一知半解:解説が妙に当たる 誘導の川、陥落の砦
演習場から場所を移し、案内された作戦室の机の上には、緻密に作られた戦場模型が広がっていた。
木や粘土で模された砦、流れる川、うねる丘、そして一本の街道。
木製の駒が配置されるだけで、そこが孕む戦術的な『規模』が立体的に浮き上がってくる。
部屋には古い羊皮紙とインクの匂いが濃く漂い、四角く角の揃った重厚な机が並んでいた。吸い込む空気そのものが、勝手にこちらの言葉を硬くさせるような、そんな静謐な場所だった。
ジン教官が、模型に作られた川を太い指先でなぞる。
「この川、何かにおわねーか?」
沈黙。誰も答えられない。
ただ、ジンが言った「におい」という言葉を物理的な意味で受け取ったのか、ランドが真面目な顔で鼻をひくひくさせている。それを見た隣のさやかが、おかしそうに小さく笑っていた。
俺は、その川の「形」をじっと見つめ、一拍置いてから口を開いた。
「……底が浅いです。一部、流れが極端に緩くなっている場所がある」
誰もが静まり返る中、俺の声だけが部屋に落ちる。
「兵が徒歩で渡れそうに見える。だからこそ、ここが敵の侵攻ルートとして使われる可能性があります」
ジンがニヤリと片方の口角を上げた。
「半分、当たりだ」
教官は川の浅瀬にぽんと赤い駒を置く。
「専門家が見れば一発で分かる。……だからこそ、防衛側はそこに罠を張って敵を誘導する。行きやすい場所、渡りやすいルートってのはな、最も罠を張りやすい場所でもある。戦術の典型だ」
周囲の生徒たちの視線が、一斉に俺に集まった。
だが、そこにあるのは「畏敬」ではない。「すごいな」という感心の前に、どこか冷ややかで、見下すような『軽さ』が混ざっている。
「……当てるだけのやつ(座学馬鹿)」
列のどこかから、聞こえるか聞こえないかほどの小声が鼓膜に届いた。
俺は表情一つ変えず、反応もしない。
ここで言い訳じみた反応をすれば、余計に彼らの認識は軽くなる。実戦の重さを知らない彼らにとって、頭脳労働なんてその程度の価値なのだ。
「じゃあ、次だ」
ジンは気にした風もなく、模型の中央にそびえ立つ砦を指差した。
「この頑強な砦を、『一発で詰める』方法がある。……分かるか?」
今度も、誰も答えない。
俺は模型の砦の『基礎』――地面と接する極小の継ぎ目に、じっと目を落とした。
先ほどの、ジンの見せた32層の魔法。完璧に計算され尽くした『構造』の檻。あれほどの構造美を維持するシステムなら、その一番下の「詰まり」を突けばどうなるか。
「……土台(基礎)を崩せば、一瞬で崩落します。どんなに壁が頑強でも、砦は砦の形のまま、自重で勝手に落ちる」
「簡単すぎたか? これは大正解だ」
ジンが楽しげに手を叩く。
だが、作戦室に笑い声は起きなかった。
「簡単に砦を落とせる」という事実の先にある、あまりにも冷酷な地獄の光景を、誰もが肌に刺さる冷気のように感じ始めていた。
「だがな」
ジンの目が、一瞬で獰猛な獣のそれに変わる。
「敵もバカじゃない。当然、その弱点には備えてくる。……戦術の中にはな、あえてその『分かりやすい基礎の弱点』を餌にして敵を誘い込み、砦ごと自壊させて、群がってきた軍勢を丸ごと巻き込んで壊滅させる方法だってある。
分かりやすい弱点ってやつは、裏を返せば、いくらでも敵を『誘導』できる最高の釣り針(罠)になるってことだ」
ジンは腕を組み、生徒たちを見渡した。
「じゃあどうするんだ、って話だよな。
お前ら、合同課程に進んだやつらには、二つの選択肢がある。
一つは、その化かし合いの『読み合いで勝つ』ことだ。相手に誘導されているのかどうかを読み勝ち、罠を看破する。読み勝てば、敵の罠はただの空振りに終わり、備えのない弱点を確実に潰せる。
そして、もう一つは――単純に『力で勝つ』ことだ」
ジンの視線が、俺や、ランドたちの前で止まる。
「お前らは、超級以上になれる可能性を持った素材だ。
超級ってのはな、常識を『超えている』から超級って言うんだよ。普通の奴らがどれだけ緻密な罠を張ろうが、どれだけ策を巡らせようが、そんなの関係なく、すべてを上から物理的に踏み潰せる。そういう存在だ」
ジンの言葉の重みに、生徒たちは唾を飲み込んだ。
午前中の『規模』、そして午後に見せつけられた『32層の聖級の制御』。あの理不尽なまでの圧倒的な力が頭をよぎる。
「だからこそ、未来の『被害』を読み違えるな」
最後に、ジンは短く、しかし教壇を強く叩いて言い放った。
「危険度は被害、位階は規模だ。
被害を測り、規模を当てる。――ほら、全員口に出せ。その頭と、喉に馴染ませろ」
生徒たちが一斉に、呪文のようにその基準を唱え始める。
俺もまた、その合唱に声を合わせながら、先ほどのジンの言葉を脳内で反芻していた。
(読み合いで勝つか、力で踏み潰すか。……僕には、後者の選択肢はない。なら、やるべきことは最初から決まっている)
自嘲気味な決意を胸の奥に沈め、俺は目の前の模型の、複雑に絡み合う等高線を静かに見つめ続けた。
皆が帰り支度を始め、作戦室からぞろぞろと帰路につく中。
俺が背を向けようとした瞬間、背後から低く、這いずるような声が鼓膜を打った。
「――ミナト。お前、俺を『倒すつもり』で読んでるな?」
心臓が、冷たく跳ねた。
振り返ると、ジン教官が机に寄りかかったまま、鋭く目をぎらつかせて俺を凝視していた。
「……倒すつもり、ではないです。ただ、その……」
「いや、解析しきったろ。お前以外にも何人か、俺の手元に解析魔術をかけてきた生意気な奴らがいたがな、そいつらの視線は全部けむに巻いてやった」
ジンは一歩、俺に歩み寄る。その巨大な体躯が、陽の落ちかけた室内に濃い影を落とす。
「だが、お前だけは見切った。答えてみろ、何層だ?」
嘘を言っても、この男には一瞬で見破られる。
俺は奥歯を噛み締め、観念して、その数字を口にした。
「……三十二層しか、見えませんでした」
「くっ、ははっ!」
ジンが、本当に愉快そうに、喉を鳴らして笑った。
「そうかそうか、三十二層まで見えたか! くっくっく……。おい、半分正解だ」
半分。
脳髄に、冷水を浴びせられたような衝撃が走る。
あの息の詰まるような三十二層の檻すら、この男にとっては『半分』に過ぎない。その上の深淵が、まだ倍近く残っているというのか。
「期待してるぞ、水理湊。悪かったな、引き止めちまって」
「いえ。……ジン教官の凄さが、少しでも理解できて良かったです」
俺は努めて冷静に一礼し、これ以上心臓の音を聞かれないよう、静かに作戦室を後にした。




