森の影と割れた水時計 ごめんなさいと証言の整理
Day2朝・遺物保管庫~教練棟
同時刻。
遺物保管庫。
「実体のあるカナリア」が古い石板へと触れる。
表面に刻まれた刻印が、眩い光を帯びて輝きを放った。
魔力が奔流となって駆け抜ける。
――遺物が、完全に本起動した。
一瞬。
保管庫の空気がぐにゃりと大きく歪む。
時間。
記録。
意識。
世界の断片すべてが、激しい渦となって巻き取られていく。
そして――。
教練棟の床に倒れ込んでいたカナリアの身体へ、宙を舞う薄い影(幽体)が吸い寄せられるように吸い込まれていった。
重なる。
ひとつになる。
カナリアの指先が、ぴくりと動いた。
伏せられていた睫毛がかすかに震える。
そして――彼女はゆっくりと目を開けた。
「……うわ」
片手で強く額を押さえる。
突き刺さるような頭痛。
酷い眩暈。
そして、脳内に直接流れ込んでくる圧倒的な情報の洪水。
時間軸を彷徨い、あちこちで逃げ惑っていた数日分の記憶と出来事が、一気にひとつの身体へと収束していく。
「最悪……」
カナリアはしばらくの間、苦痛に顔をしかめ続けていた。
床に転がり、綺麗に割れてしまった水時計を見つめ――それから、深く大きなため息を吐き出す。
ふと、彼女は記憶を巻き戻すように、あの「黒い影」の背後で怪しく光を放っていた奥の遺物へと視線を向けた。
(……光ってない。……ただの見間違い?)
(ううん、ダメ……こういう『違和感』がある時ほど、後でちゃんと調べ直さないと……)
――ガタッ。
その時、保管庫の外からかすかな音が聞こえてきた。
カナリアはハッと視線を外へと向けた。
教練棟の壁際。
そこには、ミナトとニーコスが力なく座り込んでいた。
ふたりともぼんやりと空を仰いでいる。意識はあるようだが、急激に現実世界へ引き戻されたせいか、どこか現実感が薄そうな表情だ。
「……」
「んー……」
カナリアはぐったりとした二人を見つめ、本日何度目になるか分からないため息を漏らした。
「やっぱり……あの子たちも巻き込まれてる」
再び額を押さえ、思考を巡らせる。
ほんの少しだけ悩んだが――答えはすぐに出た。
「あの遺物の光り方からして、待っていれば完全に身体の位相は戻ると思うけど……今は確保が最優先。奥の遺物の調査は後回しね」
カナリアは二人に近づくと、ミナトの片腕を引いて自分の肩へと回させた。
続いて、力なく座り込むニーコスも優しく抱き起こす。
「あ、カナリアさんだぁ」
「詳しいことは、あとで説明するから」
「はーい」
ミナトはまだ頭が追いついていないのか、少し呆けた顔で周囲を見回していた。
(……戻ったのか? 俺たち……元の時間に、戻れたのか……?)
(朝だ……。音が聞こえる……。風の音が、ちゃんと耳に届く……!)
ごくりと、喉が一度だけ鳴った。
張り詰めていた肩の力が、一気に抜けていく。
カナリアはフラつく二人をしっかりと両脇で支えながら、ゆっくりと歩き出した。
向かう先は、ただひとつ。
――頼れる教官、ジンの執務室。
これから待っているであろう山のような説明と、盛大な謝罪を覚悟しながら、三人は歩みを進めるのだった。
◇
Day2朝・ジンの部屋(執務室)
朝。
ベイルスレイブ冒険者協会育成校・ジンの執務室。
夏の日差しはすでに強く、窓から差し込む光が部屋の床へと四角くくっきりと落ちている。
応接用の机。
積み上げられた書類の山。
壁際に並ぶ整然とした棚。
ジンは重厚な椅子に深く腰掛けていた。
太い腕を組み、珍しく一切の口を開かず、じっと沈黙を守っている。
その対面には――カナリア、ミナト、ニーコスの三人。
ミナトは椅子に深く腰を下ろしていた。
すでに意識は完全に現実へと戻っている。
耳を澄ませば蝉の声や風の揺らぎが聞こえ、皮膚には夏特有の生温かい風を感じる。カラカラに乾いた喉の感覚すらも、自分が「今」を生きている証拠だった。
(戻った……)
(本当に……元の時間に帰ってこられたんだ)
(……悪夢なんかじゃなかった)
ミナトが噛み締める隣で、ニーコスはいつも通りの落ち着いた様子で、出されたお茶をふーふーと冷ましながら呑気に啜っている。
対照的に、カナリアは机に額がそのままめり込みそうなほどの勢いで、深く深く頭を下げていた。
「ごめん……!!」
「ほんっとうに、ごめんなさい……! 私が保管庫の鍵を閉め忘れたせいで……二人まで巻き込んじゃって……!!」
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
「……顔を上げろ」
「でも……っ」
「まず説明しろ」
ジンの静かだが厳格な声に、カナリアはゆっくりと顔を上げた。
乱れた美しい金の長い髪が、束になってさらりと肩から流れ落ちる。
「……うん」
「まず……噂になってた『森の民の幽霊』の正体なんだけど……」
「私」
あまりにもあっさりと告白した。
「やっぱり本人だったのか……」
「本人だったねぇ」
「……本人だった」
ミナトとニーコス、そしてカナリアの三人が、示し合わせたように深く頷き合う。
三人の中で唯一状況に置いていかれているジンだけが、頭痛をこらえるように深く眉間を押さえていた。
「……続けろ」
「遺物保管庫にあった、あの割れた水時計……」
「あれ、多分……私の師匠が作った魔道具」
「それが何かの拍子で誤起動して……私だけが幽体離脱して巻き込まれた……と思ったら、この二人まで一緒に引っ張り込んじゃったみたい」
カナリアの言葉を受け、ミナトとニーコスは揃って「すみません」とばかりにジンへ小さく会釈してみせた。
「……で。教練棟でコソコソ動いていた『犯人』は」
「分からない……」
部屋の中の空気が、少しだけ重く静まり返る。
「小柄だった……。でも、子供や少女って感じでもないの」
「黒い影を纏ったみたいで、顔も身体の輪郭すらも見えなかった……。あれは、相当強い認識阻害の魔法か、姿を変える技術を使ってる」
ジンは一切の口挟みをせず、腕を組んだまま黙って話を聞いている。
「棚の演習触媒を触って黒く汚染させてたし……夜に宿直さんが襲われて気絶した現場にもいた」
「あの黒い影が、全部の元凶だと思う」
カナリアの説明を聞き終えると、ジンは大きく息を吐き出し、ゆっくりと頷いた。
「……なるほどな」
コン、コン、と人差し指の腹で机の天板を規則正しく叩く。
数秒間。鋭い目付きで思考を巡らせる。
「……少なくとも」
「ここ最近起きていた備品の盗難と、宿直員の気絶事件の貴重な目撃証言にはなった」
「完全に収穫ゼロってわけじゃねぇな」
ジンのその言葉を聞き、カナリアの肩からようやく少しだけ強張った力が抜けるのだった。




