一知半解:解説が妙に当たる 超級以上の恐怖
午後。陽光は射しているものの、切り立った谷の合間に位置する演習場は、春先とは思えないほど冷たい風が吹き抜けていた。
凍える石床を踏みしめ、標的に向かって並ぶ。寒さのせいで、強く手を握り締めると指の節々が少し痛んだ。
並ぶ生徒たちの列は、乱れることがない。
谷の街の狭い路地で、人々が自然と衝突を避けて順番を作るように、ここでも暗黙のルールに従って整然とした列ができていた。
壇上に立つジン教官が、冷徹な視線で俺たちを見下ろす。
「魔法ってのはな、目的のために使え」
ジンの短い言葉が、風に乗って鋭く響く。
「派手さは、本質じゃない。どれだけ巨大な魔力を放とうが、当てるべき場所(当て所)を誤れば、効果は劇的に落ちる。……いいか、午前中の話を忘れるな。危険度は『被害』、位階は『規模』だ。被害を測り、規模を当てる。これを脳髄に叩き込め」
教官の言葉に、生徒たちが息を呑む。
今回は「触れるだけ」の出力体験だ。前列の生徒から順番に、極小規模の魔力を標的に通していく。
「見ておけ。これが、聖級以上ってやつだ」
ジンがおもむろに、虚空へ向けて手をかざした。
――ジジ……。
耳の奥を直接爪で引っ掻くような、不快なざらつきを伴う音が響いた。
静寂を切り裂くその音は、一度始まると止まらない。
ジジ……ジジ、ジジ、ジジジジジジジジジジジジ――!
不快な音の合唱。
そして音が鳴るたびに、ジンの足元の石床から、何かが這いずるように次々と湧き出してきた。
「わあ、かわいい……!」
「きゃあ、なにこれ!?」
最初は、女子生徒たちの呑気な歓声が上がった。
現れたのは、長い耳を持ち、両足でピョンピョンと跳ね回る、手のひらサイズの小さな「人形」たちだ。
だが、それを「生き物」と呼ぶ者は誰もいなかった。それは術式によって編まれた、無機質な泥と魔力の塊――明らかな『物』だった。
ジジジジジジジジジジジジジジ!
湧き出す音は、瞬く間に鼓膜を圧迫する大合唱へと膨れ上がる。
音すらも吸い込まれるほどの異常な密度。視界を埋め尽くすように、無数の人形たちが跳ね回り、演習場の床を埋め尽くしていく。
見上げた空すらも、飛び跳ねる人形で遮られるのではないか。そう錯覚するほどの質量を前にして、誰もが声を失った。
静まり返った俺たちの前で、床を埋め尽くした小型の人形たちが、カタカタカタと一斉に笑い声を上げる。
「これが、聖級規模の魔法だ」
ジンの指先が、ほんの数ミリだけ動いた。
刹那、山のように積み上がっていた人形の群れが一斉にうねり、まるで『陸上の津波』と化した。
それは凄まじい速度の波となって、俺たち生徒の足元へ押し寄せる。
「ひっ……!」
誰かが短い悲鳴をあげた。
だが、人形の波は、生徒たちが立つわずか十数センチメートルの隙間を、一糸乱れぬ統率で正確に駆け抜けていった。誰一人として、人形に触れられることすらない。
破壊を見せない。これほどの暴力的な質量を、完璧に手懐けてみせる『制御』の極致。
(……これが、敵として襲ってくる。あるいは、これが前線の日常なのか)
俺は奥歯を噛み締めた。
(もしこんなものに囲まれたら――『戻れる距離』が、一瞬で引き剥がされる。果てしなく遠くへ)
俺の瞬きが、完全に止まる。
見ているのは、跳ね回る人形の愛嬌でも、その圧倒的な数でもない。俺の視線は、演習場に引かれた『結界線』と、そこから人形が一匹たりとも外へ「こぼれない端」だけを追っていた。
境界線から、絶対に外へは出ない。
だからこそ、内側にいる者にとっては逃げ場が微塵もない。
完璧に崩れない形こそが、最も冷酷に、標的の退路を奪い去るのだ。
(内側は……どうなっている? なんだこれ、一体何層の魔法で構成されているんだ?)
脳内の演算領域を限界まで引き上げ、ジンの術式を解析しようと試みる。
俺の瞳の奥に、解析魔術の淡い紫の光が灯った。
しかし、ジンの展開する魔法の「膜」はあまりに深く、多重に重なりすぎていて、底が見えない。
(デカい……いや、深い。そして、恐ろしい。これと対抗しろというのか、俺たちは。
一、二、三、四……三十二。――三十二層!?
今の俺が、必死に頭を回して維持できるのはせいぜい三層が限界だ。なのに、この人は三十二層もの多重構築を、眉ひとつ動かさずに完全に成り立たせている……!)
その瞬間、俺の喉が、ヒュッと引き攣った音を立てた。
胃の奥からせり上がってくる、酸っぱい嘔吐感を必死に噛み殺す。
見せつけられているのは「綺麗な制御」などではない。
もし、ジン教官がこの指先をあと一ミリでも傾ければ。ほんの少し、魔力の流速を乱しさえすれば。
この何万、何十万という泥の人形は、今この瞬間にも牙を剥き、俺たちの鼻腔や鼓膜に一斉に潜り込み、内側から肉を食い破って、一瞬で消滅させるだけの「質量」そのものなのだ。
そっと首筋に硬いものが当たる感触を感じる。
今、俺は、巨大なギロチンの刃の真下に首を置き、その刃を吊るす極細のワイヤーの強度を「美しい」と眺めている。あの壇上の男がふとしたことで、一瞬にしてこの首は飛び、心臓を握りつぶされる。今、首に刃があてがわれ、心臓を直接、ぶ厚い冷たい手で鷲掴みにされている。握り潰すか、それともただ弄んで解放するかは、向こうの気まぐれだ。隙間なく動き回る人形達が、動くことさえ許さない。
この圧倒的な「塵ごみを捨てる程度の感覚で処理される無力感」に、体が感じる重力の感覚がなくなっていく。
「これが、聖級規模の魔法だ……」
ジンの指が、今度は大きく横に払われた。
人形の群れが、一瞬でその物理的な『形』を変える。
高さ八メートル、底面直径四メートル。
巨大な逆三角錐の形を保ったまま、人形たちはピタリと空中で静止した。
さらにジンの指が動くと、今度は小さな四角形(矩形)をいくつも作り出し、その頂点同士を緻密に噛み合わせることで、格子状の巨大な防壁を形成してみせた。
結界線の内側だけで激しく波打ちながら、外へは一滴の魔力も、一匹の人形もこぼさない。
まさに、魔法の『成立』における絶対的な見本。
一見すれば派手さはない。だが、そこには一切の「淀み」も「詰まり」も存在しなかった。
俺はただ、その完璧な術式の檻の中で、冷や汗が背中を伝い落ちるのを、黙って耐えることしかできなかった。




