから、今の人たちはね、これを『世界の理そのものに触れる技術』のことだって解釈しているの。……つまりね!」


そこまで一気に説明すると、ニーコスは自分の茶色の髪をさらりとかき上げた。

パッと花が咲くような笑顔をミナトに向ける。その拍子に、ほんのりと熱を持って赤くなった長い耳が、夜の明かりの下にさらけ出された。


「つまり、とんでもなく凄いことなんだよって意味! ミナト、本当に凄いね!」


神話の時代の不気味な影を、持ち前の明るさで祝福へと変えてみせるニーコス。


(そうか、凄いことなんだな。……光らせるしかできないし、何なら自分で止め方さえ分からないんだが。術式を発現後に壊せば何とかなるが、ははっ、2回魔力使う魔法って欠陥だろ……。そんな笑顔を見せられても素直に喜べないよニーコス、ごめん)


だが、その無邪気な称賛の裏で、ミナトは自らが触れてしまった「自立する術式」の、あまりにも深すぎる闇の深淵を幻視し、背筋に冷たいものを覚えるのだった。


◇

「あ、ありがとう。……でも、もう一つの意味は?」


ニーコスの真っ直ぐな称賛に気恥ずかしさと小さな反発を覚え、ミナトは言葉を詰まらせながらも、先ほどの不穏なフレーズの続きを促した。


その瞬間、円卓の影でリーンの角が、誰にも気づかれないほど仄かな光を帯びた。

リーンは、ミナトの視線がニーコスの赤くなった耳へと向けられているのを、静かに、そして見逃さずに見つめている。一方のさやかとランドは、ニーコスの講義を熱心に聞く生徒のように、深く頷き合っていた。


「『始祖は求むる』の、始祖の方だよね」

ニーコスは表情を引き締め、神話の核心へと踏み込む。

「『始祖』っていうのはね、最初の森の人のこと。草原の人と、森の人と、今の人類がまだ一つだった時代から分かれたときに……最初に森の人になった『一人の女性』のことだよ」


「え!?」

ランドが突拍子もない歴史の裏話を聞かされたかのように、素っ頓狂な声を上げた。


「……っ」

同時に、それまで完璧なポーカーフェイスを維持していたリーンが、明確に動揺したように目を見開く。唇を微かに震わせ、声にならない驚愕をその白い貌に浮かべていた。


「?」

その二人のただならぬ反応に、さやかだけが何が起きているのか分からず、小首を傾げて三人を見比べた。


「……えっと、つまり……森の人の最初って、女性だったのか?」

ミナトは困惑のまま、ニーコスに問いを投げかける。


いつの間にか、ミナトの肩は緊張でガチガチに上がっていた。


(え? 俺は今、何を聞かされてるんだ? 森の人の、最初の女性? いやいや、人類が一つだった? さらに最初がたった一人の女性って……どういうことだ? いや、それより……なんでランドやリーンがこんなに驚いてるんだ? 森の人の伝承なんだよな? まてまて、俺たちの始まりってなんだったっけ。えーっと、昔父さんに聞いたのは、ヨロカノで水の管理……違う、それは家の話だ。もっと前の話だ。えっと、そうだ、迷宮から這い出てきたって言ってたか? でも、猿から進化したってのも聞いたことあるな。違ったか? 神の都合に合わせて人は、なんか人じゃない者から人になったって聞いたぞ……。ダメだ、俺には何が何だか、さっぱり分からん! 昔勉強で諦めたやつだ、これ……)


ニーコスが語るおとぎ話じみた伝説。だが、それが目の前の仲間たちの間で、全く異なる意味の重みを持って響いていることだけは、ミナトの肌にも痛いほどに伝わっていた。


◇

「なんで女性って分かるの? って顔だね。うん、そう思うのも無理はないよ」


ミナトたちの困惑と驚きを綺麗に誤解したのか、ニーコスは納得したように何度も頷いた。

「でもね、私たちのところには当時の明確な資料が残っているんだよ。石板とか魔法陣に隠されてね。なにより一族のなかには、その人に『実際に会ったことがある人』だっているの。彼女の言葉も、そのまま現代に伝わっているんだ。最近だと、私が生まれる前だけど、百年ほど前に森の国に来て弟子を取ったって。神話なんかじゃなくて、完全な実在の人物なんだよ」


ニーコスはそこで悪戯っぽく微笑み、声を少し潜めた。


「ただね、その人だけは、他の森の人たちと比べても、特別に長生きなんだ」


「えっと……」

ランドがゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る指を立てる。

「それって、一体何歳なんだ?」


「ちょっとランド君、女性に年齢を聞くなんて失礼でしょ!」

さやかがすぐさま横から肘で小突いて咎めるが、ランドは「いや、だって気になるだろ!」と引かない。


(ランド、確かに気になるが、ツッコミどころはそっちじゃないだろ! 二万年前から生きている人は人なのか? 人って言っていいのか? だろ?)


そんな二人を見つめながら、ニーコスは人差し指を顎に当てて、夜空を見上げるように視線を彷徨わせた。


「その人、ねぇ……。うーん、はっきりとは分からないけど……。多分、二万歳以上」


「――ガタッ!!」


談話室の静寂の中に、激しい音がけたたましく響き渡った。


(だから、それって人なのか!? ……俺はなんとなく気付いたね)


誰が椅子を引いたのかすら分からない。ミナト、リーン、さやか、そしてランドの四人全員が、完全に思考を叩き折られたような驚愕の表情を浮かべ、文字通り硬直していた。


◇


(二万歳……落ち着け。冷静になってみれば、国生みの神話のようなものだろ? 最初に神がいて、っていうアレだ。女性だとか実在するとか言っているが、まあ、寿命の長い森の人なら十世代分くらいか? 一系統の巨大な氏族の比喩なんだろ、そうに違いない。きっと、十世代にわたって共通の言い伝えを維持して、魔法を引き継いでいるんだ。そう考えると我が水理の家と一緒じゃないか? ……うちは、七代前までさかのぼれるぞ! ……いや、でも、なんでそんな話がここで繋がるんだ? まぁいい、落ち着いたもの勝ちだ、くくくっ、どうだ、落ち着いてきたぞ……。他にも、職能集団ってことも考えられるな。こっちの方が濃いか? いや宗教団体ってのはどうだ? ガチだろ?)


ミナトは与えられた情報の断片が、とんでもなく高密度に圧縮されたものに感じられ、脳内で方々へと必死に思考の展開を始めていた。そんな終わりのない思考の海に沈んでいると――。


二万歳という、人類の歴史そのものを嘲笑うかのような歳月。その衝撃が冷めやらぬなか、真っ先に沈黙を破ったのはリーンだった。


「ニーコス様、少しだけ整理させてください」


リーンは震えそうになる息を整え、努めて冷静な声音で問いかける。

「ミナト様を含めた草原の人と、ニーコス様やその方、つまり森の人が、元々は同じ種族であったということは聞き及んでおります。……ですが、森の人の最初の一人目が女性であり、なおかつ、その方が“今も生きている”ということは知りませんでした。おそらく、草原の人の記録には残されていないかと」


「そのあたり、草原の人には伝わっていないみたいだね。忘れちゃったのかな……多分」

ニーコスは気の毒そうに眉を下げたが、すぐに「あ、話が逸れちゃった」と自分の頭を軽く叩いた。


「それでね、問題の『始祖は求むる』の部分なんだけど。その二万年を生きている始祖の人が、ずっと、さっきの『世界が始まる前に行く鍵』――つまりミナトがやった技術を、ずうっと『探してた』っていう意味なの」


ニーコスは身を乗り出し、ミナトの顔を覗き込んだ。


「ミナトは今日、それを出したんだから……運がいいと、その始祖の人に会えるかもよ?」


「……それって、つまり……」

ランドが引き攣った笑みを浮かべ、額の汗を拭う。

「超絶……おばあちゃん、ってこと、だよな……?」


二万年分皺の寄った顔を想像したのだろう。怯えるランドに対し、ニーコスは悪戯っぽくにまっと笑ってみせた。


「ふふ、会ったことのある人達が言ってたけど、二十歳になったばかりくらいの綺麗な女性に見えるんだって。よかったね、ランド」


「ほんとに!? 森の人って半端ないな……!」

現金なランドの目が一瞬で輝く。そんな単純な男の様子を可笑しそうに見つめながら、ニーコスはさらに身を寄せて、にまっと微笑んだ。


「ずっと若いよ? ――あ、でも安心して。ランドのことは、私がちゃーんと最後まで看取ってあげるから」


「……っ!」

その言葉の持つ意味――森の人と草原の人の圧倒的な寿命の差、術としての意味、そしてそれを受け入れた上でのあまりにもストレートな響きに、ランドは口をパクパクとさせて顔を真っ赤に染めた。

「……よ、よしてくれ」


(ふふふ、さっぱり話は分からんが。ランド、お前が愛しいよ。見ていてお前の反応だけが、今は癒しだ。しかし、ほんとにどうした? 森林演習以来、ニーコスに対してなんか態度が変だぞ……。にしても『看取る』か。寿命の長い森の人から見れば、確かにそうなるよな……)


完全に形勢逆転され、情けない声をあげるランド。

その様子に、それまで凍りついていた談話室に、ようやくいつもの見慣れた笑い声が響き渡った。


神話の不気味な影、二万年の始祖。

押し寄せる謎の重圧にガチガチに張り詰めていたミナトの肩の力が、仲間たちの賑やかなやり取りのおかげで、ようやく少しだけ、解けるように抜けていくのだった。


◇


(だが、これだけは確かめておきたい、巨大な氏族?に追いかけまわされるとか、ちょっといい気がしないからな。)


「それじゃ、僕がやったことは確かに凄いことで……その、二万年生きている始祖の人に見つかるかもしれない、ってこと?」


ミナトはまだ半信半疑といった様子で、自身の両手を見つめながら言葉を返した。


「そう。そういう伝承が森の民にあるよ、というお話」

ニーコスは満足そうに頷き、茶色い髪を揺らす。

「またみんなで集まって話をしたかったし、ちょうどミナトのあれを見て思い出したから、ね」


「なるほど。大変興味深いお話でした」


すっと一歩前に出たリーンが、夜の灯りの下で完璧な所作を見せ、ニーコスに向けて深く一礼した。その仕草はいつも通り極めて洗練されていたが、どこかこの場のおとぎ話めいた空気を、綺麗に「ただの興味深い伝承」として締めくくろうとする意志のようにも見えた。


張り詰めていた謎の輪郭が、ニーコスのどこか気楽な態度によって、ようやくただの「古い神話」として脳内に収まっていく。ミナトの口元から、自然と朗らかな笑みが溢れ出た。


(そういうことか!悪い子を注意する鬼と同じだ、リーン、ナイス、最高だやっぱりお前は最高の従者だ)


「ハハッ、そういうことか。ニーコス、ありがとう。僕も本当に貴重な話を聞いたよ。伝承の話と僕のやったことがあまりにも綺麗に重なったからさ……なんだか、胸がキュッとするような、不思議な緊張感があったんだ」


「どういたしまして……!」

ニーコスは胸の前で手を組み、心からの、尊敬と親愛の入り混じった瞳をミナトへと向けた。


「六属性統合を実際に実現できた人と、こうして同じ班で一緒に学べて、私は本当に嬉しいよ。いつか森に戻ったら、思いっきり自慢するんだ。私の友人に、あの領域に達した人がいるんだよって」


満面の笑みを浮かべ、ニーコスは丁寧に会釈する。その言葉の温かさに、ミナトの胸の奥に残っていた冷たい焦燥の残滓が、今度こそ完全に溶けていくようだった。


「よし、じゃあ夜も更けてきたし、そろそろ部屋に戻ろうか」


ミナトの言葉を合図に、円卓を囲んでいた四人が次々と立ち上がる。


「ミナト、明日やり方教えてくれよ。俺、二つでさえ全然混ざらないんだ」

「ああ、いいよ。強引に混ぜるんじゃなくて、先に『通す線』を置いておくイメージを持つところからだ」

「ん? なんだそれ? 魔法なんて、こう、ぎゅっとして、ばっ、だろ?」

「ランド、それじゃ誰にも伝わらないよ」


二人は親しげに軽口を叩き合いながら、先に部屋の出口へと歩き出す。残りの三人もそれに続くように揃って談話室を後にした。


――しかし。

薄暗い廊下へと立ち去るその刹那、リーンの耳は、横を歩くさやかが「ミナト君はやっぱりすごいなぁ……」と、夜の闇に溶かすように小さく呟いていた声を、決して聞き逃してはいなかった。

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