第6話 ポンコツ担当官の涙
「——限界ですね。これ以上の交渉は時間の無駄です」
数分後。怒号と放電音が飛び交うリビングで、マコトさんが冷たく言い放った。
彼女は乱れた髪を直すこともなく、ホログラムのグラフをパッと消去すると、手元のデバイスを鞄に叩き込んだ。
「天海家の皆様、そして柊さん。私の判断はこうです。この一家は予測不能な変数が多すぎ、論理的な対話が成立しません。私のキャリアプランにおいて、これほどの低効率な案件に関わるのはリソースの浪費です。今回の候補は、私の方から辞退させていただきます」
「えぇっ!? マコト先輩、待ってください! まだお見合いの途中です!」
慌てて追いすがる香澄さんを、マコトさんは冷徹な眼差しで一蹴した。
「柊さん。あなた、こんな異常な案件をよく引き受けたわね。データ至上主義派のホープを名乗るなら、もっとマシなターゲットを選ぶべきよ。……さようなら」
マコトさんは風のようにリビングを去っていった。残されたのは、戦いに勝利して勝ち誇る家族たちと、魂が抜けたように立ち尽くす香澄さんだけだった。
「ふん、当然の帰結ね。次はもっと『商売』になる女を連れてきなさい」
「お兄様を縛り付けようとする女なんて、全員私が返り討ちにしてあげます!」
「……香澄さん、俺の家族がなんかすんません」
俺が声をかけるが、香澄さんは返事もしない。
彼女はガタガタと震えながら、床に視線を落としていた。
「終わりました……。自信満々に先輩を連れてきたのに、数分で追い返されるなんて。エージェントとしての評価はガタ落ち……これじゃあ私の目標なんて夢のまた夢……うぅ、しょっぱなから失敗してしまいましたー……」
ついに香澄さんの目から大粒の涙が溢れ出した。エリートとしてのプライドを粉々に砕かれ、家族からも散々な言われよう。一人リビングに取り残された彼女の姿は、あまりにも不憫だった。
「……やれやれ」
俺は深くため息をつき、ソファーから立ち上がった。
麗子や姉妹たちが「勝利のお茶会」を再開しようとするのを横目に、呆然としている香澄さんのそばまで歩み寄る。
「……あ」
香澄さんが、俺の気配に気づいて顔を上げた。涙で濡れた瞳が、驚いたように揺れる。
俺は、太郎が置いていった未使用の湯呑みに、まだ温かいお茶を注いで彼女の手に握らせた。
「はい、香澄さん。とりあえず、これ飲んで落ち着いて」
「……天海、さん? でも、私、初回から失敗して……」
「いいって。気にしないで。……大変だね、香澄さんも」
俺は彼女の目線に合わせるように少しだけ腰を落とし、優しく微笑みかけた。
「うちの家族、いつもあんな感じなんだ。自分たちのルール以外は全部敵だと思ってるような連中だからさ。香澄さんのデータが悪いんじゃなくて、この家がデータを超えた魔境なだけだよ」
「……!」
「そんなに自分を責めないで。一生懸命やってくれたのは、見てればわかるからさ。……ほら、香澄さんは笑ってる方が、俺のやる気も少しは出るんだけどな」
俺がポンと彼女の肩を叩くと、香澄さんの顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていくのがわかった。
さっきまでの絶望はどこへやら、彼女は口をパクパクとさせながら、湯呑みを両手で抱え込んで俯いてしまった。
「な、ななな……何を言っているんですか、対象者のくせに! 私をあやすなんて、勝手に立場を逆転させないでくださいぃ!」
「あはは。元気が出たなら良かったよ。……さて、お茶飲んだら部屋に戻ってもいい?」
「だ、ダメです! 明日のスケジュールの打ち合わせが残っています! 次は……次こそは、絶対に完璧な女性を連れてくるんですから!」
湯呑みから立ち上る湯気の向こうで、香澄さんが必死に強がる。その瞳には、少しだけいつもの活力が戻っていた。
「はいはい。お手柔らかに頼みますよ、エリートエージェント様」
俺がいつものようにからかうと、香澄さんはまたムキになって言い返してくる。
平穏なニート生活への道はまだまだ遠そうだが、こうして空回りし続ける彼女を見ているのも、そう悪くない気がしていた。
傍らでは、太郎が絶妙なタイミングで、俺の口に冷えたキュウリを放り込んできた。
ポリリ、と小気味良い音が響く。
俺とポンコツ担当官の、限界お見合いバトルは、まだ始まったばかりだ。




