真誠自照:信じたい自分 強すぎる従者
宿舎の自室。
遠くの浴場から微かに響く水の音が、夜の静寂に溶け込んでいく。
谷底の夜は急激に冷え込む。昼間のあの生温かい空気はどこへやら、部屋の隅々から容赦なく体温を奪っていくような冷気が満ちていた。
ミナトの肩と背中には陽炎の様な揺らぎが昇っている。
「――っ、ふ、……っ!」
ひんやりとしたフローリングの床に両手を突き、黙々と腕立て伏せを繰り返していた。
(消えない、あの一撃の感触、やさしい接触だった、でも、それで全部持っていかれた)
(消えない、あの響き、笑い声、視線)
(ついて行かせる。頭と、身体の動きを合わせるんだ。反射で勝手に動くレベルまで、型を叩き込んで覚えさせる……っ!)
身体を上下させ、時に手で跳ね、手首を返し、手を交互に床につける。
(今日、レポート課題がでたな、確か……魔法体系に沿って自分の能力を整理しろ、とか何とか言っていた。難しいな、誰かのを参考に変えて……って参考にできるだれかって、友達いないな)
(誰に説明して、何を伝えたいか……。仲間に向けて、自分ができることを伝える。……で、いいのか?)
逆立ちをする。そのまま腕で立てをする。
(倒立腕立て伏せっていうんだろ、知ってるぜ、これを、毎晩、やれば、いつか、体が、ついて、くるぅ)
「主様、お帰りなさいませ。お疲れ様でございます」
不意に、背後の足先?から静かな声が降ってきた。
トントン、と小気味よい音を立てて、お盆に載った湯飲みが机に置かれる。
「本日は訓練に同伴できず、このリーンは少々拗ねております」
(……よりに、よって、この型、の、最中に、なんて、ことを、突っ込んで、くるんだ、うちの従者は、ああっ、リーンが横向きになる、ちがっ)
びくっと震えたあと、ゆっくりと、リーンを見ながらミナトは床に倒れこんだ。
「あ、」
ドサッ。
「っ……いてて」
無様に床に顔面を強打し、ミナトは呻いた。
「主様。そのように簡単に『焦点』を奪われるようでは、この先、リーンは一時も傍を離れられませんね」
「……はぁ……」
ミナトはため息をつきながら、顔についた床の埃を払い、頭をボリボリと掻きながら起き上がった。
つきものが取れたような顔をしている。
(リーン、拗ねてるとか、なんかさっきのいら立ちが、消えていく……どうでもいいってやつか)
「……なぁ、リーン。魔法体系に沿って、自分の能力を言語化しろって言われたんだ」
「それは、とても良い取り組みですね。主様の最も得意とされる『解説』の領域です」
「僕も最初、そう思ったんだ。だけど……考えているうちに、どうも違う気がしてきてさ」
「はい」
リーンは静かに先を促す。
「教官は『誰に説明するつもりでそれを書いたのか、それを書くことで相手に何を伝えたいと考えたのか』を面談で問う、って言ってた」
「はい」
「つまりさ、ただ『自分の能力はこうです』って、分かっているスペックを書くだけじゃダメなんだろ?」
「……はい、ダメですね」
「つまり、その先にいる誰かに『伝えたいこと』を書く必要がある」
「はい」
「……なるほどな」
ミナトは指を立てて、上下に振る。
(この感じ、はまってくる感じ、わかってくる、あと一個、其れで全部はまる)
「……主様は、一体『誰』に、『何』を伝えたいのですか?」
「……ん? そりゃあ、レポートを提出するんだから、教官に自分の能力を正確に伝え……ん?」
(あれ、イメージしてない事をしゃべってる気がする。でもイメージは? もっとこう、がっちり噛みあった感じのあれだ。でもあれって、どれ?)
「……教官? ですか?」
リーンが、椅子の横からじっと俺の目を覗き込んできた。
「……だって、成績をつけるのは教官だし、アピールするならそこだし……んんん?」
(えっ?教官に?まてまて、教官に僕の能力はこれです、どう?、いやいやいや、違うだろ、それでその先どうするんだ?褒めてもら……う?……?悪くない、いや、良くない!)
「……はい」
リーンはさらに顔を近づけ、じっと俺の目を、その心の奥底まで見透かすように見つめてくる。
「……あの、リーン。近いんだけど」
「すみません、つい。……それで、伝えたいお相手は、本当に教官なのですか?」
「……なのかなぁ……」
リーンは黙ったまま、射抜くような視線で俺を見つめ続けている。
(一体なんなんだ、この従者は。なんでこんなに俺の目を見る?
リーンは「誰に何を」という部分の変な感じを意識しているのはわかる、俺だってそこが引っかかっている。だが、だからといって、ここで「リーンに伝えたい」と答えるのは、違う、絶対に。
――いや、一回試してみるか?)
「……r」
「おそらく違います。ミナト、本当に分からないのですか?」
「え、まだ何も言ってないんだけど」
「口の形を見れば分かります。『リーンへ』と言おうとしましたね?」
(……この従者、強すぎるだろ)
(降参だ、降参、こりゃ、ダメだ。聞こう……あれ、いざ、聞こうと思うと言葉が出ない。えーっと……)
ミナトは首をグルグル回してから、リーンを見て軽く息を吸った。
「はい、その通りです。『リーンへ』って言いそうになりました。だって、本当に分からないんだから」
観念して白旗を振る俺を見て、リーンはふっと表情を和らげ、講義をするように指を立てた。
「ミナト。このレポート課題、リーンの見立てではポイントは三つあります」
「三つ?」
「はい。一つ、自分の力を言葉にすること。
二つ、その選んだ言葉の理由を、自分の口で説明できること。
そして三つ――『今、自分が見ている仲間が誰なのか』を知ること、です」
リーンは一度言葉を切ると、少しだけ自慢げに、その額の角を青白く光らせて胸を張った。
「『リーンへ』というのは、あながち間違いではないかもしれませんが……今の段階で、私を仲間として、改めて能力を説明する必要がどこにありますか? 主様以上に、私は主様のことを理解しておりますのに」
「……確かに。なんなら、俺より俺の魔法のこと知ってるもんな」
「ふふん。ですので、今の三つのポイントを参考に、もう一度考えてみてください、主様」
「……はい。一生懸命、考えてみます」
(仲間か、友達さえいないのに……)
リーンの圧倒的な説得力に押され、俺はいつの間にか、床の上で綺麗に正座して答えていた。




