第7話 肉壁護衛
百花繚乱閣。都内の一等地にそびえ立つ、要塞のような超高層メガ・マンション。
ここは俺の「実家」であり、同時に父親の第一〇〇夫人までの妻たちと、その子供たちがひしめき合う魔境でもある。各階ごとに「第〇夫人派閥」という名の領地が存在し、エレベーターでの移動すら、国境を越える外交並みの緊張感を伴うのだ。
「ほら、春斗。シャキッとして歩きなさい。ノーマル男子は常に背筋を伸ばし、女性たちに安心感を与える義務があるんだぞ」
「……親父は余裕だな。俺はもう、この空間を歩いているだけで息が詰まりそうだよ」
ため息をつきながら隣を歩く俺の横で、完璧に仕立てられたスーツを着こなす父、天海壮一郎は涼しい顔をしている。今日は新米エージェントの香澄さんが持ってきた、新たなお見合いに向かう日だ。自宅のエントランスへ向かうため、俺たちは下の階層を通過せざるを得なかった。
チンッ、とエレベーターが中層階で開き、豪華な絨毯が敷かれた長い廊下に出た瞬間だった。
「あらぁ! 壮一郎様! それに春斗様も!」
待ち構えていたかのように、派手なエプロン姿の女性が猛スピードで駆け寄ってきた。親父の第四五夫人だ。彼女の後ろには、メイド服を着た家事代行ゾンビが、台車に載せた巨大なタワーを運んできている。
「春斗様、もうすぐ二一歳のお誕生日でしょう? 健康を第一に願って、愛情たっぷりの『一〇段重ね特製弁当』を作りましたの! さあ、持っていらして!」
「いやいやいや! 一段の直径がピザのLサイズくらいあるじゃん! 俺ひとりで一〇段も食ったら、健康になる前に胃袋が破裂するって!」
俺が必死に両手を振って辞退しようとする中、少し離れた廊下の角からは、今度は淑やかな和装の女性が現れた。第一二夫人だ。
「壮一郎様……。本日は貴方様のために、温室で育てた一番美しい薔薇を……」
「ああ、素晴らしい香りだ。だが、君の美しさには敵わないよ」
親父は息をするように甘い言葉を吐き、流れるような動作で花束を受け取り、第一二夫人の頬に軽く触れた。彼女はポッと顔を赤らめて崩れ落ちそうになる。
右を見ても左を見ても、強烈なアピールと賄賂の嵐。一〇〇人の妻を持つということは、単なる数字の話ではない。この圧倒的な熱量と物理的な圧迫感を、毎日三百六十五日、真正面から受け止め続けなければならないということだ。
「……やっぱり、俺には一〇〇人の嫁なんて絶対に無理だ。一生ゲームだけして生きていたい……」
ゲッソリと頬をこけさせる俺を置いて、親父は優雅に妻たちをあしらいながら廊下を進んでいく。ユートピアと呼ばれるこの国で、ノーマル男子は一見すると特権階級の王様のようだが、実態は一〇〇人の期待と欲望を一身に背負う過酷な存在なのだ。
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百花繚乱閣のエントランスホールに辿り着くと、ピシッとしたタイトスーツ姿の香澄さんが、タブレットを抱えてウロウロと歩き回っていた。
「あ、天海さん! おはようございます。ご準備はよろしいですか?」
「おはよう、香澄さん。……で、なんでわざわざ外の喫茶店なの? 俺、外に出るの極端に嫌いなんだけど。部屋でゲームしてちゃダメ?」
俺がジト目で睨むと、香澄さんはブンブンと激しく首を横に振った。
「ダメに決まってるじゃないですか! この百花繚乱閣でお見合いなんて、自殺行為もいいところです! 昨日の惨事をもうお忘れですか。お母様の麗子さんや、妹の椿さんたちにメチャクチャにされたじゃないですか。こんな魔境で、まともなデータ測定やヒアリングができるわけありません!」
香澄さんは、昨日のカオスな舌戦とスタンガンの放電音を思い出したのか、少しだけ身震いをしている。確かに、うちの家族の妨害工作を躱しながらお見合いを進めるのは不可能に近い。
「分かったよ。外の喫茶店ね。……はぁ、気が重い」
俺が肩を落としていると、背後から「ズチャッ、ズチャッ」という、複数の重い足音が響き渡った。
「春斗様。外出の準備、完了しております」
振り返るとそこには、黒スーツにサングラス、耳にはインカムという完全武装の女性SPたちが、俺を取り囲むように整列していた。その中心から、一人の女性が一歩前へ出る。
天海家お抱えのノーマル男子専属SP隊長、影山妙子。
彼女が深々と頭を下げた瞬間、バサァッ、と黒スーツの裾が翻った。その裏地には、俺の顔写真が一面にプリントされている。しかも寝顔や、歯磨きをしている無防備な顔など、一体いつどこで撮ったのか分からない盗撮まがいの写真ばかりだ。
「……影山。相変わらず、その裏地は狂気を感じるんだけど」
「お褒めに預かり光栄です、春斗様! 我が身は常に春斗様と共にあり!」
「褒めてないからね!?」
影山は俺が高校一年生の頃から、すでに四年間も専属SPとして護衛に就いている。彼女は職務に忠実で、一見するとクールなプロフェッショナルなのだが……俺に対する「愛」と「熱量」が異常なのだ。
本人はあくまで「忠誠心」というベールでその重すぎる感情を隠しているつもりらしいが、少しでも俺と目が合うだけでサングラスの奥の瞳孔が開いているのが分かるし、呼吸も荒くなるので完全にバレバレである。
「さあ、春斗様。外の空気は、汚れた害虫や、春斗様にふさわしくない愚鈍な女たちで溢れかえっております。この影山が、春斗様の視界に一切の不純物が入り込まぬよう、鉄壁の肉壁となってお守りいたします!」
「いや、俺はただ喫茶店に行くだけなんだけど……」
俺のツッコミも虚しく、影山の合図と共にSPたちが一斉にフォーメーションを組んだ。俺の周囲三六〇度を、屈強な女性たちが完全に囲い込む。視界が黒スーツで埋め尽くされ、文字通り外の景色が何も見えなくなった。
「行くぞ! 春斗様をお守りしろ!」
影山の号令のもと、俺は黒いスーツの壁に押し流されるようにして、百花繚乱閣のエントランスを出発した。
一〇〇人の妻というシステムの圧迫感から逃れたと思いきや、今度は重すぎる愛を持ったSPの過剰な護衛に囚われる羽目になる。こんな調子で、これからやってくるという「データ上完璧な嫁候補」とのお見合いが、まともに進むとは到底思えなかった。




