第25話 選ぶ仕事
その夜、ノアは同じ札を五枚描いた。
一番上に、四角の中の斜めの線。
道の二本線と、槌。
人の形。
窪地の札には三つ。村の札には二つずつ。一枚だけ、一つ。
お日さまが五つ。
お日さまを一つ描いて、その横に銅貨の丸が八つ。
椀。
三角の屋根の小屋。
描き上げた一枚を、ミラの前に置いた。
「何の仕事?」
ミラは、上から見た。
「……道普請」
「どこの?」
「杭の印。普請方の」
「何日?」
ミラは、お日さまを数えた。
「五日」
「何人?」
「ここからは、三人」
「一日に?」
「八枚。……ご飯も出る。寝るところも」
ミラは、札から顔を上げた。
「全部分かった」
字は、一つも読んでいなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、ノアは窪地の柱の、決まりの紙の横に札を打ちつけた。
最初に見に来たのは、六日歩いてきた男だった。
「……何だ、これは」
ノアは、上から順に、一度だけ説明した。
場所。
仕事。
人。
日。
一日の手間賃。
飯と寝床。
男は、黙って聞いていた。
聞き終わると、札に顔を近づけた。
指で、お日さまを数えた。
銅貨の丸を数えた。
もう一度、最初から数えた。
「……行けってことか」
「行けとは言いません」
ノアは言った。
「条件は、そこに出てます。雇うかどうかは、普請方が決めます。手間賃も、向こうから直接もらってください。僕は、何も預かりません」
男は、しばらく札の前に立っていた。
それから、妻のところへ行った。
背の子は、熱が下がりかけていた。
二人は、長いこと話していた。
ノアは、そちらを見なかった。
やがて、男が戻ってきた。
「行く」
ノアに向かってではなかった。
札に向かって言った。
「俺が、行く。五日だな」
「はい」
ノアは、札の一番上を指した。
「西街道に出るところまでは、道を教えます。そこから先は、この印を探してください。普請場の杭に、同じ焼き印があります」
ノアは、窪地の札の人の形に、炭で一本線を引いた。
残りは、二つ。
男は、線を引かれた人の形を、しばらく見ていた。
どこへ行けばいい、とは、もう聞かなかった。
その夜、ノアは、窪地の札の分の二枚を、皆の分の袋に入れた。
鍋の後、帳面を開いて、皆に言った。
「今回、この札を置いた分です。次の募集があれば、また入ります」
二枚では、薄い鍋は大して変わらなかった。
それでも、減るばかりだった行に、久しぶりに入った分が書かれた。
◇ ◇ ◇
それから三日、ノアは札を持って歩いた。
北の川沿いの村では、刈り入れの前で出せる者はいない、と断られた。
峠の手前の集落は、西から来た身内を何人も抱えていて、食べる口が増えていた。
村の年寄りは、札を見て、話を聞いて、その場で軒下に打ちつけさせた。
ヴァルツの荷車の話も、聞いてはいたらしい。
だが、札を見て言った。
「あんたのところの人間を雇えって話じゃないな」
「はい。普請方の仕事です」
「なら、うちの若いのが行きたきゃ、自分で行くだけだ」
東の沢の村では、初めは怪しまれた。
札を置く手間賃が出る、と聞いて、ようやく柱を貸してくれた。
人の形に線を引く役は、村長の孫娘がやることになった。
娘も、字は読めなかった。
それでも、人の形の数は、すぐに覚えた。
西寄りの外れの村には、畑を失った者が何人も身を寄せていた。
仕事へ行きたい者ならいる、と村の男は言った。
北の川沿いの村に置くはずだった札を、ノアはそこへ回した。
◇ ◇ ◇
ローデンでは、ベルントが札を手に取った。
上から下まで見て、銅貨の丸のところで目が止まった。
「八枚か」
「はい。飯と寝床も出ます」
ベルントは、札をノアに返した。
「うちには、置けん」
「置いてもらうだけでも、手間賃は出ます」
「そういう話じゃない」
ベルントは、畑の方を顎で示した。
刈り入れを待つ麦が、もう黄色くなっていた。
「若いのは陣に取られとる。今、刈り入れに回せる手は、年寄りと女と、ヨルクたちぐらいだ」
ノアは、黙った。
「その柱にこれを貼ってみろ。一日八枚、飯付き。うちは刈り入れの手間に麦しか出せん。一人でも西街道へ行ったら、その分、麦が畑で落ちる」
人手が足りない村の真ん中に、人手を連れていく札を貼る者はいない。
考えれば、当たり前のことだった。
ベルントは、札から目を離す前に、もう一度だけお日さまと銅貨の丸を数えた。
「……刈り入れが終わったら、また持ってこい。冬の前に銅貨が欲しい奴は、うちにもおる」
◇ ◇ ◇
南東では、オスカーが荷置き場の柱の前で腕を組んだ。
「俺が、お前のところの人間を雇う話じゃないな」
「はい。普請方の仕事を、ここに置かせてもらうだけです」
「行きたい奴は、自分で行く」
「はい」
オスカーは、しばらく札を見ていた。
「ヴァルツの連中は、東の開拓地から来る人間、と言った」
オスカーは、四角の中の斜めの線を指で叩いた。
「これは、普請方の札だ」
「オスカーさんのところも、人は足りてないですよね」
「今抱えてる荷の分は、もう人を押さえてある。西街道へ行きたい奴は、その区切りが済んでから行けばいい。次の仕事まで縛る話じゃない」
オスカーは、柱の一番見やすい所を空けた。
「手間賃が出るなら、柱ぐらい貸す」
◇ ◇ ◇
どこへ置いても、ノアが説明するのは一度だけだった。
並びは、どの札も同じ。
印も、同じ。
数え方も、同じ。
二度目からは、誰も読み上げなくてよかった。
札を置いた場所の誰かが、行くと決めた者の分だけ、人の形に線を引く。
集まる日だけは、札に描けなかった。
札を置く時に、線を引く役の者へ口で伝えておいた。行くと決めた者には、その者が教えた。
札を置いた場所へ渡す二枚には、その手間の分も入っていた。
◇ ◇ ◇
五日後の朝、西街道の普請場の東の外れに、人が集まっていた。
普請方の男が、小屋から出てきた。
一人ずつ、数えた。
八人。
十人には、二人足りなかった。
沢の村と南東で、一人ずつ埋まらなかった分だった。
男は、紙に八と書いた。
「どこで知った」
一人ずつ、答えが返ってきた。
「丘の窪地」
「峠の手前の」
「沢の村の、柱」
「南東の荷置き場」
ばらばらだった。
ノアが連れてきた者は、一人もいなかった。
ノアは、その場にいなかった。
それでも、八人とも、同じ印の札を見て来ていた。
普請方の男は、窪地から来た男の手を見た。
牛を扱っていたという、節の太い手だった。
「……使える」
男は、八人全員に鍬と籠を渡した。
五日後、手間賃は一人ずつ、男の手から本人へ渡された。
ノアの手を通った銅貨は、最初の五十枚だけだった。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
西街道から少し外れた村に、ヴァルツの荷車が入っていった。
御者台から降りたのは、腰に革の袋を下げた、痩せた男だった。
「人足を集めている。飯と寝床付きだ」
前なら、それで何人かは寄ってきた。
村人の一人が、首を振った。
「行きたがってた奴なら、もう行った」
「どこへだ」
「西街道の普請場」
痩せた男は、帳面から顔を上げた。
「……どこの仲介だ」
「知らん」
村人は、村の真ん中の柱を顎で示した。
「柱に、仕事が出てた」
痩せた男は、柱の前まで歩いていった。
紙が一枚、打ちつけてあった。
字は、一つもなかった。
四角の中に、斜めの線。
道の二本線と、槌。
人の形が一つ。炭の線が、引いてあった。
お日さまが五つ。
銅貨の丸が、八つ。
椀と、小屋。
痩せた男は、長いことそれを見ていた。
誰が置いたのかは、どこにも書いていなかった。




