森林サバイバル2日目 B班 ヒルヒルひり付く痛くない痛みと魔物の匂い
二日目の朝。高所ルートを選択したB班のキャンプ地に、朝の光が斜めに差し込む。レンが真っ先に目を覚まし、続いて起きてきた琉生が用を足しに少し離れた繁みへと歩いていった。
だが次の瞬間、朝の静寂を破る不快な呻き声が上がった。
「くっ、なんだこれ……! 何か嫌な感覚があると思ったら……」
レンが自分の足首を見て、顔を歪めていた。
「あ、レンもか? これ、一体なんなんだろ。くそっ、張り付いていて全然取れない!」
繁みの向こうから戻ってきた琉生も、自分のズボンをまくり上げて悪態をつく。
「解らん。痛くはないが、べったりと吸い付いていて気持ち悪いな」
「うん、どうすればいいんだ?」
「力任せに剥ぎ取るか……。うわ、ぬめってて気持ち悪いな。指にまでくっつきやがる」
レンが自分の脚にへばり付く、小指ほどの大きさをした赤黒くぬめった生き物を掴み、強引に引き剥がそうとした――その瞬間、鋭い激痛が走った。
「いてぇっ!? 触ったとたん、急に痛みが……ッ、痛え……くっそ!」
噛みつかれたような痛みに耐えかね、レンは思わず手をかざして手のひらに火魔法の種火を起こす。焼き殺そうとしたが、しばらく経って(待て、下手に焼くより凍結させて麻痺させるべきか?)と術式を切り替えようとしたとき、背後から緊迫した悠真の声が飛んできた。
「レン! 何しようとしてる!? なんでそんなところで魔法を!」
「いてぇんだよ! こいつら、早く引き剥がしてぇ!」
苛立つレンが凍結魔法をそのまま脚の生物にぶつけようとしたのを、悠真が間一慌て(間一髪)で飛び込んできてその手首を掴み、止めた。
「待て、そいつはヒルだ! 氷じゃダメだ。あ、違う、火でもない!」
レンは器用にも凍結から再び火焔魔法へと術式を切り替えようとしていたが、悠真は必死にそれを制する。
「ゆうまぁ、俺の方もヤバい! これどうすればいいんだよ~!」
琉生が半泣きで情けない声を上げた。
「ヒルを安全に剥がすには、塩か酒だ! レン、琉生、塩は出せるか? 持ってきた荷物の中に、調味料の類でもいい!」
「塩? 酒? そんなもん演習用の荷物にあるわけねぇだろ……! あーくそ、痛い! マジで痛くなってきた!」
「分かった、ちょっと待ってろ……!」
悠真はレンの側に膝をつくと、張り付くヒルの真上で、ぐっと己の手を握り込んだ。
集中する悠真の手の隙間から、淡く白い靄が吐き出される。彼が握りこんだ手のひらから、パラパラと真っ白な粉状の物質が零れ落ち、レンの脚に群がるヒルへと降りかかった。
塩化ナトリウムの直撃を受けたヒルたちは、みるみるうちに激しく悶えだし、ポロポロとレンの肌から剥がれ落ちて乾いた地面へと転がっていった。
「琉生も、こっちに来い!」
悠真は息を荒くしながら琉生を呼び寄せ、同様に手から零れ落ちる白い粉を振りかける。琉生の脚からも、不気味な吸血生物が次々と剥がれ落ちていった。
「はぁ……はぁ……っ。演習用に、魔法で作れる『物質』は極力魔法で補うって決めて、塩の構成術式を習得しておいてよかった……」
両膝を地面につき、悠真が額の汗を拭う。物質を無から構築する魔法は、想像以上に彼の魔力を削り取っていた。
「すまん、悠真。助かった」
レンはすぐさま血の滴る自らの脚に、じわじわと肉を癒やす治癒魔法をかけながら、苦い顔で悠真に頭を下げた。
「本当に、悠真ありがとう。マジで助かったよ……」
不快なトラブルをなんとか処理し、全員が安堵の息を吐き出そうとした――その瞬間だった。
唐突に、森の奥から『ギィイイン!』と、硬質な金属音が鋭く鳴り響いた。
レンの目の色が変わる。即座に鋭い探知魔法を周囲へと飛ばした。
「……あっちだ! はるなが何かと戦ってる。魔物だ!」
琉生と悠真がハッとして立ち上がろうとする。しかし、魔力を急激に消費した悠真は、視界を火花が散ったように歪ませ、ふらりとその場に蹲ってしまった。
「ごめん……ちょっと、急に頭が、立てない……」
「レン、どうする!?」
琉生が焦った声を上げる。
「ちっ、琉生はここで悠真を見ててくれ! 俺ははるなの方に行く!」
「分かった!」
レンは自らの脚に身体強化魔法をかけると、激しい金属音が響き続ける方向へと弾かれたように走り去っていった。
――キィイイン! ギィイイン!
鋭い剣鳴が木霊する場所にレンが飛び出すと、そこでは、はるなが細剣を手に、獰猛に飛び掛かってくる魔物を容赦なく串刺しにしているところだった。
すでに足元には2体。そして今、最後の1体の眉間を正確に貫いたはるなは、小さく肩を上下させて激しい息を吐き出していた。
「ふー……ふー……」
「はるな、大丈夫(丈夫)か!?」
レンは駆け寄りながら、すかさず彼女の身体に淡いグリーンの治癒魔法の光を放った。
はるなは、少しだけ肩の力を抜いてレンを振り返る。目尻に涙の跡らしきものがあったが、レンは気づかない。
「レン、ありがとう。大丈夫、かすり傷……3匹、仕留めた」
「みたいだな。手際がいい」
レンは足元に転がる、硬い外殻を持った3体のトカゲのような魔物の死体を冷徹な目で見下ろした。
そこへ、息を切らせた琉生が、悠真をその頑丈な肩で担ぎ上げるようにして現れた。
「お、もう終わったのか!?」
「はるなちゃんが全部片付けてくれた。怪我もない」
レンが答えると、琉生はホッとしたように笑った。
「やるねぇ! ――悠真、まだ立てないか?」
「……うん、ごめん。もう少しだけ、魔力が戻れば……」
担がれた悠真が消え入るような声で謝る。
「悠真、どうしたの?」
はるなが細剣の血を払いながら、不思議そうに尋ねた。
「俺と琉生が朝一でヒルに食われてな。悠真がそれを剥がすために、無理して無から塩を構築する魔法を使ったんだ。その魔力酔いだよ」
「そ。じゃあ、今はひとまず全員無事?」
「ま、俺は治癒魔法をかけたしな。問題ない」
「俺もピンピンしてるよ、大丈夫!」
琉生が悠真を支えながら、快活に白い歯を見せる。
――だが、琉生のそのズボンの裾に、じわじわと不気味な黒赤い血の染みが広がり始めていることに、この時はまだ、誰も気づいていなかった。ヒルの唾液に含まれる「血を固まらせない成分」のせいで、彼の傷口からは今も出血が続いているのだ。
レンとはるなは、周囲にこれ以上の魔物の気配がないことを確認した後、へたり込んでいる悠真の魔力が回復して動けるようになるまで、その場でしばしの休息をとることにした。
しばらくして、悠真が大きく深呼吸をすると、自力でしっかりと地面を踏み締めた。
「……いける。行こう。みんな、待たせてごめん」
悠真の声に引きずられるようにして、他の3人も立ち上がり、再び歩き出す。
その歩き出し、琉生が踏み出した靴の裏が、地面の枯れ葉にうっすらと赤い血の跡を残していったが――やはり、誰もそれに目を留めることはなかった。
ひとまずのチェックポイントに班印の石を置き、ノルマを果たしたB班は、そのままさらに上方の斜面へと足を進めていた。
標高が上がるにつれ、森の表情は険しくなっていく。針葉樹の鬱蒼とした森は昼前だというのに薄暗く、冷たい風がパサついた枝を擦り合わせる陰鬱な音が絶え間なく響いていた。
低地で聞こえていた賑やかな鳥の声は完全に途絶え、代わりに耳が痛くなるほどの“沈黙”が、重く森を満たしていく。
「……音が、少ないな」
先頭を行く悠真が、周囲を警戒しながら息を潜めて呟いた。
「うん。何かが潜んでいる気配がする」
はるなは淡々と、しかし細剣の柄にそっと手をかけながら同意する。
「な、なんだよ二人して脅かすなよ。……ところでさっきから、耳の奥で羽虫が鳴いてるみたいな音? それになんていうか……」
琉生が緊張を誤魔化したように笑いながら、フラっと肩を落とす。
「何もないならいいが……さっきのトカゲのこともある。慎重に行こう」
レンが冷静に釘を刺し、注意深く周囲に視線を走らせる。
だが、琉生にはそれが、まるで水の中で話を聞いているようなくぐもった音にしか聞こえていなかった。
「ええん、あにぃってる。わあんらん」
小さなその声は誰に拾われることもなく、三人は不気味な森の気配に警戒を続けていた。
はるなの呼吸は深く安定しているが、魔力を消費した悠真の呼吸はまだ少し浅い。
冷たい山風が木々を大きく揺らすたび、薄暗い森のあちこちで複雑な影が蠢き、まるで無数の怪物が息を潜めて彼らを覗き込んでいるかのように見えた。
(……嫌な静けさだ。何かがおかしい……)
悠真は胸の奥をキリキリと締め付けるような不吉な予感に、ただ内心で唇を噛み締めていた。




