森の影と割れた水時計 いつまでも気になる報告書、魔石の効果
Day2午前・教室(編入生の予告と猿)
午前。教室。
本来なら社会科の講義が始まる時間だった。
窓からの夏の光は力強く室内を照らしているが、谷沿いに建つ校舎の陰はどこか深く冷たい。
講壇の上には、いつもの教官だけでなく、講義室には少し不釣り合いな野性味溢れる匂いを漂わせた男が一人立っていた。
「おはよう!」
「1週間ぶりだな! みんな元気にしてたか?」
教室内が俄かにざわつく。
琉生が「あ、光じゃん!」と親しみを込めて声を上げた。
「おー、琉生、元気か? みんな元気そうだな。立花、春日井……それにミナトも」
北川光はぐるりと一通り生徒たちの顔を見回すと、手元の紙を軽く振った。
「よし、配った資料を表に向けろ」
配られた紙のタイトルには、大きくこう印字されていた。
――『危険事象調査報告書:火風岩猿について』。
「危険事象についてのレポートだ」
「我々協会は、社会的な損害が出る危険性があった場合、予防措置を講じるために調査を行い、こうしてレポートを作成・共有する活動をしている」
「その手元の資料は、前回の森林演習の際に突如現れてお前たちを襲った、火風岩猿に関する報告書だ」
教室内から私語が消え、静まり返る。
「初めて目にする者もいるだろうから、読み方を簡単に教えておく」
「この手のレポートで重要な点は2点だ。『被害状況』と『対策』。対策については、お前たち生徒でも実践できることがあるから、しっかり目を通しておくように」
光はポン、と手元の資料を軽く叩いた。
「俺からは以上だ」
危険事象調査報告書
7月16日 11時発生 火風岩猿災害について
1.状況
森林演習の最終日、集合場所にて10時52分頃、火風岩猿が東側斜面に出現。監視者2名、および生徒2名を重傷に追い込んだ。
その後、水理湊が行った弱体化、渡辺陸斗・守屋廉・立花蘭土による波状攻撃によるダメージ蓄積、そして春日井春奈による頭部破壊によって沈黙。
2.調査方法
・魔力残滓による映像再生(調査結果A参照)
・過去視能力による調査(調査結果B参照)
3.原因
7月15日 2~4時頃、何者かによって召喚陣の刻印が施され、11時前に起動・召喚された。
刻印実施者の魔力残滓は不可逆暗号化によって解明不能。したがって、術者不明とする。
4.対策
・警邏強化:演習時の森林探知強化のため、俯瞰器の設置を検討。
・警備強化:演習前後の森林立ち入り許可制の導入。
5.補足
・調査結果A:残滓再生調査の結果、侵入経路は不明。召喚陣の刻印は突如生成された。状況的に残滓の消去を行い、証拠隠滅を図っている。
・調査結果B:過去視調査の結果、侵入経路は不明。何者かが召喚陣の刻印を実施。対象については強力な阻害処置が施されており、特定不能。
※火風岩猿は、迷宮の中層以下で出現し、北部自由地帯に稀に現れる猿型の魔物である。3属性を扱い、初級・中級の冒険者には極めて危険な存在である。
「光さん、ありがとうございます」
「これ……過去視調査まで回したんですか? だいぶ費用を掛けましたね……」
教官が礼を言うと、光はひらひらと手を振って応えた。
光も「時間を取ってもらって助かったよ」と教官に告げ、そのまま堂々とした背中で教室を後にした。
「さて、次の連絡事項は『編入生』についてだ」
「例年、合同課程が始まる時期に合わせて転入生を迎えることになっている……今年も、一人迎え入れる予定だ」
「これは、この学校の方針で、ま、いわゆる多様性というやつだ。親戚や知人に編入を望んでいる者がいたら、募集要項を見るよう伝えておいてくれ」
教官の言葉に、生徒たちの背筋が少しだけ伸びる。
だが――ミナトだけは、手元のレポートから目が離せずにいた。
(……俺の名前がある。『俺が弱体化』って、一番最初に書かれている……)
(でも、その前に光教官がかなり殴りつけて足止めしてくれていたはずだ。それが入ってないのはなぜだ……? 何か意図があるのか?)
(とどめは……やっぱりはるなの頭蓋への強烈な一撃か。……そうだよな。自分の手で倒せたらそりゃあ格好良かったけど、あの時の俺にはあれが精一杯だった)
(……それに、その後の怪我人の治療については誰の名前も上がらないんだな。……これが『公平』ってことなのか?)
(……いや、違うか。これは誰かを称える表彰状じゃない。ただ『何が起きて』『どう対処され』『これからどう防ぐのか』事実だけが客観的に書かれているだけだ……)
講義が再開され、他の生徒たちがレポートから気持ちを切り替えて黒板へと視線を戻していく中――。
ミナトとはるなの二人だけが、いつまでも落ちた視線を戻さず、無言で手元の紙面を見つめ続けていた。
Day2夜・ベイルスレイブ別邸(魔石の効果)
別邸、応接室。
夜。谷底はぐっと冷え込む。短くも厳しい夏の夜には、急激に冷え込む空気を温める温かいお茶の湯気がありがたかった。
ミナトは本邸から送られてきたばかりの新型魔石と保管箱をまじまじと眺めていた。時折、構造を詳細に解析するために、その瞳に虹色の光を灯らせている。
「すっごいな……! この魔石、人工で作られた割にずいぶん高品質じゃないか?」
「それになんだこの保管箱は! 零度……? 一定の温度を寸分狂わず保ち続けられるのか!?」
「ふふふ、鬼族に伝わる魔法の技術を活用されたそうですよ」
「そうなのか! すごいな……!」
自分の出自に由来する技術を手放しで褒められ、リーンは心底嬉しそうに微笑んでいる。
ミナトは「すごい、すごい」と無邪気に呟きながら、保管箱を手に取り、上から下からと角度を変えて観察を続けた。
「これがあれば、ある程度物持ちが良くなるな。……それにしても、この高品位魔石はどうするんだ?」
「こちらのお手紙に書かれておりますが、『魔石も保管箱も別邸内で好きに使って、その結果を教えてほしい』とのことです」
それを聞いて、ミナトの口角がぐっと上がった。
「好きに使っていいのか! そうか……何に使おうかな」
「保管箱はやはり、冷やしておきたいものでしょうか? お飲み物……?」
「魔石の方は、十分に充魔したあと、各設備の動力用魔石と交換するつもりです」
「そうだね、魔石はそれでいこう。でも保管箱は……書類とかはどうかな? ほら、紙って湿気で傷みやすいし、虫も喰うだろ?」
「なるほど、それはありですね。さすが主様、賢い選択です」
――零度維持の魔法がかかった保管箱に、貴重な書類を入れる。
最高のアイディアだと、二人は満足そうに頷き合った。
「あ、そうだ。……ニーコスが言っていた『始祖』のことなんだけど」
「はい? ああ、あの昔話に出てくるお話ですか?」
「ほんとに実在するらしいんだ。……二万歳以上だって」
「……主様。さすがに私ももう子どもではありませんので、そのようなからかいは……」
ミナトの喉が、ゴクリと鳴った。
(え……? からかい? いや、そんなつもりは全くないんだが……でもカナリアさんのこと、リーンはまだ知らないしな……んー)
「あのな、教官で森の人がいるんだ」
「はい」
「その人はすごく腕の立つ魔法使いでさ。僕にすらできないようなことを軽々とやってのけるんだ」
「はい」
「その人の師匠が『始祖』だって、本人が言っていたんだ。百年前に弟子にしてもらったって」
「はい」
「だから……本当に実在するんだよ」
「はい。……ですが主様、森の人は二万年もの間の出来事を、ずっと覚えておいでなのでしょうか?」
リーンは鈴が鳴るような澄んだ声を響かせ、首をこてんと傾げると、ミナトの顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
「いや……百年くらい経つと、記憶から忘れていってしまうらしい」
「……」
リーンはすっと表情を改め、短く問いかけた。
「森の人の平均寿命は確か……二千年ほどでしたでしょうか?」
「そうすると、普通の森の人であっても二十回は『忘却の彼方』ですね」
「私どもより遥かに長生きであることは存じておりますが、果たしてそれは……?」
「……うん。記憶は……」
「そういうこと、ではないでしょうか?」
「……了解」
ミナトは反論の言葉を失い、力なく頷いた。
(だめだ……この優秀な従者を納得させる言葉を、俺はひとつも見つけられない……!)
(昔からそうだ、ロマンがまったく通じない……っ! くっそ……!)
(最後に一つだけ)
「ニーコスと一晩過ごした」
ぽうっとリーンの頭に光が灯る。角のあたりからだ。
そして、ゆっくりと、見開いた眼でミナトの目をのぞき込んできた。
(ミナト、その言葉の意味は?ここの所、森の人の話題が多い、長寿の種への憧れではないですね、それに、カナリア女史の優秀さより、ご学友のニーコス嬢を選ぶということは、将来のお立場に必要だから注目しているわけではない、となると、お側に置きたい……ならば、問わねばなりません!)
「はい、それで、ミナト?」
(食いついた、良し一気に行くぞ)
「魔道具の事故に巻き込まれて、二人で一晩過ごした。その時間は魔道具のせいで無くなったけどな」
「ニーコスは、危機的状況にあっても、動じずにしっかりと対応をしていたよ」
(くっくっく、ここで森の人が優秀だと伝えておいてからの)
「僕は、森の人は信用できるって思ったね」
(どうだ!これでも、からかいだと思うか??完璧だろ?ん、なんだ、リーンの角に火花?)
「左様でございますか、それでは、お伺いしたいことが出てまいりました。
主様は、ニーコス様と――――――」
「どのような関係を望まれているのでしょうか?」
(待て、どういう意味だ?関係?関係って言ったか?学友だろ?それ以外何が?まさか、いや、ニーコスを俺が?いや、ない、まずい、なぜそんな感じにズレた?)
「もう一度言うよ……はぁはぁ……。」
(なんだ、言葉が詰まる)
「僕には、ニーコスはただの学友だよ」
「はい、ご学友であることは存じております。」
「森の事を良く教えてくれるいい奴だ」
「はい、左様でございますね」
「……」
(だめだ、なんでかわからないが、これもツマネタだ……)
「……そろそろ宿舎に戻るよ。リーンは?」
「はい。まだお荷物がすべて整理できたわけではありませんので、私は明日戻ります」
「了解。待ってるよ」
ミナトは椅子から立ち上がり、鞄をしっかりと肩へと掛け直した。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、お気をつけて行ってらっしゃませ」
応接室の重厚な扉が、静かに閉まる。
残されたリーンは小さく微笑みを浮かべながら、机の上の新しい魔石と保管箱へと視線を戻した。
夏の夜は、どこまでも静かに更けていくのだった。




