神銀の魔神 見える文字、ミナトの一歩
突如として校内へ響き渡った爆音と、地を揺らす不気味な地鳴り。
明らかに異常な魔力の波動に引き寄せられるように、ミナトとリーンは特訓を行っていた演習場を飛び出し、教練棟の前へと駆け出していた。
そこで二人の視界に飛び込んできたのは――信じがたい光景だった。
無数の漆黒の立方体が天を覆い尽くし、黒い津波となって波打ちながら立ち上がり、教練棟と石畳のすべてを呑み込もうと荒れ狂っている。
巨大な奔流となって幾重にも押し寄せるその黒い暴風の渦――その最奥で、猛烈な打ち込みによって力づくで押さえつけられながらも、重厚な足音を立てて確実に前進を続ける「巨大な何か」が存在した。
「動いてる……!? でも、敵性なのか……!?」
「ジン教官が……本気で攻めているのか……!?」
思わず叫んだミナトたちの姿を、激戦の渦中にいたカナリアが目敏く捉えた。
彼女は長い耳を激しくなびかせ、喉が千切れんばかりの大声で叫ぶ。
「学生はすぐ退避しなさーーーい!!」
「危ないから!!」
「危険度六以上よ!!」
「超級位階、もしくは教官以外は全員今すぐ退避ーーーっ!!」
『危険度六』――。
その言葉が発せられた瞬間、周囲にいた生徒たちの顔から一斉に血の気が引いた。
危険度六といえば、一都市の存続すら容易く脅かす天災級の脅威だ。
蜘蛛の子を散らすように、パニックに陥った生徒たちが我先にと逃走を始める。
だが――押し寄せる悲鳴と狂乱の流れの中で、ミナトだけがその場にぽつんと立ち尽くしていた。
「ミナト……っ! 早く逃げましょう……!」
青ざめた表情のリーンが、ミナトの泥と汗に塗れた手を強く握りしめる。
必死の力でその腕を引っ張るリーン。
「ミナト……っ! お願い……!」
リーンの手が、さらに強く握られる。
彼女の呼吸は荒く乱れ、か弱く震える唇が見えた。
――だというのに。
まるでそこに根を張ってしまったかのように、ミナトの足はぴくりとも動かなかった。
◇
ミナトの視線は、周囲を逃げ惑う群衆でも、悲鳴を上げるリーンでもなく――四方八方から漆黒の立方体に圧迫されながらも突き進む、ミスリルゴーレムへと一直線に向けられていた。
正確には。
巨体の胸に刻まれた、微かな光を帯びる異形文字。
そこから幾重にも蠢き、全身へ巡る魔力の脈動へ。
(危険度六……)
(勝てない。あんな化け物、今の俺の実力じゃどうあがいても倒せるわけがない)
(なのに……)
(なんで俺は……逃げる気にならないんだ?)
――ドクン。
胸の奥で、鼓動が大きく脈打つ。
先ほどまで演習場で死に物狂いに練り上げていた、あの六属性統合魔法の残滓が、未だ彼の体内で激しく熱を帯びてくすぶっていた。
ゴーレムの胸に刻まれた刻印。
『壊れない』
『確保』
『理の力』
編み込まれた魔力術式。
その複雑怪奇な構成と法則の糸が――今のミナトには、驚くほど透き通るように視えていた。
(……なぜだかわからない)
(だけど――)
(――解ける。行ける、気がする)
自分を引き留めようと必死に握られていたリーンの手を、ミナトは優しく、だが確かな力を込めて握り返す。
(リーン、手、俺を見る目)
(あぁ、行けるよ)
(これは――解ける。行ける)
その瞳から、足手まといへの焦りも、天災級の化け物に対する恐怖も――すべて綺麗に消え去っていた。
◇
漆黒の立方体が織りなす大濁流。
その猛烈な質量打撃に抗いながら、銀色の魔神は依然としてじりじりと前進を続けていた。
逃げ惑う生徒たちの怒号と悲鳴が飛び交う、狂乱の中庭。
その混乱を切り裂くようにして、ミナトがジンの展開する巨大な防護陣のすぐ近くへと走り込んできた。
「カナリアさんっ!!」
「ミナト!? 逃げろって言ったでしょーーっ!?」
「『壊れない』、『確保』、『理の力』って何ですか!?」
「胸の刻印に……そう書いてある!!」
「――は……?」
次の一撃を放とうとしていたカナリアが、驚愕で瞳を大きく見開いた。
「うそ……読めるの!?」
「でも……『壊れない』ですって……!?」
一瞬、カナリアは思索の海へと落ちるように目を細めた。
そして――何かに思い至ったように、破顔して高らかに笑い出す。
「アハハ! そういうことかー!」
「どうしたカナリア!?」
膨大な魔力を維持し、黒い立方体の波でゴーレムを押し込みながら、ジンが鋭い怒号を飛ばす。
「ジン! 奴の動き、もっと強く止められる!?」
「手があるかもしれないわ!」
「どういうことだ!?」
「ミナトが読んだ『壊れない』っていう古い森の人の言葉ね、あの文様はほんの少し術式の回路を調整してやると、別の言葉に化けるのよ!」
「私の知ってる変化形は――『囲われない』!」
「なんだそれは!?」
「術式の構造そのものを書き換えるの! そうすれば『壊れない』という概念防御が無効化されて、破壊できるようになる!」
「本当か!?」
「ええ! ただし!!」
カナリアは声を張り上げる。
「概念が『囲われない』に上書きされたら、私の干渉魔法やジンの拘束魔法でも捕まえられなくなる。つまり、魔術的に一切止められなくなると思うわ!」
「なんだそれは!! 余計悪化してんじゃねぇか!!」
「でも物理的に壊せる! 概念防御さえ消せば、足を砕ける。そうすれば結局は動けなくなるでしょ!」
「チッ……! だが、仮に俺が限界まで抑え込んだとして、誰が暴れる化け物の懐に飛び込んで文字を書き換えるんだ? お前か!?」
「もちろん私がやるわよ!」
「……無理だ」
ジンは即座に吐き捨てた。
「あの神銀の巨躯だぞ。仮に接近できても……あの腕を避けられなければ、叩き潰されて終わりだ」




