積土成山:初めての盛り上がり 夕暮れの石畳と、四人の境界線
冒険者協会の重い扉を背にすると、目の前には夕方の柔らかなオレンジ色に染まった広場が広がっていた。
行き交う学生たちの賑やかな声が、石畳に反射して耳に届く。
日中のうだるような熱気はまだ足元に残っているが、山を駆け下りてくる谷風が吹くたびに、肌が粟立つほど一気に空気が冷えていく。
そんな広場の片隅で、ミナトたちは許可証を受け取った勢いのまま、荷物の最終確認に入っていた。
「よし! 水袋よし! 予備の布よし! 俺、完璧!」
ランドがバキバキの身体で無理やり胸を張る。彼にとっての「完璧」は、とにかく最低限動ければいい、という野生的基準に見える。
(おい、ほんとにいいのか?近接前衛ではない俺には、確からしい指摘も突っ込みもできないが、何か違う、ということだけはわかる。気がする)
「私はね、お菓子持ってきた! こういうの、途中の休憩で絶対必要でしょ!」
さやかが風に揺れるスカートを軽く押さえながら、嬉しそうに小袋を掲げる。
まるで、これからピクニックにでも行くかのような無邪気さ。
「……お菓子は戦闘に使わない」
(しまった、冷たすぎたか?しかし、言わずにはいられないだろ?魔物狩りだぞ?下手するとケガするし……おい、そんな目で見るな……くっ)
「でも……まあ、帰りのエネルギー補給として食べる分には、いいと思う」
「でしょ? ミナトくんは分かってくれると思った!」
さやかが嬉しそうに微笑む。
ミナトに影のように寄り添うリーンが、すっと手元を伸ばしてミナトの魔石袋の紐を掴む。
「主様。魔石袋の紐が緩んでいます。締めますね」
「あ……ありがとう、助かる」
彼女の細い指先が、流れるような動作でミナトの腰元の紐を整える。
(いつも完璧だな、なんて安心感なんだ、ありがとうリーン、そうだ、持ってきたものをもう一度……
・近接用のナイフ。
・魔法の杖。
・その杖が万が一、戦闘中に損壊した時の予備の魔術指輪。
・水袋。
・止血にも、汗拭きにも、いざとなれば止血帯にも使える清潔な布。
・最悪の事態を想定した、高価な回復薬。
身に着けているものは?問題ないか?
・服:破れや、関節部分の擦れはなし。
・靴:底の割れはなし。紐は固く結ばれている。
・フード:破れはなく、いざとなれば深く被って視線を遮れる。
「生き残れる」そういう実感がわくな。
ん?リーン?見ている?……なんかわすれたっけか?あ、リーンの方は大丈夫なのか?)
「リーン? 槌は持った? 他に忘れ物はないか?」
「はい、こちらに」
リーンは袖口から、そっと小さな槌を覗かせた。
それは彼女にとって、敵を撲殺するための凶器というよりは、主の障害となるものを排除するための『道具』だった。その眼差しには、戦いに対する恐怖も高揚も、弄えも一切なかった。
「主様、地図はお持ちですか?」
「ある」
ミナトは胸ポケットを叩き、硬い紙の感触を確かめた。
「……ここに、新しい道が追記される」
「……ふふ。では、無事に戻れますね」
リーンが、本当に嬉しそうに、ふわっと小さく微笑んだ。
その微笑みは、さやかの無邪気な笑顔とは、全く質の違うものだった。
(リーンにとっての「戻れる」は、迷宮から帰還するという意味だけじゃないんだよな。俺の命を、生きてこの場所に繋ぎ止めるという、一種の執着だ。うん、執着、最近、しっくりと使えるようになった言葉だ、そして「戻れる」「回れる」は、俺のこだわりでもある。この絶大な安心感こそが、我が従者が凡百の者どもと違うことなのだぁ!……ごめん、リーン睨まないで)
「ミナト、悪い顔してますよ。ご学友の前でお控えください」
「はい……」
――少し離れた場所から、さやかとランドが、そんな俺たちのやり取りを黙って見つめていた。
「ねえねえ、ランドくん……」
さやかが、周囲の雑音に紛れるような小声で囁く。
「リーンちゃんって、さ……」
「お母さんだよな」
ランドがもっと小さな声で、これだろってな顔をして言った。
「ちょ……ぷっ、あはは! ダメだってば、そんなの……!」
さやかは堪えきれずに吹き出し、ランドの腕をぽかぽかと叩いた。
さやかはそうじゃないと感じていた、あれは、一種の『異常』じゃないのかなと。
自分が知っている一番近い言葉、違和感を感じながらも出しかかったその言葉を、ランドの男の子らしい単純で馬鹿げた一言おかげで、飲み込んでしまった。その「言葉」は、笑っているうちに忘れてしまっていた。
さやかには、ミナトとリーンの間にある、まるで生死の境の様な冷たく研ぎ澄まされた緊張感が、
――ランドが見せる等身大で温かく日常の延長線上にある自分にも身近なものと――違っているように感じられた。
けれど――そんなズレを抱えたまま、今、確実に同じ『迷宮の入り口』という方向へと向かおうとしていた。今、さやかには、ただ「一緒に行きたい」という熱量だけで十分だった。
夕方の風が強く吹き抜け、広場に残っていた夏の熱を、少しずつ、けれど確かに冷ましていった。




