森林サバイバル2日目 演習場麓のロッジ
二日目の朝、演習場の麓。
カァン、カァン、と高く小気味よい音が、原生林の重い空気に吸い込まれていく。光はロッジの前で手際よく薪を割りながら、ふと手を止めて静まり返る山を見上げた。
「初日はなんとか、ってところかな……」
ポツリと呟いた後、視線を落とす。そこにはまだ山のように積まれた未処理の薪の束。光は分かりやすく大きなため息をつくと、再び斧を振り下ろした。
同じ頃、ロッジの中では陽子が朝食の支度を終え、手元の古い羊皮紙の地図に魔力を注ぎ込んでいた。組織に提出するための記録用ではない。完全に秘匿化された彼女独自の探知魔法が、山中に散った一年生たちの微弱な魔力波形を捉えていく。
陽子は細い指先で羽ペンを走らせ、生徒たちの現在地を地図へ書き込んでいった。
「へえ……今度たちの班は、もうチェックポイントの側ね。完全に位置を固定しているわ。何かそれなりの資源でも手に入れたのかしら」
トントン、とペン先で地図を叩き、次の波形に視線を移す。
「守屋の班も位置固定? ……でもそこって、川からもそんなに近くないはずだけど。様子見かしらね。それとも、単に不整地に慣れていなくて動けないだけ? 後で念入りに衛生チェックが必要かもしれないわね」
陽子はカルテの余白に小さくメモを書き加える。そして、最後に残った一つの灯りに目を留めた。
「水理の班は、随分と行儀よく位置取りしているわね。……そうか、あそこにはニーコスがいるのね。“森の人”か。――よし、ひとまず各班とも、チェックポイントの経過は良好っと」
パタン、とインクを乾かした地図を閉じたタイミングで、バタンと勢いよく木製の扉が開いた。
「終わったぞー」
肩に大きな木屑をつけた光が、いかにも労働の後といった様子でロッジへ入ってくる。
「あいつら、もう動き出してるか?」
「ええ、それぞれって感じよ」
陽子は振り返り、淹れたてのハーブティーを机に置いた。
「人員が多いと、こうも動きに色が出るものなのね。私の時の演習は一班しかなかったから、当事者としてはよくわからなかったけれど」
「そりゃそうだろ。今回は班ごとの特性がモロに出てるからな」
光は上着を脱ぎながら、薪ストーブの傍へ腰かける。
「それに、やっぱ『他班との協力禁止』って縛りが効いてる。これがルールになかったら、あいつら今頃一箇所に集まって、ぬくぬくと合同キャンプでも始めてたんだろうよ」
「光さんの時も、やっぱり別々だったの?」
「ああ。二班あったが、完全に別行動だった。とはいえ、結局やることは木の実やキノコの採集、魚釣り、水の確保だろ? 動線は違っても、やってた泥臭い作業は全部同じだったよ」
「そうよね……。結局はそこに行き着くわよね」
陽子は若き日の自分たちの泥仕合を思い出したのか、ふっと目を細めた。
「よし、飯いただくよ」
「どうぞ」
窓から差し込む朝の光の中に、少し冷めたパンと芳醇なバターの香りがふわりと広がっていく。光が美味そうにパンを頬張る姿を、陽子は品定めするような視線で見つめていた。
「んー……ねえ光さん。顔の艶、昨日より良くない?」
「んあぁ?」
口の中のパンを強引に喉へと流し込み、光がボケッと聞き返す。
「そうか? そうかもしれんな」
「ふうん。……真智に言ってもいい?」
「……何をだよ」
「構築系の魔法を無駄遣いして、何やらお肌が艶々になるようなことしてるって。朝から、みょーにさっぱりしてて怪しいって」
光の動きがピタリと止まった。
「……おい陽子、それ、言い方に相当な悪意が混じってないか?」
「じゃあ、真相を語って?」
陽子は意地悪く微笑み、机に肘をついて顔を近づける。
「……はぁ、お前って奴は……」
光は観念したように肩を落とすと、一度自分の部屋に戻り、片手で持てる程度の金属製の筒状の道具を持ってきた。
「ほら、こいつだよ。ちょっと魔力通してみろ」
陽子は怪訝そうな顔をしながらも、渡された筒にそっと自分の魔力を流し込んでみる。すると、筒の先から、驚くほど心地よい、湿り気を帯びた温かい風がふわっと吹き出してきた。
「これって……あ、あれ。なんか、すごく気持ちいい……」
陽子は思わず筒から出る湿温風に顔を寄せ、猫のように目を細めた。原生林の冷気で強張っていた肌が、みるみるうちに潤い、解きほぐされていく。
「だろ? 暇だったから、手元にある端材で『湿温風機』を作ってみたんだよ。寝る前と起きてから使うと、肌の突っ張り感が全然違うんだ」
ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす光に、陽子は温風を浴びたままジト目を向けた。
「……こういう器用な道具で、女の子を釣るのって狡いと思うのだけど?」
「釣られるのはお前くらいだよ、まったく。実用的な美顔器だろ」
「じゃあ、真智は? 真智にもこれ、作ったの?」
陽子が何気なく投げかけた問いに、光は一瞬だけ口を回すのを止めた。
「あいつは、なんか外せない用事があるって言ってな。今回は最初から来られないって言ってたんだよ」
「用事? ……でも、だったら何で私が教官に? 急な代役なら、他にも適任はいたでしょうに、例えばカナリアとか相変わらず暇そうにしてたし」
「はぁ……。本当に何も聞いてないんだな、その反応だと」
光は大きく息を吐き出し、目をぎゅっと瞑って、困ったように眉間に手を当てた。
「ま、しゃあないか。隠すようなことでもないし、話すよ」
陽子は筒の温風を顔に当て、うっとりと目を細めたまま彼の言葉を待つ。
「真智が『お前を指名しろ』って、直々に言ってきたんだよ」
「ッ!?」
陽子の手がピタリと止まる。湿温風を浴びて赤みの差していた頬から、一気に緊張が走った。
「……なんで、私が?」
「そこまでは知らん。ただ、この演習の教官はここんところ俺とあいつの恒例だったからな。『今回も一緒にやるか?』って事前に聞いたら、『外せない用事があるから、陽子にして』って頼まれたんだ。理由はこっちが聞きたいくらいだよ」
「ふーん……」
陽子は筒の魔力を止め、ゆっくりと光のすぐ側へと歩み寄った。半径0.5メートルの境界線を、彼女自身が容易く踏み越えていく。
「ちょ、ちょっと待て! お前から近づいておいて、至近距離から魔法ぶっ放すのだけは無しだぞ!?」
光があからさまに身を引いて、両手を前に出す。
「何を?」
陽子は逃げる光の顔を、冷ややかな、けれどどこか湿度を含んだ瞳で、じっと上目遣いに見上げた。
「……いや、撃ってこないならいいわ。うん、この話は終わりだ。終わり!」
光は逃げるように食卓の片付けを始める。
「そ。じゃあ、この演習が終わったら――」
陽子はそれ以上追及せず、すっと光から距離を置くと、何事もなかったかのように再び羊皮紙に向かって短い探知魔法を飛ばし始めた。仕事の顔に戻るその切り替えは、恐ろしいほど早かった。
「……ふぅ」
残された光は深く一息吐き、自分の身体に風の刃の切り傷や、氷結、火傷の術式が仕込まれていないか、念入りに全身を手で触って確かめた。どうやら本当に何もされていないことが分かると、心底安心したように肩の力を抜く。
「……で、何が終わったらなんだよ?」
光の問いかけに対し、陽子はすでに完全に集中力を仕事へと向けており、答える気配はなかった。
光はもう一度だけため息をつくと、この演習のためにロッジの防壁として仕掛けた構築魔法の術式が、夜間の湿気で狂っていないかを点検するため、バタバタと裏手へと動き始めた。




