森林サバイバル4日目 A班 湯拭き ― “戻れる形”の衛生
演習4日目の昼前。
魔力が回復した俺は真っ先に靴擦れを癒し、森の幸の採集を手伝っていた。
必要な森の幸(採集物)のノルマを順調に収集した俺たちA班は、一度標高を下げ、再び自分たちの寝床がある平地へと戻ってきた。数日分の汗と泥、そして何より昨夜の急性腸炎の闘病による不快感を解消するため、彼らは水を求めて近くの川原へと進んでいた。
山の空気は不気味に湿っているが、吹き抜ける風は肌を刺すように冷たい。川の水にそっと手を突っ込んでみると、骨の奥まで痛みが響くほど凍てついていた。
「お願い……少しだけでも、入らせて。もう身体が限界……」
さやかが自分の衣服の汚れを見つめ、懇願するように三人に視線を向けた。
(まぁ、確かに昨晩ニーコスとさやかは相当頑張ってくれたみたいだけど、臭うしな……気持ちはわかる。あと一日、出来る事と言えば……。――ん、おい、ランド、またなんでシャツを脱いでいるんだ?)
「そうだな、さすがに俺もさっぱりしたいよな、うん」
ランドも同意して川水に手を突っ込むが、次の瞬間には激しく手を引き抜いた。「……うわ冷てぇええ!! これ、そのまま入ったら心臓止まって死ぬやつだろ……!」
(初日に水汲んだ時、触ったから冷たさは分かってたはずだろ! なぜここでわざわざ引っかかる!? ……って、ニーコス、さやか、二人してそんな目で俺を見るな。誰がこの状況で水を浴びろなんて言うか。浴びるわけないだろ)
「入らない」
俺は、ゆっくりと、しかし確実に否定した。
「ただでさえ消耗している。この冷水に身を晒せば、一気に体温を奪われて汚れと共に体力が落ちる。冷えは、僕たちが無事に“戻れる形”を根本から壊すリスクにしかならない」
「だよね……。じゃあ、どうするの? このまま泥だらけで最終日を過ごすの?」
さやかがほっと胸をなでおろした後、それでも体臭が気になるのか、落ち着かない様子で聞いてくる。
(考えろ、デキることは何だ? 風呂を作る? どうやって? 風呂桶がない。よしんば桶が作れたとしても、全員の湯を沸かすほどの魔力と体力の余裕がない……どうする)
河原で周りを見渡していると、ふと、割れた木の皮に雨水が溜まっているのが見えた。
(――あれか。あの一片の皮みたいに、少しだけお湯を溜めて、そして布を使えば……。汚れた服は、川水で叩き洗いをするとして……ヨシ、いける)
「囲いと壁……あと、お湯を溜める桶だな」
ミナトは周囲を見渡しながら、杖を突いて一歩踏み出した。「桶は……ここで作るか」
ミナトは近くにあった手頃な倒木の前にしゃがみ込むと、手際よくその厚い皮を剥ぎ取った。それを幾重にも重ねて縛り、自身の魔力で熱を与えていく。
「……なるほど。森の木は、熱を加えると柔らかくなって曲がる」
その様子を横からのぞき込んでいたニーコスが、感心したように目を細めた。「ミナト、手先が上手い」
「これなら、沸かした水を少しの間だけ溜めて置ける。携帯鍋で水を沸かしながら、並行して続けられるだろ」
ミナトは淡々と形を整え、即席の樹皮桶を作り上げていく。
「……お湯、作るね。身体を丸ごと浸さなくても、温かい布で拭くのが一番いい。衣服についた森の匂いも、早めに落とした方がいいから」
ニーコスが川のせせらぎに耳を澄ませながら、静かに告げた。
「ランドとさやか、悪いが、汚れた服を川の水で叩き洗いをしておいてくれ。湯を沸かすときの熱で、ついでに乾かそう」
────────────────
ランドとさやかが、自分たちの服を川の水で叩き洗いをしている横で、ミナトは手際よく鍋に川水を汲み、火魔術で一気に湯を沸かしては木の皮で作った桶に入れていった。
服を洗い終えたさやかが、その横で布を絞る準備を整える。その間にニーコスは、周囲からの視線を遮るための簡易的な天幕(隠し壁)を手早く張り終えていた。
やがて、樹皮桶の中から暖かな湯気が立ち上がり、周囲の冷え切った空気に白く溶けていく。
「……これくらいの温度だ。熱すぎると逆に皮膚のバリアが荒れるからな」
ミナトが沸騰した湯を器用に樹皮桶へと移す。
「じゃあ……私から使わせてもらうね」
さやかは清潔な布を手に取ると、隠し天幕の中へと入り、入り口の布をきっちりと閉めた。
袖をまくり、温かい湯に布を浸して、そっと腕や首筋を拭っていく。こびりついていた泥と汗が綺麗に落ちるにつれて、彼女の肌が本来の明るさを取り戻していった。
「……あ、これ……気持ちいい……っ。生き返る……」
さやかのほっとした声が天幕の外まで漏れてくる。
やがて天幕の入り口が開き、さやかが出てきた。その頬は、湯気の熱でほんのりと赤く上気している。
「よし、じゃあ次は俺な!」
待ちきれない様子で、ランドが布を引ったくって天幕へと突入した。しかし、相変わらず入り口の布を開けっ放しにしたまま、ガシガシと豪快に身体を拭き始める。
「うおぉお、あったけぇ! 文明を感じる……っ!」
「湯の冷めが早まる。入り口を閉めてくれ」
ミナトが呆れたように淡と言う。
「人間の匂いが敵を呼ぶ。拭くだけでも隠蔽になるから、キレイにしてね」
ニーコスも淡々と、衛生兵のトーンで告げた。
「へーいへい!」
ランドは生返事をしながら、慌てて入り口を閉めた。
数分後、「うひょーー! 生き返った! 俺、新生ランド!!」と、湯気の立つ布をぶんぶんと振り回しながら、すっかり元気になったランドが飛び出してきた。
────────────────
(湯を沸かす、ついでに服を乾かす。湯を沸かす、ついでに服を乾かす。……俺は今、洗濯、そう、洗濯とお風呂係だな。ふ、悪くないな。頭を使わず、淡々と作業を繰り返す……うん、悪くない)
どうやら疲れた頭は碌でもないことを考え始めるらしい。いつの間にか、沸いた新しい湯を代わりの桶に溜め終わっていたことに自分で気づいた。ミナトはそれを持って、天幕の中の冷めた桶と素早く交換した。
(それにしても、さっきから森が気になる。何かが潜んでいるような……。――さやかとランドは元気だな。あの二人、実は妙に息が合っているのか? ……あ、さやかが怒りだした。やっぱ息合ってないな。……ん? ニーコスがこっちを見ているな。どうした? ああ、そうか)
「ニーコス、先にどうぞ」
「ミナトは?」
「僕は最後でいいよ。護衛も兼ねて、外で見張ってる」
(やっぱり森の気配が気になる。昨日までの『ただ過酷なだけの森』と違う。なんだ、この一体……)
「そう。じゃあ、遠慮なく使うね」
ニーコスは短く頷くと、布を受け取って天幕の中へと入った。
――そして、天幕に入ったその瞬間、彼女はおもむろにその場で上衣のボタンを外し、服を脱ぎ始めた。入り口の隙間から、その白い背中が無防備に見えそうになる。
その瞬間、ランドの視線が吸い寄せられるように釘付けになった。
「――ちょっと!! こっち見ちゃダメ!!」
異変に気づいたさやかが、顔を真っ赤にして慌てて天幕の前に立ちはだかった。
さやかが般若のような形相でランドを睨みつけると、ランドは「ヒッ」と短い悲鳴を上げて、大慌てで首を真横に向けた。
(みんな元気だな、良いことだ。魔力の回復度合いも良好。これなら、今から不測の一戦ってなっても十分に動ける。……だが、何だろうな、この胸騒ぎは)
ミナトは、力のない目で遠くの森の奥を眺めていた。
「いや、みてねーし……! ガチで見てねぇから!」
ランドが冷や汗を流しながら必死に弁明するが、さやかの瞳の奥の魔力光が鋭くギラリと光る。
「……本当に、ごめんなさい……」
ランドは昨夜のトラウマ(関節ロック)を思い出したのか、一瞬でガタガタと震えながら謝罪した。
やがて、天幕の入り口がすっきりと開き、さっぱりとした表情のニーコスが出てきた。
「さやか、守ってくれてありがとう。少し不用心だったね。……でも、ランドならもう、身内みたいなものだからいいかなって、つい思ってしまっていたよ」
「ちょっと!! ニーコスちゃん、それ絶対に誤解されるから!!」
さやかが大慌てで両手を振る。
「だって、あそこまで世話したんだから、もう、なんていうか……あはは」
ニーコスは昨夜の「ズボンを剥ぎ取ったドタバタ」を思い返して楽しげに笑うが、さやかは頭を抱えた。
「ニーコスちゃん……男の子の前でそういうこと言っちゃダメだよ……!」
その会話の最中、ランドは顔芸のオーディションでも受けているかのように、目まぐるしく表情を変化させて限界を迎えていた。
「ミナト、お湯新しくしたよ。どうぞ?」
ニーコスに声をかけられ、ずっと森の奥を覗き込むように凝視していたミナトが、ゆっくりと振り返った。
「……なぁ、ニーコス。今日、森が静かすぎないか?」
ミナトのその一言に、ニーコスの笑顔が消え、野生の鋭い瞳へと戻る。
「……ミナトにも、視える?」
「すこしね。不気味なほど、気配が静まり返っている気がする」
ミナトは最後に布を受け取ると、天幕に入り、静かに自分の腕や首筋の汚れを拭い去った。温かい熱が肌に伝わり、張り詰めていた肉体がほんの少しだけ弛緩する。
(あぁ、駄目だ、思考がまとまらない。ちがう、この暖かさに全部ゆだねたい。押し寄せてくる誘惑に勝てないんだ、猛烈に眠い……。だが、起きろ、ダメだ)
「……よし。これで、今夜の冷えにも十分耐えられる」
自分の眠気を強引に振り切るために、あえて大きな声に出した。
天幕から出てきたミナトに、ニーコスが真っ直ぐな目を向け、力強く頷き返した。
「うん。私たちの“戻れる形”、まだ何一つ崩れていない」
(――ニーコス、今なんて言った? 『戻れる形』……、やっと、みんなに届いたか……)
ミナトの胸の奥に、言葉にならない感情が溢れる。思わずニーコスの手をぎゅっと握り、その目をじっと見つめて力強く頷いた。
「ああ。僕たちの『戻れる形』は、何一つ崩れていない」
立ち上る白い湯気の中で、四人は互いの生存を確認し合うように、静かに身支度を整える。冷えを徹底的に避け、明日という帰還の日に備えるための時間。
A班の即席の風呂――それは、彼らにとって極限状態を切り抜けるための、冷徹かつ完璧な、そして確かな絆に裏打ちされた“生き残るための設計(戦略)”そのものだった。




