合同課程:動く迷路と解析者 おかえり、ただいま
宿舎の廊下に、頼りない灯りが落ちている。
踏みしめる木の床はどこか湿り気を帯びていた。春の山道で泥を吸った靴の、乾ききらない湿り気が、かえって生々しい生活の匂いとなって漂っている。
割り当てられた部屋の扉を開け、中に入ると、ようやく耳障りな外の雑音が消えて静かになった。部屋の隅に置かれた大釜からは、うっすらと心地よい湯気の匂いが立ち上っている。
ミナトは背負っていた荷物を下ろし、木製の椅子に深く腰掛けた。
張り詰めていた肩の力が、ゆっくりと抜けていく。
「さて、お帰りなさいませ、主様。そして、合同課程初日、お疲れ様でした」
無駄のない所作で、リーンが温かい白湯を満たした木杯を机に置く。
「ただいま……リーン」
「はい」
「……今日は、助かった。本当は、あの動く迷路に入った瞬間、正直怖かったんだ。でも……後ろにリーンがいると思うと、不思議と足が前に出た」
ミナトがぽつりと本音を漏らす。
すると、リーンは頭上の角をほのかに輝かせて、本当に少しだけ、慈しむように口元を綻ばせた。
「同伴ですから。……それにしても、即席の二人と、あれほどうまくやれるとは。私は後ろで見ていて、『これぞミナト』と、とても誇らしかったです」
少しだけいたずらっぽく、リーンは言葉を重ねる。
「それから、あの解説……ふふふっ。小さい頃、上手くやった後は、決まって私に嬉しそうに解説してくれましたね。リーンは、昨日のことのように覚えていますよ」
「……っ」
ミナトはそっと目を伏せた。
気恥ずかしさと、喉元まで出かかった幼少期の懐かしい思い出を胸の奥へと押し戻すようにして、そっと口を閉じる。
「……『次がない』って言い方をすると、やっぱり嫌がられるかな」
ぽつり、と小さく零れたその問いに、リーンは木杯の湯気越しにミナトを見つめた。
「嫌がる人もいます。耳障りの良い希望だけを求める者にとっては」
静かな、だが確信に満ちた声だった。
「ですが、それを必要とする人も、確かにいます」
「……そうだな。それと、出口で、俺たちのことを見てる人がいた」
「視線が刺さるようでしたね。とても鋭く、冷徹な気配をお持ちの方でした」
はるなのことだと、リーンは即座に理解していた。
「ですが、彼女はあえて話しかけませんでした。……おかげで場が乱れずに済みました。とても賢明な方です」
ミナトは小さく息を吐き出した。
「戻れる距離」という言葉。前線から遠く離れたこの学園の、さらに安全な宿舎の中で口にしても、その響きは決して軽くはならなかった。むしろ、静寂の中にこそ、その言葉の持つ重みがずしりと染み渡っていく。
「明日も……戻れる形で」
「はい。――戻れる形で」
リーンは優しく微笑み、そして深く頭を下げた。
「今日は本当にお疲れさまでした。お休みなさいませ、主様」
リーンは静かに、しかしながら、決してぶれることのない美しい所作で一礼をして、部屋から退出していった。
パタン、と扉が閉まる。
窓の外、はるか遠くの演習場から、訓練器具や防壁を片付ける微かな音が響いてくる。
それは、勝者を称えるためのファンファーレなどではない。明日もまた繰り返される、冷徹な「仕事」の音だ。
日中あんなに激しく流れていた、渓谷の雪解け水の音。日が落ちて気温が下がったせいか、夜の闇に溶けるようにして、静かに小さくなっていった。
第一エピソードの「合同課程:動く迷路と解析者」の小説版をかき上げてみました。カクヨムでも書いていましたが、やはりしっくりこず、悶々としながら、あれこれ考えてようやく形にできました。次のエピソードの書き直しも進めていきたいと思っていますが、少し先になると思っています。それまでは、設計書である台本台帳とカクヨムにて投稿している、初版をお楽しみいただけると幸いです。
ほんとに読んでくれてくださった方ありがとうございます。その1PVが私の励みになっております。感謝




