↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/109

森林サバイバル3日目 B班 風呂 ― “生命力の回復”

演習3日目の夜。

B班の面々は、魔力も体力もそのすべてを底まで使い果たしていた。今彼らを動かしているのは、強靭な意志などではない。ただ「まだ生きている」という、生々しく、泥臭い実感だけだった。


パチパチと爆ぜる無骨な焚き火の傍らで、はるなが命がけで倒した魔物の肉を、レンが手際よく焼いていく。香ばしい匂いと共に滴る脂が、夜の闇に白く煙った。


琉生と悠真は、言葉を交わす余裕すらなく、ただ無言でその肉を口へと運んでいた。

噛み締め、飲み込む。魔物の肉の濃厚な脂が喉を通り、胃へと落ちるたび、凍てついていた身体の奥底へと、じわじわと熱い「火」が戻ってくるのが分かった。


「……生き返る……」

レンが脂に塗れた唇を拭い、掠れた声で呟く。


「……なぁ」

琉生が自分の両手を見つめながら、驚きを隠せない様子で声を漏らした。

「これ……魔力、戻ってきてるよな……? 身体の底から、なんか湧いてくる感じがする……」


少し離れた場所で、はるなは自身の服にべっとりと付着した、魔物の赤黒い返り血を静かに布で拭い取っていた。


「生命力が戻れば、魔力も戻る」

はるなは感情の起伏を感じさせない、淡々とした声で応じる。

「森では、そういうもの。生きるために喰らう。喰らえば、力は還ってくる」


言葉とは裏腹に、はるなの衣服の下は限界をとうに迎えていた。


(手、力が入らない……)

布を握る指先を見つめる。

(硬い……思い通りに動かない……。うっ……)

衣服が擦れるだけで、肩の奥から鋭い激痛が走り、はるなは小さく息を詰めた。


――脳裏に、数時間前の死闘が鮮烈にフラッシュバックする。


(あの時、魔物が肩に齧りついていた……!)

おぞましい顎の感触。抉られる感覚。

(痛い。……冷たい。身体の芯から凍りついていくみたいに……)


視線を泳がせる。肉を焼いているレンを見る。

(レン……? 気がついてない? 私の、この状態に、見えてない……?)


ふと、自分の足元に目を落とす。ブーツの隙間、肉を透過して、己の白い骨が透けて見えているような錯覚。

(足、骨……?)

さらに、自分の両手を目の前にかざす。

(手が……消える……? 透けて、向こう側の景色が見えて……)

(うーー、ダメ。違う……しっかりして、私……!)


はるなは激しく押し寄せる幻覚と恐怖を振り払うように、強く、深く目を閉じた。

体内の冷気を吐き出すように息を吐き、再びゆっくりと目を開く。


そこには、いつも通りの、自分の確かな手があった。透けてなどいない。仲間たちのために血を流し、戦い抜いた、彼女自身の泥まみれの手だ。


その手を静かに下ろし、すぐ隣で静かに自分を気遣ってくれていた少年に、はるなは視線を向けた。


「……悠真、ありがとう」


短く、けれどその声には、彼女を現実に引き留めてくれたことへの、深い信頼と感謝が込められていた。


◇


はるなは静かに立ち上がった。

返り血と泥に汚れ、極限の疲労で今にも折れそうなほど細い背中が、そのまま迷いなく漆黒の夜闇が広がる河原の方へと進んでいく。


「は、はるな……どこ行くの……?」

悠真が心配そうに、その背中に向けて声をかけた。


「……風呂」

はるなは振り返りもせず、冷淡な、しかし確固たる意志の籠もった声で短く応じた。

「このまま汚れを放置して冷えれば、明日、身体が動かない」


────────────────


冷たい風が吹き抜ける闇の河原。

はるなは無言で手頃な石を次々と積み上げ、川の流水を器用に引き込み始めていた。少しずつ、大人が数人入れるほどの小さな浴槽の形が、河原の片隅に作られていく。

その驚くほど迷いのない手際に、後を追ってきた男三人は言葉を失っていた。


「……はるな、それ……本当に風呂を作ってるのか……?」

レンが呆気にとられたように、積まれた石の囲いを見つめる。


「うん」

はるなは短く頷き、最後に川の水を満たした。

「石で囲って、底に熱を通す。魔力は……さっき肉を食べて、少しだけ戻ってるから、自分で火を……」


「……なるほどな。合理的だ」

レンが小さく息を吐き、はるなを遮るようにその前に一歩進み出た。

「だったら、水を温めるのは俺がやる。お前は少しでも魔術回路を休ませておけ」


レンが石の囲いに向けて、静かに手をかざす。

じわじわと、石の底が赤みを帯びてゆっくりと温まり始め、冷たかった川の水が、またたく間に白い湯気を立てて心地よい熱湯へと変わっていった。冷たい夜気の中に、優しく、暖かな蒸気が広がっていく。


「……すげぇ……本当に風呂だ……」

琉生がその温もりを肌に感じ、感嘆の声を漏らす。


「……あの、これ、俺たちも……入っていいの……?」

悠真が少し気まずそうに、おずおずと尋ねた。


はるなは立ち上る湯気を見つめたまま、ただ淡告げた。


「入らないと、明日死ぬ」


◇


浴槽に湯が満ちたのを確認すると、はるなは一切の迷いなくその場で上衣を脱ぎ捨て、水浴び用の白い薄着姿になった。


その瞬間、背後にいた琉生と悠真の肩がピクリと同時に跳ねる。

極限の驚きと疲労、そして何より年相応の男子としての本能的な反応。二人は絵に描いたように慌てて、あさっての方向へと視線を逸らした。


「……お、おう……」

レンだけが、動揺を男のプライドで強引に押し殺し、不自然に喉を鳴らす。

「じゃ、湯が冷えないように石の周りに熱の刻印を打っとく。これでしばらくは温度が持つだろ」


「……あ、ご、ごめん、ちょっと、俺、あっち向いてるわ……」

琉生が真っ赤になってドギマギする横で、悠真は何かを決意したように拳を握りしめた。

「ぼ、僕も入る……!」


はるなは男子たちの動揺に気づいていないのか、それとも気づいていてあえて気にしていないのか。何事もない澄ました顔のまま、静かに温かい湯の中へと身体を沈めた。


「……あったかい……」

じわり、と肌の奥に熱が染み込んでいく。

(血が巡る……。これで明日も動ける。肩の痛みが引いていく……。ううぅ、それにしても、なんでこんなに気持ちいいの……)


────────────────


観念したレンと琉生も、泥と血に汚れた衣服を脱ぎ、下着姿になって次々と湯へ浸かった。遅れて悠真も、そっと湯船の端へ滑り込んでくる。


「……これ……天国かよ……」

レンが首まで湯に浸かり、歓喜の声を漏らす。


「……生きてる……」琉生は自分の腕を抱きしめ、噛み締めるように何度も繰り返した。「俺たち、生きてる……!」


「……ぼ、僕も……生き返る……」


(みんな入ってきた……。あったかい。身体が軽くなっていく……。でも、一気に眠気が……ダメ、あと少しだけ、起きてないと……)

はるなは強烈な睡魔と闘いながら、薄く目をあけた。


レンが静かに、はるなの隣へと腰を下ろす。

「はるなちゃん、よく風呂なんて気づいたな。思いつきもしなかったぜ」


「冷えた筋肉は、一度温めて休ませないと乳酸が抜けない」

はるなは湯気に顔を半分うずめながら、ぽつりぽつりと応じた。

「そうしないと……明日、歩けなくて、帰れない……から。……あと、さすがに、みんな少し臭う」


「……えっ、そんなに俺たちくさいか?……」

琉生が自分の脇のあたりを慌てて嗅ぐ。


「……ごめん、僕、自分の匂いすらもう分からないや……」

悠真が苦笑する。


「……匂いが分からなくなるくらい、俺たちの感覚が麻痺するほどヤバかったってことか……」

レンは夜空を見上げ、深く息を吐き出した。「あぁあ……本当に助かった」


────────────────


四人は並んで湯に浸かり、ただ静かに夜空を見上げていた。

暗闇の河原から、白い湯気が幾筋も立ち昇っていく。冷え切っていた彼らの肉体へ、確かな生命の血がなだれ込んでいく。


「……あと、一日だ」

レンの言葉に、全員の視線が引き締まる。


「……帰れるよな」と琉生。


「……絶対に、みんなで帰りたい」と悠真。


はるなは、湯水に濡れてぴったりと自分の身体に張り付いている薄着を、ふと見つめた。

(この服、肌に張り付いて……あ、なんか、急に気になり始めてきちゃった……ダメ。やっぱり少し恥ずかしい……。私、最後に出よう。みんな、先に出てくれないかな……。あぁ~……でも、本当に眠い……)


「帰る」

はるなは内心の気恥ずかしさを隠すように、少しだけ強い声で言った。

「四人で、絶対に」


湯気の向こうで、四人の乱れていた呼吸が、ゆっくりと、深く重なっていく。

それは確かに、彼らの中に“生命力”が力強く戻っていく音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。