森林サバイバル2日目 A班 ミナトの泥仕合
ミナトの魔力供給を受けたニーコスが、爆発的な速度で森の奥へと駆け抜けていく。その身のこなしは、もはや走っているというより、風に揺られる森の影そのものが移動しているかのように軽やかだった。
「……速っ……! マジかよ、目で追うのがやっとだぜ……」
ランドが呆然と口を開け、彼女が消え去った繁みを見つめて呟く。
「森の人って、こんなに凄かったんだ……」
さやかもまた、その圧倒的な身体能力の片鱗に心底圧倒されたように息を漏らしていた。
二人が見惚れている横で、ミナトは、周囲の地形を鋭い目で見渡していた。資源の枯渇という不測の事態に対し、即座に「破綻しないための撤退戦」を現場の状況から組み上げていく。
「ランド、あの太い倒木を起点にして『第一退避路』を設定する。何かあったらあそこへ逃げ込め。さやか、光の印をあそこへ二つ追加して。ニーコスが迷わず全力で戻ってこられるように、帰還ルートを完全な『一本道』にするんだ」
「了解!」
ランドがすぐさま背嚢を揺らして指定された倒木へと動く。
「分かった、すぐやる!」
さやかも焦りを集中力に変え、手際よく術式を展開して光の印を刻み始めた。
指示を出し終えたミナトは、足元の湿った土を少しだけ指先で掬い取り、鼻先に近づけてその匂いを嗅いだ。
(……昨日より一段と湿度が高いな。粘土質の土が水を抱え込んでいる。これだけ水分を含んでいると、この標高では夜間に急激に気温が落ちるはずだ。防寒装備の薄い今の俺たちでは、ここで夜を明かすのはリスクが高すぎる。……計算通り、今日のチェックポイントを踏んだら、すぐに昨日の低地まで戻るべきだな。ん?なんだランドなぜ手を振る?さやか、なんで俺を見つめているんだ?……)
「ランド!、そこでいい、助かる!」
「さやか、うまいうまい!良く見えるよ!」
(二人が満面の笑みでこっちに戻ってくる……世話が焼けるぜ、だが、何だ?中断されたが悪くない……改めてノートに目を落とす)
現場の生のデータと状況を照らし合わせている。
(合っているな。うん。)
次の瞬間、繁みが小さく揺れ、音もなくニーコスが姿を現した。その呼吸は風の加護によって信じられないほど軽いままだった。彼女の胸元には、大量の野生の木の実や、土のついた根菜、そして傘の締まった小さなキノコがどっさりと抱えられている。
「……あったよ。森の“影”になっている斜面の裏側に、少しだけ溜まってた」
ニーコスは得意げに、けれど平然とした顔でそれらを差し出した。
「すげぇ……! 本当に獲ってきやがった!」
ランドが歓声を上げて相好を崩す。
「ニーコス、ありがとう……! 本当に助かったよ!」
さやかも張り詰めていた緊張を解き、破顔した。
「……ありがとう、助かったよ。それに、怪我もなさそうで、よかった」
ようやく安堵できた。思わず微笑を浮かべる。
「ミナトの魔法、凄かったよ、あんなに感じたの初めて」
ニーコスが上目遣いで、ミナトを見て言う。
(ん?なんだそれどういう意味だ?)
「ニーコスちゃん?」
さやかが不安げに聞いている。
さやかの方に振り向いて、ニーコスは目を見開いて、耳をぴんぴんに伸ばした。
「風が風がね、前から来ないの、ずっと横に感じるの、あんなの初めてだった」
ニーコスは興奮気味に話す。
(そういう意味か、いやどういう意味だ?風を横に感じる?確か空気抵抗を減らす効果もつけたが……。
いや分からん、が、ここは押す!状況を共有する言葉は大事だ!ここで、今を示す!)
「これで今日の食料ラインはクリアだ。僕たちの“戻れる形”は完全に維持された」
(ドヤッ、完璧な言語化だ、大人すぎずかといって幼くもない。分りやすい言葉、維持ってこういうときに使うんだよ分かるか君たち?)
「だってよ、すぐにビューンって見えなくなったんだぜ?すごかったよ」
「うんうん、ほんとにニーコスちゃんがあっという間に見えなくなって、すぐに戻ってきてビックリだったよ」
「だってね、風がね、感じるの、ちがうのよ!」
(ドヤ?……。だれも聞いてない、聞いてない。いや言うまい。くそっ、次はもっと感情を混ぜればいいのか?俺ももう少し注目され……。ここまでだ、これ以上考えない。悲しくなる。)
ミナトの即座の戦術転換と、それに応えたニーコスの規格外の野生能力によって、A班は最初の致命傷になり得た「補給線の崩壊」を見事に回避してみせたのだった。
そのまま予定通りに斜面を登りきり、チェックポイントとなっている突き出た岩座に、班の識別印を刻んだ石をカチリと配置する。最低限のノルマは達成した。
ザァ……と、森の奥から冷たい風が吹き抜け、針葉樹の枝々をざわめかせる。
その遥か遠くの深い闇から、地響きのような獣の低い唸り声が微かに響いてきたが、補給の目処が立った安堵からか、ランドとさやかの耳には届いていないようだった。
「んー……」
ふと、さやかが足を止め、下腹部をさするようにして顔をしかめた。
「どした? さやか」
荷物をまとめ直していたランドが、お調子者らしいトーンで顔を覗き込む。
「なんか……ちょっと、お腹がおかしいかも……」
「あー、それ絶対さっきの木の実の食い過ぎだって。森の実は繊維がめちゃくちゃ強いらしいからな。胃袋がびっくりしてんじゃねぇの?」
「……そう、かな。かも……うん、ちょっと様子見るね」
さやかは苦笑いしながら歩き出す。
――だが、彼らはまだ気づいていない。
これがただの「食べすぎ」などではなく、この山林が持つ真の脅威の始まりであることを。
二日目の、本当の地獄の幕は――まだ、上がってすらいなかった。




