森林サバイバル2日目 B班 死角からの“ジリジリ削り”
針葉樹の影がどこまでも濃くなる午後。その異変は、前触れもなく訪れた。
ザァッ! と風が木々を揺らした瞬間、光の届かない死角――ねじれた巨木の影から、不気味な輪郭を持った魔物が音もなく飛び出してきた。風の音に足音を合わせ、木の影に身を隠し、光の反射すら避けて動く。まるで、この鬱蒼とした森そのものが意思を持って牙を剥いてきたかのようだった。
「うあぁ、あううあ……っ」
すでに呂律の回らなくなっていた琉生が、反応すらできずにその場に崩れ落ちる。
「後ろ! はるな、右だ!」
レンが叫び、同時にその場に鋭い風の刃を奔らせるが、密集した硬い幹に阻まれて軌道が逸れる。
「……っ、木が邪魔……! 射線が、通らない……!」
はるなが即座に細剣を構えて踏み込むが、木々の密度が高すぎて、彼女の得意とする最短直線の刺突を繰り出す隙間がない。魔物は木々を縫うようにして、じわじわと4人の肉を削らんと距離を詰めてくる。
「どうすれば……!」
悠真が焦燥に駆られて手をかざすが、先ほどの魔力消費のせいで術式の展開が一歩遅れる。このまま狭い乱戦に持ち込まれれば、まともに動けない琉生と悠真から真っ先に餌食になるのは明白だった。
「……くそっ、このままじゃジリ貧で削られるだけだ……!」
レンの目が鋭く光る。視界の利かないこの遮蔽物だらけの地形で、確実に敵を止める唯一の手段。
「ちょっと派手なのいくぞ! ――『眠れ』!!」
レンの手が爆発的な黄色い光を纏うと同時に、彼らを中心とした半径三十メートル一帯へ、濃密な黄色い靄が一気に走り抜けた。視認できない敵をも強制的に無力化する、広域精神干渉魔法。
ガサガサッ、ドシン。
直後、周囲の繁みのあちこちから、複数の重い肉体が地面に倒れ伏す音が響いた。
「くそ……っ。視界に入ってない有象無象をまとめて眠らせるのは……骨が折れる……」
レンはその場に膝をつき、激しい魔力枯渇(ガス欠)による眩暈に襲われながらも、すぐ横で完全に意識を失っている琉生の姿を見て、一瞬で顔を青ざめさせた。
琉生のズボンの裾は、すでに文字通り『血みどろ』だった。レンの睡眠魔法の余波もあるだろうが、それ以上に、尋常ではない量の血が地面の落ち葉を黒く染めている。
「ぐっ……悠、真……!」
レンは悠真を呼ぼうとしたが、喉が完全に焼き付いたように拒絶反応を起こし、声が掠れて掠れてまともに出ない。己の限界を察したレンは、残されたなけなしの魔力をすべて絞り出し、最優先で琉生の脚の傷口へと注ぎ込んだ。じわじわと傷が塞がっていくのを見届けた瞬間、レン自身も糸が切れたようにその場へ倒れ込んだ。
「レン! 琉生! ――はるな、敵の息の根を止めるぞ!」
辛うじて意識を保っていた悠真が、掠れる声を振り絞ってはるなに指示を出す。
「……うん」
はるなは深く息を吐きながら、睡眠魔法によって深い眠りに落ち、無防備に転がっている魔物たちの元へと静かに歩を進めた。音が鳴った方向の繁みを的確に見定め、その眉間へと、容赦なく細剣の切っ先を突き立てていく――。
◇
夕方。標高の上がった山林は急激に気温を下げ、吹き抜ける風が容赦なく体温を奪っていく。負傷し、魔力を削られ、重い疲労がのしかかるB班に、終わりの始まりを告げる冷気がまとわりついていた。
「……これ、風走りトカゲか」
繁みの奥で、悠真が倒れた魔物を見下ろしながら呟いた。
「二人が来ない……」
トカゲの息の根を止めていたはるなが、ふと振り返り、冷たい風の音だけが響く静寂に眉をひそめる。
「……風走りトカゲ。ただのトカゲが環境で変性したっていう魔物だ。死んでも霧散しない……」
悠真は息を荒くしながら死体を観察していたが、はるなの声はどこか切迫していた。
「ねえ! 二人が来ないよ!」
「え? はるなちゃん?」
ようやく悠真が顔を上げる。
「何かあったのかも。レン君はともかく、琉生君の様子がずっとおかしかった」
「戻ろう」
「ん」
二人は仕留めたトカゲの死体を残し、レンと琉生が倒れ込んだ場所へと急ぎ足で引き返した。
そして――視界が開けた瞬間、二人は息を呑んだ。
そこには、紙のように真っ白な顔で硬直している二人の姿があった。特に琉生の足元には、じっとりと赤黒い血の海が広がっている。
「琉生!」
悠真が遮二無二駆け寄り、自らの手を琉生にかざして治癒魔法を紡ごうとする。しかし、すでに底を突きかけていた魔力を強引に絞り出した代償は重かった。術式が完成する途中で、悠真は糸が切れたようにその場へ倒れ込んでしまう。
「悠真君!? ……レン君、琉生君、みんな……っ」
はるなの脳裏に『失格』『落第』という最悪の二文字が過った。
いやだ。それだけは拒絶する。振り払うように強く首を横に振ると、彼女はまず悠真の元へ膝をついた。
「(これは、魔力切れ……少しだけ呼吸を楽にして……)」
はるなは悠真の体を優しく抱きかかえ、息が詰まらないように楽な姿勢で横たわらせる。
すぐに、本命である琉生の側へと這うように移動した。
「(ひどい出血……何が起きたの? ごめんなさい、琉生君)」
はるなは短剣を抜き払い、琉生の血に染まったズボンの裾を躊躇なく切り裂いて出血元を探した。
露わになった脛とふくらはぎには、無数の小さな噛み傷のような痕がある。レンが最後に施した治療のおかげか、辛うじて出血自体は止まっているようだった。だが、失った血が多すぎる。琉生の呼吸は浅く、閉じた瞼が小刻みに震えていた。
「(だめ……これ、もっと深い治癒魔法じゃないと。でも、私には使えない。どうしよう、このままだと死んじゃう……!)」
はるなの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。自分の無力さが、悔しくてたまらなかった。
「う、、、っく」
その時、泥を舐めるようにしてレンが薄気味悪い呻き声を上げ、頭を手で叩きながら執念で起き上がった。
「はるなちゃん、ちょっと、どいて」
「っ……!」
はるなはビクッと肩を跳ね上げ、素直に体を引いた。
レンは全身から限界を超えた緑色の魔力を輝かせ、残された全霊の力を込めて琉生の体に触れる。まばゆい緑の光が琉生を包み込んでいくにつれ、死人のようだった彼の顔色に、少しずつ生気が戻り始めた。
「っはぁ……!」
術式を終えたレンは肩で激しく息をしながら、はるなの肩にぽんと手を置いて体重を預けてきた。
「すまん、ちょっと、肩貸してくれ……」
はるなは、肩に置かれたレンの手が滑り落ちてしまわないようにグッと体幹を立て、その大きな手に自分の手を重ねて支えた。
「大丈夫……?」
「悪い、魔力切れの、ひどい目眩(酔い)だ。……でも、もう大丈夫」
レンはゆっくりと呼吸を整え、泥を払って立ち上がった。
「しっかし……どうするよ、これ」
動けるのは、魔力の枯渇したレン、同じく魔力切れの悠真、大失血の琉生。実質的に戦えるのは、はるな一人しか残されていない。
はるなは静かに立ち上がった。
先ほどまでの涙は完全に乾いていた。その目はひどく冷たく、深く、底の見えない呼吸を繰り返している。
「……射線を通すために、“面”を作る。行ってくる」
「面……?」
レンが訝しげに眉をひそめる。
「森を“切り開く”。遮蔽物があるから、魔物が来ても反応が遅れる。木が邪魔。――だから、全部倒す」
はるなが細剣を、今度は両手で真っ直ぐに構えた。
その細い刃に、これまで見せたことのないような、網膜を焼くほどの激しい光が宿る。圧倒的な魔力の高まりに、周囲の寒冷な空気がビリビリと爆音を立てて震え始めた――。




