森林サバイバル3日目 B班 風呂 ― “生命力の回復”
演習3日目の夜。
B班の面々は、魔力も体力もそのすべてを底まで使い果たしていた。今彼らを動かしているのは、強靭な意志などではない。ただ「まだ生きている」という、生々しく、泥臭い実感だけだった。
パチパチと爆ぜる無骨な焚き火の傍らで、はるなが命がけで倒した魔物の肉を、レンが手際よく焼いていく。香ばしい匂いと共に滴る脂が、夜の闇に白く煙った。
琉生と悠真は、言葉を交わす余裕すらなく、ただ無言でその肉を口へと運んでいた。
噛み締め、飲み込む。魔物の肉の濃厚な脂が喉を通り、胃へと落ちるたび、凍てついていた身体の奥底へと、じわじわと熱い「火」が戻ってくるのが分かった。
「……生き返る……」
レンが脂に塗れた唇を拭い、掠れた声で呟く。
「……なぁ」
琉生が自分の両手を見つめながら、驚きを隠せない様子で声を漏らした。
「これ……魔力、戻ってきてるよな……? 身体の底から、なんか湧いてくる感じがする……」
少し離れた場所で、はるなは自身の服にべっとりと付着した、魔物の赤黒い返り血を静かに布で拭い取っていた。
「生命力が戻れば、魔力も戻る」
はるなは感情の起伏を感じさせない、淡々とした声で応じる。
「森では、そういうもの。生きるために喰らう。喰らえば、力は還ってくる」
言葉とは裏腹に、はるなの衣服の下は限界をとうに迎えていた。
(手、力が入らない……)
布を握る指先を見つめる。
(硬い……思い通りに動かない……。うっ……)
衣服が擦れるだけで、肩の奥から鋭い激痛が走り、はるなは小さく息を詰めた。
――脳裏に、数時間前の死闘が鮮烈にフラッシュバックする。
(あの時、魔物が肩に齧りついていた……!)
おぞましい顎の感触。抉られる感覚。
(痛い。……冷たい。身体の芯から凍りついていくみたいに……)
視線を泳がせる。肉を焼いているレンを見る。
(レン……? 気がついてない? 私の、この状態に、見えてない……?)
ふと、自分の足元に目を落とす。ブーツの隙間、肉を透過して、己の白い骨が透けて見えているような錯覚。
(足、骨……?)
さらに、自分の両手を目の前にかざす。
(手が……消える……? 透けて、向こう側の景色が見えて……)
(うーー、ダメ。違う……しっかりして、私……!)
はるなは激しく押し寄せる幻覚と恐怖を振り払うように、強く、深く目を閉じた。
体内の冷気を吐き出すように息を吐き、再びゆっくりと目を開く。
そこには、いつも通りの、自分の確かな手があった。透けてなどいない。仲間たちのために血を流し、戦い抜いた、彼女自身の泥まみれの手だ。
その手を静かに下ろし、すぐ隣で静かに自分を気遣ってくれていた少年に、はるなは視線を向けた。
「……悠真、ありがとう」
短く、けれどその声には、彼女を現実に引き留めてくれたことへの、深い信頼と感謝が込められていた。
◇
はるなは静かに立ち上がった。
返り血と泥に汚れ、極限の疲労で今にも折れそうなほど細い背中が、そのまま迷いなく漆黒の夜闇が広がる河原の方へと進んでいく。
「は、はるな……どこ行くの……?」
悠真が心配そうに、その背中に向けて声をかけた。
「……風呂」
はるなは振り返りもせず、冷淡な、しかし確固たる意志の籠もった声で短く応じた。
「このまま汚れを放置して冷えれば、明日、身体が動かない」
────────────────
冷たい風が吹き抜ける闇の河原。
はるなは無言で手頃な石を次々と積み上げ、川の流水を器用に引き込み始めていた。少しずつ、大人が数人入れるほどの小さな浴槽の形が、河原の片隅に作られていく。
その驚くほど迷いのない手際に、後を追ってきた男三人は言葉を失っていた。
「……はるな、それ……本当に風呂を作ってるのか……?」
レンが呆気にとられたように、積まれた石の囲いを見つめる。
「うん」
はるなは短く頷き、最後に川の水を満たした。
「石で囲って、底に熱を通す。魔力は……さっき肉を食べて、少しだけ戻ってるから、自分で火を……」
「……なるほどな。合理的だ」
レンが小さく息を吐き、はるなを遮るようにその前に一歩進み出た。
「だったら、水を温めるのは俺がやる。お前は少しでも魔術回路を休ませておけ」
レンが石の囲いに向けて、静かに手をかざす。
じわじわと、石の底が赤みを帯びてゆっくりと温まり始め、冷たかった川の水が、またたく間に白い湯気を立てて心地よい熱湯へと変わっていった。冷たい夜気の中に、優しく、暖かな蒸気が広がっていく。
「……すげぇ……本当に風呂だ……」
琉生がその温もりを肌に感じ、感嘆の声を漏らす。
「……あの、これ、俺たちも……入っていいの……?」
悠真が少し気まずそうに、おずおずと尋ねた。
はるなは立ち上る湯気を見つめたまま、ただ淡告げた。
「入らないと、明日死ぬ」
◇
浴槽に湯が満ちたのを確認すると、はるなは一切の迷いなくその場で上衣を脱ぎ捨て、水浴び用の白い薄着姿になった。
その瞬間、背後にいた琉生と悠真の肩がピクリと同時に跳ねる。
極限の驚きと疲労、そして何より年相応の男子としての本能的な反応。二人は絵に描いたように慌てて、あさっての方向へと視線を逸らした。
「……お、おう……」
レンだけが、動揺を男のプライドで強引に押し殺し、不自然に喉を鳴らす。
「じゃ、湯が冷えないように石の周りに熱の刻印を打っとく。これでしばらくは温度が持つだろ」
「……あ、ご、ごめん、ちょっと、俺、あっち向いてるわ……」
琉生が真っ赤になってドギマギする横で、悠真は何かを決意したように拳を握りしめた。
「ぼ、僕も入る……!」
はるなは男子たちの動揺に気づいていないのか、それとも気づいていてあえて気にしていないのか。何事もない澄ました顔のまま、静かに温かい湯の中へと身体を沈めた。
「……あったかい……」
じわり、と肌の奥に熱が染み込んでいく。
(血が巡る……。これで明日も動ける。肩の痛みが引いていく……。ううぅ、それにしても、なんでこんなに気持ちいいの……)
────────────────
観念したレンと琉生も、泥と血に汚れた衣服を脱ぎ、下着姿になって次々と湯へ浸かった。遅れて悠真も、そっと湯船の端へ滑り込んでくる。
「……これ……天国かよ……」
レンが首まで湯に浸かり、歓喜の声を漏らす。
「……生きてる……」琉生は自分の腕を抱きしめ、噛み締めるように何度も繰り返した。「俺たち、生きてる……!」
「……ぼ、僕も……生き返る……」
(みんな入ってきた……。あったかい。身体が軽くなっていく……。でも、一気に眠気が……ダメ、あと少しだけ、起きてないと……)
はるなは強烈な睡魔と闘いながら、薄く目をあけた。
レンが静かに、はるなの隣へと腰を下ろす。
「はるなちゃん、よく風呂なんて気づいたな。思いつきもしなかったぜ」
「冷えた筋肉は、一度温めて休ませないと乳酸が抜けない」
はるなは湯気に顔を半分うずめながら、ぽつりぽつりと応じた。
「そうしないと……明日、歩けなくて、帰れない……から。……あと、さすがに、みんな少し臭う」
「……えっ、そんなに俺たちくさいか?……」
琉生が自分の脇のあたりを慌てて嗅ぐ。
「……ごめん、僕、自分の匂いすらもう分からないや……」
悠真が苦笑する。
「……匂いが分からなくなるくらい、俺たちの感覚が麻痺するほどヤバかったってことか……」
レンは夜空を見上げ、深く息を吐き出した。「あぁあ……本当に助かった」
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四人は並んで湯に浸かり、ただ静かに夜空を見上げていた。
暗闇の河原から、白い湯気が幾筋も立ち昇っていく。冷え切っていた彼らの肉体へ、確かな生命の血がなだれ込んでいく。
「……あと、一日だ」
レンの言葉に、全員の視線が引き締まる。
「……帰れるよな」と琉生。
「……絶対に、みんなで帰りたい」と悠真。
はるなは、湯水に濡れてぴったりと自分の身体に張り付いている薄着を、ふと見つめた。
(この服、肌に張り付いて……あ、なんか、急に気になり始めてきちゃった……ダメ。やっぱり少し恥ずかしい……。私、最後に出よう。みんな、先に出てくれないかな……。あぁ~……でも、本当に眠い……)
「帰る」
はるなは内心の気恥ずかしさを隠すように、少しだけ強い声で言った。
「四人で、絶対に」
湯気の向こうで、四人の乱れていた呼吸が、ゆっくりと、深く重なっていく。
それは確かに、彼らの中に“生命力”が力強く戻っていく音だった。




