森林サバイバル4日目 C班 削れる肉
4日目の朝。演習最終日のC班の野営地。
自作の燻製箱は煙を均一に吐き出し、川魚を干した乾燥ネットは朝の心地よい風を受けて揺れている。水処理装置は新の施した二段ろ過に煮沸工程を加え、完璧な真水を生成し続けていた。
「天幕の骨組み、もう少し補強しておくね」
おとは朝一番から手際よく木材を削り、組木の精度を上げていく。「日中の風向きが変わっても、絶対に崩れないように」
「維持魔法、再展開完了」
新が滑らかな手つきで新たな魔法陣を地面に描き、発動させる。「これで今日も温度と湿度は一定に保たれるよ。不快感はゼロだ」
「……素晴らしい。これ、私たちの活動記録はそのまま学園の教科書に載せるべきですよ」
朔太郎がその完璧なキャンプサイトを見渡し、しみじみと記録台帳にペンを走らせる。
「おと、これでいいか?」
陸斗が自慢の怪力で、朝の薪を綺麗に叩き割って差し出した。
「うん、完璧。陸斗の力、ほんとに助かる」
おとが柔らかく微笑む。
C班は、おとの“技術”、新の“魔法”、陸斗の“力”、そして朔太郎の“記録”。そのすべてが歯車のように完璧に噛み合い、まるで大自然の中に現れた小さな“野営工房”のように機能していた。誰もが、このまま何事もなく最終日を終え、最高得点で帰還できると信じて疑わなかった。
新は、朝食用に燻製箱から肉を取り出そうと、昨夜つけた記録台帳を片手に箱の蓋を開けた。そして、突き合わせようとした瞬間――その身体が、硬直した。
「――っ!!!! 減っている、明らかに……!」
新の裏返った声が、静かな朝の野営地に響いた。
「え?」
おとが削り書きの手を止め、怪訝な顔で新の側へと歩み寄る。
「おとちゃん、これを見てくれ……」
新が青ざめた顔で指さした燻製肉を、おとは覗き込んだ。――形状を確認するまでもなかった。記録台帳と突き合わせるまでもなく、肉は、明らかに不自然な形で削り取られていた。
包丁で綺麗に切り取られたのではない。
ザラメのように粗く硬い刃物で、同じ方向に何度も何度もガリガリと削られたような、おぞましい削り痕。昨日まで赤黒く詰まっていたはずの肉が大きく抉られ、そこから白い骨が、剥き出しになって露出していた。
「昨日、僕は確かにここに印を付けたはずなんだ……」
新の指先が、小さく震える。「……骨が、昨日より、明らかに露出している。僕たちの見ていない間に、何かがこれを……」
不穏な空気を察して、薪を置いてきた陸斗と、眼鏡を直した朔太郎が燻製箱の前へと詰め寄る。
抉られた肉と、台帳の数字を見比べ、全員の顔から血の気が引いていく。
「……おい」
陸斗がゴクリと喉を鳴らし、掠れた声で呟いた。
「……これ、まさか、人がやったんじゃねえよな……?」
C班の防衛結界の中に、突如として穿たれた未知の“ほころび”。
朝の光に照らされた野営地に、冷たく、重苦しい数拍の沈黙が訪れた。
◇
演習場麓に佇む監視用のロッジ。その一室でベッドから身を起こした光は、隣のベッドが既に空になっていることに気づいた。窓から差し込む朝日の位置を見て、小さく息を吐く。
「早いな……。昨日も遅くまで術式の調整に付き合ってもらったってのに。相変わらず朝に強い奴だ」
光は軽く身体をほぐしながら、ロッジの外へと出た。
外の空気はひどく冷え込んでいたが、それ以上に目を引いたのは、敷地内のそこかしこに転がっている小さな魔物の死骸だった。昨夜『魔呼の香炉』の紫煙に引き寄せられ、ロッジを襲撃してきた個体たちだ。それらはすべて、一撃のもとに完璧に処理されていた。
その死骸の群れの中心で、陽子は既に身支度を綺麗に整え、制服姿のまま静かに山の中腹を見つめていた。
「どうした?」
光がその背中に歩み寄る。「こんな朝早くから」
「多分、感染症ね」
陽子は振り返ることもせず、鋭い視線を森の奥へ向けたまま淡々と告げた。
「水理の術式通信のログを見ていたけれど、特定の班で『煮沸布』を使った形跡と、それに伴う細かな衛生行動が急増していたわ。血の匂いのする戦闘魔術の反応はない。けれど、立花と佐伯のバイタルが昨晩の数時間、ほとんど動いていなかった」
その時――陽子の正面の茂みから、煙の残滓を纏った『風穴獣』が、音もなく獰猛に飛び出した。
刹那。
光の指先が、流れるような動作で自身の杖を弾く。空中に瞬時に展開された魔術回路から、弾丸のごとき質量を持った岩弾が超高速で放たれた。
――ドシャッ!!
凄まじい衝撃音と共に風穴獣の頭部が粉砕され、魔物は地面に倒れてピクリとも動かなくなった。
「……危ねぇな。俺は全然気づかなかったよ。陽子はよくあの距離で察知できたな」
光は杖を軽く回して収めると、先ほどの会話に何事もなかったかのように戻した。
「で、その感染症の班は……回復してそうか?」
「光さんは手元の術式に集中しすぎ。もう少し周りの予兆も見た方がいいんじゃない?」
陽子は呆れたように溜息をつきながらも、言葉を続ける。
「昨夜の動きを見ていて、一番綱渡りだったのは間違いなくA班よ。ただ、そこからどう回復したかまでは、まだここからじゃ分からない。午前中はちょっと様子見ね」
「そうか……。陽子は? 体力は回復できているか?」
「私? おかげさまで。昨夜は光さんが大部分の迎撃を引き受けてくれたお蔭で、だいぶ楽をさせてもらえましたから」
光は照れ隠しのように視線を別の方向へと向けた。彼の瞳の前に、青く輝くレンズ状の魔術構造体が二つ、ふわ降りと浮かび上がる。その術式レンズの向こうに、山の斜面に大きく開かれた空き地と河原の景色が、引き延ばされるようにして映し出された。
「……ん? あっちの班は……」
光がレンズを覗き込みながら眉をひそめる。
「あ、元気そうだな。……いや、元気すぎないか? 朝っぱらから川で水浴びしてやがるぞ」
陽子もその言葉に、視線だけで同意する。
「ん。あっち(B班)は多分、もう大丈夫ね」
「そうか……すげえな」
光はレンズの術式を消し、感嘆の声を漏らした。
「あの過酷な環境で、あの年齢で……自力であそこまで立て直すクオリティのサバイバルが出来ちまうのか」
「……確かに、大したものね」
陽子の冷徹な横顔にも、わずかに生徒たちの成長を喜ぶような色が滲む。
「よし、ひとまず飯食おうぜ」
「そうしよっか」
「ちょっと魔力を回復させてから、昼頃には俺がそこらのルートを一回り様子見してくるよ」
光は目を細め、怪しい紫の煙が薄く漂う山全体を見渡した。
「私は、ここで少し休ませてもらうね」
陽子はそう言って、張り詰めていた緊張の糸を解くように、ほっと深く息を吐き出した。




