堅忍不抜:ベイルスレイブの夏 限界の向こう側と、先輩たちの眼差し
――ピィィィィィッ!!!
訓練終了を告げる笛の音が、ついに演習場に鳴り響いた。
「そこまで! 全員、整列……は無理だな。よし、各自その場で休め!」
教官の言葉が終わるか終わらないかのうちに、生徒達は糸が切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。
演習場のそこかしこに、砂の上に倒れ込む一年生たちが散らばっていく。
荒い呼吸の音、喉を鳴らす呻き声、そして乾いた砂に落ちては一瞬で吸い込まれていく無数の汗の跡が現れる。
「っ……はぁ……っ……! でも……まだ……いけ、る……っ」
ランドは掠れ声でそう言いかけ――そのまま前のめりに、ずべしゃっと砂に顔を埋めた。
「ランド!?」
「……だ、大丈夫……。ちょっと、土の匂いを……嗅いでる……だけ……はぁ……うめぇ」
ミナトはその様子を見ている。
(何が旨いんだ?、こっちは呼吸ができないんだ、ウケを狙うな、全然大丈夫じゃない。途中でなげなかった、折れない心意気は本物だなッ)
「は……っ……はぁ……っ……!」
ランドの隣では、さやかが震える両手で砂を掴むようにして地面を押し、両手と膝で体を支えている。
膝を折り、背中を揺らしている。さやかの腕は時折ガクッとまがるが、地面に這いつくばることだけは拒否するように、再びまっすぐに戻り必死に身体を支え続けている。
(張りが有りながらも丸みを帯びたラインが見える。あ!、いやいや、わかる、きついよな、俺も息絶え絶えだ、ただ……汗で張り付いたシャツはなんとかしてほしい。困るだろ、いや、俺は困らないけど……いや、そういう意味じゃない!)
ミナトは、ふいっと周りを見回す。
「は、はぁ……っ……! す、すみません……! 僕、不甲斐なくて……っ!」
朔太郎が、かすれているが、絞り出すような声で言う。
「朔太郎、無理すんなって! 誰も怒ってねぇよ!」
「だ、大丈夫……です、から……っ!」
速く浅い呼吸を繰り返しながら、朔太郎は立ち上がろうと足をもがかせている。
「っ……はぁ……っ……! む、無理、死んじゃう……!」
桜都は倒れ込み、大の字で上を向き涙目で、吐き出すように言う。その目はしっかりと空をみあげて、声は力強い。
(構築系でも動ける体を作る気なんだな、気持ちの強い女子だな)
「……筋肉の、限界……。なんで、草の人はこんなに長く走れるの……」
少し離れた場所では、ニーコスが体育座り(三角座り)をしたまま、悔しげに指先で砂の上にぐるぐると文字を書き殴っていた。
草原の人間に、身体能力の『底の厚さ』で見劣りしたのがよほど悔しかったのだろう。小さな獣のように、尖った耳が不機嫌そうに伏せられている。
(耳ってそういう風に動くんだな、くそっ、息ができないのに、可愛いってやつは、どんな時でも現れるんだな)
「……っ……はぁ……っ……!」
そして――あの、底知れない体力を誇っていた陽葵や陽菜さえも、ついに膝をついていた。
滴る汗が、陽菜の顎のラインを伝って砂を濡らす。肩が大きく上下しているその姿を見て、周囲の男子たちが小さくざわめいた。
「……あの春日井でも、あそこまで追い詰められるのか……」
「いや、今日の教官は完全に殺しにきてただろ……」
ミナトは、両膝に手をつき、周りを見回しながら呼吸を整えていた。
(……これが……“乗り越える限界”の重さ、か……つばに血が混じってないか?気のせいか、その割に胸が痛い……走り込みも過ぎると、呼吸器も傷がつくんだな……)
(これって、筋肉の繊維ひとつひとつに酸素が足りないのか?熱で動かないのか?全身に力が入らん、熱い。筋トレとは違う熱……しかし、気持ちよさは変わらないな、知ってるぞ、この後、明日にでも清々しい気分が来るんだ)
――そんな一年生の様子を、演習場の端から見つめる二つの影があった。
「……おお、やるじゃん。今年の一年、なかなかに根性あるな」
腕を組み、ニカッと白い歯を見せて笑ったのは、2年目の上級生・大和先輩だ。
その視線は、砂に頭を埋めているランドに向けられている。
「特にあの青髪の前衛。フォームはめちゃくちゃだし無駄だらけだけど……絶対に折れねぇタイプだな。実戦で一番生き残るぞ、ああいう奴」
「うん。でも、あっちの二人も……最後まで走るのを止めなかったね」
隣に立つ2年目の芽依先輩が、陽菜を見つめて静かに微笑む。
「あの黒髪の子は……すごいね。体の使い方がとにかく綺麗。全くブレがないもの。相当鍛えられてる」
「へえ、芽依がそこまで褒めるのは珍しいな。……じゃあ、あっちの銀髪は?」
大和先輩の視線が、俺に移る。
「最後まで倒れなかったな。あいつ、派手さはないけど……芯がめちゃくちゃ強い」
「うん。“壊れない限界”をちゃんと目で見ながら調整できる子だね。自分を壊さずに限界を広げられるタイプ。ああいう子は、本当に伸びるよ」
二人の先輩としての確かな眼力。彼らもまた、この地獄を乗り越えてきたからこそ、俺たちの「本質」がよく見えているのだろう。
「おっ? よく見たら、あそこに珍しい耳がいるな……森人が混ざってるのか。でも、あいつ……」
大和先輩が、体育座りでいじけているニーコスを見て、からかうように肩をすくめた。
「すばしっこいのは認めるが、やっぱり体力がないな。森の奴らはこれだから――」
「それは、大和が『見たい形』で見てるだけだよ?」
芽依先輩が、ふっと悪戯っぽく微笑んで大和先輩の言葉を遮った。
「森の人のステップと瞬発力、あの短い距離での爆発力……まともに草原で対峙したら、一瞬で足元をすくわれるよ?」
「……っと。やばいやばい、また追跡者に刺されるとこだったわ」
大和先輩は苦笑いしながら頭を掻き、今度は声を張って、倒れ伏す俺たち一年生の方へと歩き出した。
「おーい、一年生! よくやったな! 今日のはさすがにキツかったろ!」
その気さくで大きな声に、みんながのろのろと顔を上げる。
「でもね、みんなちゃんと“乗り越える限界”のラインを踏んだよ。自分を誇っていいからね」
芽依先輩の、春風のように優しい声が、熱くなった俺たちの身体に染み渡っていく。
その言葉に、砂まみれになったランドが、さやかが、朔太郎が、桜都が――誰もが、泥臭く、けれどどこか嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
春の終わりの夕暮れの風が、その誇らしげな笑顔を、優しく優しく撫でていった。




