森林サバイバル最終日 鉄針と生える腹、必殺の型
カラヨドロスガパを包んでいた三属性の輝きが霧散したその瞬間、はるなはすでに地を蹴っていた。
(――猿が弱った。魔力の鎧が消えてる。ミナトが、あいつがやったんだ……!)
ボロボロの身体に、鋭い戦意が再び爆発的に満ちていく。
(今なら――通る!!)
はるなは細剣の柄を、文字通り指が白くなるほど強く握りしめた。
幾度となく自身の命を支えてきた剣。血が滲むほど積み上げてきた剣の『型』。
この地獄の五日間、ただ生き延びるためだけに、暗闇の中で幾度となく繰り返し、振った剣。
自身の身体能力を最も効率的に伝える、最も力が乗る軌道。
敵の反応速度を置き去りにする、最も速い踏み込み。
無駄をすべて削ぎ落とし、純粋な殺意として昇華されたその全てを、今、この一瞬の突きへと重ね合わせる。
「はああああああっ!!」
はるなの細剣が、吸い込まれるような速度で火風岩猿の剥き出しの胸元へと突き立った。
――同時に。
背後から放たれたレンの漆黒の鉄針が、猿の背中に肉を裂く音を立てて深く突き刺さる。
「ガ、グ、ッ……」
外皮を貫かれ、体内の構造を直接破壊されたカラヨドロスガパの巨躯から、ついに力が抜けた。
地響きを立てながら、あの災害の獣がゆっくりと、地面へ向かって膝をついていく。
「……やった!?」
ランドが声を裏返らせる。
だが、その膝行の瞬間、飛び退いたレンの顔が驚愕に歪んだ。
「――まだだッ!! 全員、離れろ!!」
はるなを強引に引き戻すように叫びながら、レンの額から冷たい汗が流れる。
「鉄針の手ごたえが弱い! 芯の肉に届いてない……! 奴は、まだ死んでねえぞ……!!」
◇
――グルゥゥゥゥオオオオオオオオッ!!!
レンの警告が響き渡るとほぼ同時に、膝をついていた火風岩猿が、狂暴な咆哮とともに爆発するかのような勢いで立ち上がった。
バフを失い、致命の一撃を受けながらも、その肉体の芯に眠る圧倒的な野生の生命力が、獣を再び衝動へと突き動かす。
奴の肉体から放たれた凄まじい衝撃波によって、胸元に深く突き刺さっていたはずのレンの黒い鉄針が、耐えきれずに一気に四方八方へと弾け飛んだ。
超高速で四散する、鋭利な鉄の礫――。
そのうちの何本かが、直前まで肉薄していたはるなへ向けて、容赦ない速度で牙を剥く。
――ギギギギンッ!!!
はるなは咄嗟に細剣を振るい、必死に迫り来る鉄針の雨を弾いた。激しい火花が散り、鋼と鋼がぶつかり合う鋭い音がゲート前に鳴り響く。
だが、弾き飛ばされた鉄の風が止んだその瞬間。
はるなの動きが、ピタリと不自然に止まった。
「……は、るな?」
背後でレンの声が凍りつく。
はるなは、ただその場に呆然と立ち尽くしていた。
手に握られた細剣の先は、わずかに震えている。
彼女の視線は、ゆっくりと自分の足元――いや、その少し上へと落とされていた。
ボロボロに裂けた衣服の、その隙間。
自らの腹部に、深々と、根元まで突き刺さってしまっている一本の黒い鉄針を、はるなはただ静かに見つめていた。
じわりと、衣服の繊維が不気味な赤黒いシミを広げていく。
◇
カラヨドロスガパが血に飢えた狂暴な声をあげ、動けないはるなを目がけて猛然と飛びかかった。
死の影が、はるなの身体を完全に覆い尽くそうとした――まさにその目前。
天を衝くような上空から、太陽の光を浴びてきらめく巨大な『氷柱』が、轟音を立てて垂直に落下した。
――ドガァン!!!
結晶の砕ける激しい大音響と共に、鋭利な氷の大質量がカラヨドロスガパの背中を真っ向から打ち付け、カラヨドロスガパは、大地へと叩きつけられる。
「――グル、アッ!?」
予期せぬ冷気と凄まじい質量差の衝撃に、巨猿はたまらず後方へと激しく飛び退いた。
「陸斗! 行ってくれ!」
爆煙の向こうから、氷柱の術式を編み終え、肩で息をする今度桜都をサポートしていた新の鋭い怒号が響く。
「おうよ! ――強化最大ァァアアアッ!!」
地を蹴って飛び出したのは、大柄な身体に怒りを滾らせた陸斗だった。
新の手によって限界まで術式強化を施されたその身体が、風を派手に引き裂くほどの爆発的な速度で、体勢の崩れたカラヨドロスガパへと肉薄する。
その巨躯の懐へと一瞬で潜り込み、陸斗は自身の全質量と、仲間の無念を乗せた右拳を限界まで絞り上げて振り抜いた。
「ぶっ飛べ、クソ猿がぁぁあああっ!!」
――ドゴォン!!!
ゲート前が文字通り爆発したかのような、凄まじい衝撃音が炸裂した。
ミナトの手によって魔力の鎧をすべて剥ぎ取られていた火風岩猿は、陸斗の渾身の一撃をまともに喰らい、今度こそ哀れに地面へと叩きつけられた。
凄まじい勢いで土煙と地盤が吹き飛び、まるで小規模な地震のように、周囲の山肌一帯が激しく鳴動した。
◇
はるなは溢れ出る鮮血を厭わず、自らの腹部に深々と突き刺さっていた黒い鉄針を、躊躇なく一気に引き抜いた。
ドッと血の溢れる自分の腹を見て歯を食いしばり、力を入れる。徐々にわき腹にたまる血が引いていく。燃えるように熱いわき腹を片手で押さえつけ、もう片方の手で、震える細剣を再び真っ直ぐに構え直す。
(……足が、震える。痛い。視界が、一瞬白くなる。でも――あいつが、ミナトが命懸けで通してくれた弱体が効いているうちに……今、ここで、絶対に撃つ……!)
傷口を焼くような激痛を精神力だけで圧し殺し、はるなは獲物を狙う鷹の目で前方の乱戦を見据えた。
────────────────
その視線の先では、陸斗とカラヨドロスガパによる、文字通りの凄絶な殴り合いが繰り広げられていた。
陸斗は一切の防御を捨て、強化された拳を奴の顔面へ、胸へと泥臭く叩き込み続ける。だが、三属性の魔力を剥ぎ取られてなお、この怪物の野生の腕力は未だに規格外だった。
――ドゴンッ!!!
カラヨドロスガパの狂暴な豪腕が、陸斗の顔面を真横から捉える。
凄まじい衝撃に陸斗の首が不自然な角度にねじ曲がり、金属鎧ごと肩の骨が鈍い音を立てて陥没した。鮮紅の血が虚空に派手に飛び散る。
並の戦士なら一撃で絶命、あるいは昏倒するほどの重撃。
――それでも、陸斗は止まらなかった。
「が、あああああああッ!! まだだ、まだ足りねえええええッ!!」
飛び散る血を噛み殺し、陸斗は狂ったように拳を突き出し、泥を蹴り、奴の巨躯へと執念深く組み付いていった。
殴り、蹴り、自らの潰れかけた肉体の全質量を投げ打って、カラヨドロスガパの動きを完全にその場へと抑え込む。すべては、背後の仲間に最高の標的を差し出すために――。
◇
カラヨドロスガパが血に狂った咆哮をあげる。
自らを抑え込む陸斗の太い腕を、その鋭い牙で肉ごと食い千切ろうと、顎を限界まで大きく開いた――その、まさに瞬間だった。
真っ白な水蒸気と砂塵を一切揺らすことなく、音もなく世界を両断する『一本の細い線』が、巨猿の頭蓋へと美しく走った。
――ピキ、と硬質な音が響く。
カラヨドロスガパは噛みつくのを止め、自らの頭蓋が真っ二つに割れていく激痛をも無視して、強引に首をねじ切るような勢いで後ろを振り返った。
脳が破壊されゆく死の間際にあってなお、奴の狂暴な双眸は、自らの頭を冷徹に切り裂いた存在の姿を、その網膜へ焼き付けようと激しく蠢く。
そこには、一歩も引かずに背筋を伸ばし、腰に赤黒い溜まりを作りながらも、普段と寸分の狂い無く型通りに細剣を振り抜いた、はるなが立っていた。
血の海へと沈みゆく巨猿の濁った瞳に、はるなの毅然とした、しかしどこか冷徹な瞳が鮮明に映り込んでいく。
――だが、その刹那。
カラヨドロスガパの瞳の奥、はるなが映りこんでいるまさにそのところに、『何者かの瞳』が、一瞬だけ、確かに浮かび上がって消えた。
そして、カラヨドロスガパの脳髄が割れた頭蓋から四方八方へと派手に散り散りに流れだしていった。
あらゆる属性を失い、ただの抜け殻となった火風岩猿の巨躯が、今度こそ完全に、物言わぬ肉塊となって地面へどさりと崩れ落ちた。




